お気に入り

最近のトラックバック

2022年1月 7日 (金)

夢のシネマパラダイス50番シアター:千と千尋の神隠し

Chihiro1 声の出演:柊瑠美、入野自由、夏木マリ、内藤剛志、沢口靖子、大泉洋、菅原文太

監督:宮崎駿

(2001年・東宝・125分)MOVIX仙台

評価★★★☆/70点

内容:10歳の少女・千尋は、両親と一緒に引越しの途中、八百万の神々が病気と傷を癒すために訪れる温泉街へ迷い込んでしまう。千尋は、街の掟を破りブタにされた両親と別れ、謎の美少年・ハクの手引きの下、湯婆婆という強欲な魔女が経営する湯屋で、「千」という名前で働くことになる。

“トンネルを抜けるとそこにはジブリ出資の回転寿司屋、宮崎アニメワールドが。これでもかと繰り出される既出ネタに新ネタがさらにトッピングされ、お腹パンパン途中で胸焼け。どうりで終盤眠気が襲ってきたわけだ・・・。ここ宮崎アニメワールドに入り浸ると子供以外はホント豚になりかねない。”

まず、最初に言っておかなければならないことは、この映画はホントに凄い、ということだ。次々と押し寄せてくる宮崎駿のファンタジー世界のイメージだけでこの作品を2時間もたせているからだ。しかも見ていて楽しい。

しかし、裏を返せばそれだけであり、自分が見たかったのはこれではないという不満も残る。

不満その1.キャラクター

子供の時分に見ていれば、暴走するカオナシに本気でおののいたりと、もっと純粋な気持ちで見れたと思うが、そういう年頃でもなくなった自称大人の自分は話が進むにつれていまいち乗れないのだ。

その最大要因は登場人物のキャラである。感情移入できるやつがほとんどいない。

千尋にしたって、冒頭の引越し先に向かうシーンで車の後部座席でいじけて横になっているという時点で冷めてしまう。

現代っコはあんなものなのか!?

自分がチビの頃、引越しを4,5回経験したが、食い入るように新しい外の景色を眺めたものだ。

それゆえトトロのさつきとメイの冒頭シーンにはすんなり入っていけるのだ。今のガキんちょは窓側の席の取り合いなんてしないもんなのかね。

それはともかく、感情移入できないのはハクなども同じ。

すなわち1人1人のキャラに善玉・悪玉が入り混じって含まれているキャラになっていて、キャラ設定に限っていえばハクも湯婆婆なども明らかに現実の人間世界と表裏一体であるといえる。

要するに、正真正銘の悪玉も善玉も登場しないわけだ。例えば、湯婆婆は極端な話、ラピュタでいえば女海賊ドーラと非常に重なるが、ムスカと重なる人物が千と千尋にはいない。つまり、湯婆婆はあくまでも中間的な存在に位置する人物でしかないといえる。

カオナシにしてもしかり。ムスカと最も重なる可能性があったのはむしろカオナシといえるが、意思の疎通ができない単なる得体の知れないものとしか言いようがない。

ファンタジーの世界でこういうキャラ設定はあまり見たくない。

自分がいかにファンタジーに毒されつくしているかが逆に分かろうものだが、やはり正直いって見たくないのだ。別にファンタジーの縄張りで現代の人間社会を語ってもらいたくないだとか侵入して来ないでほしいとか言っているわけではない。

現に、現実世界と異世界とが交錯するという題材はファンタジーではよくある話である。

ここで言いたいのは、個々のキャラである。

つまり、ファンタジーの世界、宮崎駿が言うところの不思議の町にある湯屋、の住人が揃いに揃って現実の人間世界と同じキャラであるのは、何の面白みもないばかりか、もっと突っ込んで言えば、ファンタジーで語る意味もないと言いたいのだ。

不満その2.ストーリー

<1>ファンタジーにする意味はあるのか

このてのパターンのファンタジーものの主人公は、現実世界では落ちこぼれだったり、いじめられっ子だったり悩みを抱えていたりする傾向が多く、異なる世界で様々なことを経験して成長し、強くなり(千と千尋でいうところの生きる力を取り戻して)現実世界に再び戻るというつくりになっているものがほとんどだと思う。千と千尋もこのパターンだ。

しかし、ここで問題になるのが、「様々なことを経験する」という様々なこととは何かということだ。

そうして考えてみると、一般的にほとんどのファンタジーものは悪玉との闘いを主軸に据えていることが多い。主人公が勇気を奮い立たせるための格好の題材といっていいだろう。

ところが千と千尋はどうかというと、つまるところそれは“仕事”なのである。湯婆婆との対峙ではないのだ。

豚にされ、ある意味人質となっている両親を助ける(あるいは自分が生きる)という目的に対する手段が対決を経て戦いに勝つという勝利ではなく、契約を経て仕事をして認めてもらうという承認・許可なのだ。

それゆえ、自分は現実世界でそんなんできるやん、異世界でやることないじゃん、という思いに駆られてしまうのだ。

<2>魔女の宅急便との比較(マイノリティとしてのアイデンティティの確立という側面) 

ここで、好対照をなす例を挙げると、同じ宮崎アニメの「魔女の宅急便」<注1>がある。

魔女宅は千と千尋とは異なり、現実世界(人間の住む世界)が舞台である。普通に生活している身近な世界で魔法使いが仕事をして生活しながら修行するという、千と千尋とほとんど正反対のパターンのつくりになっている。そして自分は魔女宅の方にはすんなり入っていけるのだ。

それも考えてみれば当然。現実世界で人間ができることは限られているし、普通の人間が魔法を使えるはずもない。

つまり魔法使いのキキは、既に普通の人間を凌駕する能力を持っており、別段他人と戦う必要もなく、逆に修行しに行った街の社会に受け入れられ、自分のアイデンティティを築けられるかというマイノリティとしての側面で描くことが可能になる。それはすなわち孤独との闘い。だから別に悪玉なんて必要ない。

このように千と千尋は魔女宅の設定をほとんど裏返しにしたつくりになっていると言えるが、はたして千尋にはマイノリティとしての側面があるのか。

とすると、答えは否。

まず、人間が入ってはいけない世界に足を踏み入れた人間としてのマイノリティの側面。

これは普通ならば成立するのだが、なにぶんこの映画が、不思議の町にある湯屋「油屋」という限定された空間を舞台にしているため、非常に狭い範囲で考えなければならない。すなわち湯婆婆を女将とする湯屋「油屋」に人間の千尋が受け入れられるかという側面で考えざるを得ないのだが、一見すると成立しそうにも思える。

しかし、その実態は、千尋だけならともかくハクやリンなどの湯屋の住人(労働者と言った方がいいか)も名を奪われ湯婆婆に支配されているわけだから、人間として受け入れられるかどうかという以前の問題であり、到底成立しえない。もし受け入れられたとしても、ただ単に子ブタにさせられてしまうだけである。

さらに能力的にもマイノリティとはいえない。湯屋の中では湯婆婆とハクしか魔法は使えないわけで、むしろ千尋は一般的な側であり、湯婆婆に支配される側としての多数派に属するといえる。

どのように考えてみても千尋をマイノリティとしての側面で描くことはこの映画の設定では不可能なのだ。

<3>スタジオジブリの社訓:午前3時に仕事を引き上げて帰ろうとすると、宮崎駿監督に「もう帰っちゃうの?」とフツーに引き止められる・・・。まくるゼ!!

では、なぜ千尋を含めた湯婆婆に支配されている側が、湯婆婆と対決し自らを解放するという話にならないのか。

まず、そういう話を作るには前提として人間が足を踏み入れてはいけないという不思議な世界が一体どういう世界なのかという枠組みを提示する必要がある。鉄道が通っているくらいだから相当な広がりがあるらしいことは分かるが、その枠組みを描写しないと、単なる湯屋「油屋」という限定された場所で、不思議な世界でどのような役割や位置にいるかも分からない湯婆婆とやり合っても何の意味もない。

この映画ではそれが描かれていない。

だからこの問いに対する答えというのは、結局製作者側の時間の制約あるいは2時間で話が収まらないといった作り手側の問題に行き着いてしまうのだが、それでは面白くないので、そもそも宮崎駿はそんなこと全く興味がなかったのだというのが本当の答えだと思いたい。

<4>物語の落としどころ:喪失・欠落したアイデンティティの獲得

湯婆婆と対決し自らを解放する、しかしそれ以前の問題として「自分」がそもそも喪失・欠落していては何の意味もない。

名前を奪われるというのはその暗喩であり、名前を取り戻すこと=自分は何者なのかという気付きとアイデンティティの獲得=自立。それが宮崎駿の大テーマなのだろう。

そう考えると、意思の疎通ができない得体の知れないもの=アイデンティティを完全に失った者=カオナシは最も分かりやすいかもしれない。

そして、不思議な世界での経験により千尋は人間力の成長を呼び覚まし、本人だけでなくハクや坊、カオナシまでにも「自分」の気付きを与える存在になるという物語。

結論:ファンタジーに執着する宮崎駿という男

こう見てきても、やはりファンタジーにする必要あるのか!?という引っかかりはうっすらと残る。

キャラ設定は現実の人間世界と表裏一体、話のつくりも現実世界と表裏一体で、この映画を支えている要素は宮崎駿が繰り出す不思議な世界のイメージただそれだけである。

例えるなら大友克洋の「MEMORIES」第3話“大砲の街”を2時間延々と見せ続けられているようなものであり、終盤飽きがくるのも当然といえる。

しかし、自分がこの映画に★3.5をつけているように、宮崎駿の繰り出すイメージにはもの凄いものがある。物語の穴を感じさせないほどだ。

ただ、どこかで見たぞというネタが多かった気はする。

ススワタリは出てくるし、カリオストロでクラリスが幽閉されていた塔の部屋と同じデザインの部屋が出てくるし、ルパンの直滑降ダッシュに未来少年コナンの配管綱渡りダッシュに、トトロとさつきのバス待ちシーンに、はたまたもののけ姫のたたり神ならぬくされ神など枚挙にいとまがない。

宮崎駿がもっている引き出しを全部ぶちまけたようなものだ。まさに宮崎駿の強引な力技。

どうやら本当に彼はファンタジーなしでは映画を作れないらしい。とファンタジー漬けの自分が言ったところで何の説得力もないが・・・。

<注1>正確にいえば魔女宅もまっとうなファンタジー世界を舞台としている。だが、人間が身近に普通に暮らしているという観点から見たときの「千と千尋」と「魔女宅」の描かれる世界の違いを表すために魔女宅は現実世界が舞台であると書きました。

2021年12月25日 (土)

夢のシネマパラダイス348番シアター:偏執狂の詩

ゲーム

Game2 出演:マイケル・ダグラス、ショーン・ペン、デボラ・カーラ・アンガー

監督:デヴィッド・フィンチャー

(1997年・アメリカ・128分)1998/02/13・仙台第1東宝

評価★★★★★/95点

 

内容:「人生が一変するような素晴らしい体験ができる」。大富豪ニコラスが48歳の誕生日に1枚のカードを弟のコンラッドから受け取ったことから、さまざまな事件に見舞われるミステリー。現実とゲームの境界線があやふやなままに展開するストーリーに純粋に引き込まれるか引き込まれないかで、このD・フィンチャーが構築した新たな恐怖世界に対する評価はかなり変わる。試される映画です・・・。

“まやかしの★5つ!いや、永遠の★5っつ!?”

普通自分の中では★5つを付けた作品はいつ見ても飽きないし、いつ見ても★5つ。そんな自分にとって真にかけがえのない数少ない映画たちに★5つを付けてきた。

しかし、、である。この映画はそれらの映画とは一線を画する。

いつ見ても★5つではない。1998年2月13日に劇場で見たそのたった1回そのときだけのものである。

そして見終わってすぐ思ったのは、もう二度とこの映画は見ない、そう決心したのを今でもはっきりと憶えている。

そしてこの映画はその後自分の中で永遠に封印したはずだった。

はずだった、というのはつい先日不覚にもその封印を解いてしまったからなのだが・・・。

そして後悔。

見るんじゃなかった。やっぱり見るんじゃなかった。

劇場で体験した唯一無二の衝撃と笑撃、あの強烈な体験をそのまま追体験できるはずもなく。。

唯一無二の衝撃と笑撃、それはいわずもがな映画のラストに集約されるわけだが、と同時にこの映画を二度と見ることはないだろうと思わせしめたのもこの映画のラストに集約される。

個人的にいえばラストを知ってしまった以上は、この映画を再び見ることはほとんど何の意味もなさないと思う。

これは例えば自分が同じく★5つを付けた「スティング」や「ユージュアル・サスペクツ」、はたまた★5つは付けていないが同じ監督作の「セブン」などとは道理がちがう。

道理がちがうとは、つまり前記3作品にあって「ゲーム」にはないもの。それはズバリ伏線の有無である。

はっきりいって「ゲーム」には必要最低限の伏線、ニコラスの親父が家の屋根から飛び降りる場面、しか張られていない。

しかもこの伏線はアッといわせるラストでしか活きてこないわけで、中盤は全くのガラ空きといってもよいつくりになっている。

前記3作品を例にとると、大親分から50万ドルだまし取れるか、カイザー・ソゼとはいったい何者なのか、犯人は誰なのかという明快なコンセプトのもとで伏線をうまく絡ませることによってストーリーに厚みと深みをもたせることができ、ひいては登場人物それぞれの存在をも際立たせていくことにもつながっていく。

つまり、伏線というのは、ストーリーに幅をもたせることのみならず、ストーリーを安定させるという重要な役割も担うものだということ。

さて、、「ゲーム」である。

たしかに伏線が始めに張られ、それがラストで効いてくる必要最低限のことはやっている。しかし問題はその中身なのだ。

この映画でいう明快なコンセプトとは、“ゲーム”とはいったい何なのか、そして誰が黒幕なのかということだと思うが、それに対する中盤における伏線は一切無いといってもよい。

それゆえ非常に不安定な中でストーリーは進んでいき、見る側としても次第に不安を覚えていく。

ここでいう不安とは、先の見えないストーリーに対する足場のない怖さからくるサスペンス映画が本来もっている不安要素と、こちらの方が大きいのだがこの映画は果たして納得のいく着地をしてくれるのだろうかという映画そのものに対する不安である。

ともかく「ゲーム」という映画は、伏線がないことによって始めとラストをつなぐプロセスがほとんど欠けてしまい、ともすればこの映画本来のコンセプトさえぼやけて見失ってしまいかねない。映画を見るという我々の目的意識さえも麻痺させ停止させてしまうくらいに・・。

だが、それでも思わず★5つをつけてしまうのは、ラストの大どんでん返しによるところがやはり大きいわけで。しかもそのやり方が実に憎々しく、やられたというよりもこちらの戦意を喪失させるだけのパワープレイでぶん殴られたといったところか・・・。

そもそも力づくで映画のコンセプトを解決してしまうというのはこの上なく最低レベルのやり方なのだが、憎たらしいことにこの映画は始めの伏線によって一応納得させる形で解決させているし、“死”という人間の存在証明にとって究極のアイテムを持ち出してきて、しかもそれを逆転させてしまう。

この点については文句の言いようがないし、もうホント参りましたという他にない。

が、しかしそれが通用するのもたった1回だけ。2回目以降ではこの映画のパワープレイはもはや通用いたしません。

中盤プロセスが欠如している中で始めと終わりだけが糸一本だけでつながっている。

こんな映画、何回も見るだけ無駄っちゅうことですわな。

今度こそ封印は完了しました。★5っつとともに・・・。

 -------------------------

セブン

41pv7hfn55l__aa240_ 出演:ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン、グィネス・パルトロウ、ケビン・スペイシー

監督:デヴィッド・フィンチャー

(1995年・アメリカ・126分)1996/02/03・仙台第1東宝

評価★★★★/75点

内容:退職を1週間後に控えたサマセットと新人刑事ミルズのコンビは、被害者がキリスト教の七つの大罪に見立てられ殺害されるという連続殺人事件に直面していた。3人が殺されたところで、ジョン・ドゥという容疑者が捜査線上に浮かび、サマセットとミルズは男の部屋に踏み込む。しかしその時、帰ってきた男は2人にいきなり発砲して逃走するのだった・・・。

“大学受験で訪れた仙台の映画館で、よりによって試験前日にこの映画を見てしまったオレ・・・”

この映画を見たことによってある意味変な緊張感もどこかへブッ飛び、なぜか平常心で試験に臨むことができた・・。ミルズの境遇を思えば自分が今直面していることなんてちっぽけなもんさ、と。

そしてめでたくそこの大学を卒業してしまった次第です(笑)。

映画を見終わって泊まってたホテルまで歩いていったんだけど、仙台の街を歩いてみてこの町は好きだなぁ、肌に合うなと直感したくらいなんか分かんないんだけども温かかったことを覚えています。トレーシーが「この町は嫌い!」と泣きながら言ってたのとは違うぞ、と。

実際仙台はホント住みやすい良いところなんです。

と、仙台の宣伝はこのくらいにして、この映画で1番印象に残ったのは、なんといっても“雨”だよね。

ブラック・レインもおったまげなくらいの雨、雨、雨。

なんであっちの人って傘をささないのと思ったのはまず置いといて、この雨、明らかに計算された仕掛けとして映画の中で機能している。

というのもこの映画における“雨”というのは、ケビン・スペイシー演じる犯人の内面を表しているのではないか。

始めから終盤までずっと雨が降っているのだけど、ある時点で雨は完全に止み、そして完全に晴れる。

それは犯人が警察に出頭した時点を境にしているわけで、ようするに彼が言うところの努力と忍耐と観察力によって自分の果たすべき使命を全うしたことによる達成と成就と解放を暗示しているのだろう。

よって車の後部座席でみせる彼の笑顔がマジで怖いわけ。本当に晴れ晴れとしているわけだから。なんかオウム事件を思い出してイヤだったな。

ところで、この映画は現代社会における人々の無関心という側面を異様な形で切り取った映画だともいえるけど、そこでクローズアップされてくるのがミルズと妻トレーシーの関係。

夫婦関係という固い絆で結ばれているはずの2人が名もなき大都会という街のフィルターを通してみると実はそれぞれが無関心だったのではないか、少なくとも出世に躍起になっていたミルズは、ということが浮き彫りになっていく。

でも、それが罪になるかというと、しかもあんな仕打ち、、ってありなん?なんかデヴィッド・フィンチャーってものすごいドライで性悪なヤツだと思うわw

だってこんな世界に生を受けた子供は幸せなのか、こんな世の中で子供を育てられるのか怖いと思った、とサマセットに言わせしめるわけだけど、何なのこのネガティブマインドは。芥川龍之介じゃあるまいし(笑)

映画の中でずっと雨が降ってたのに、見終わって感じたのはものすごっドライな映画だったなぁということ。

だから逆に仙台の街が温かく感じられたのかもね。

 ------------------------

ミュージアム

Museum_large出演:小栗旬、尾野真千子、野村周平、丸山智己、田畑智子、大森南朋、伊武雅刀、松重豊、妻夫木聡

監督:大友啓史

(2016年・日本・132分)WOWOW

内容:ある雨の日。犬に食い殺された惨殺死体が発見され、現場にはドッグフードの刑と書かれた謎のメモが。それが自らをアーティストと呼ぶ“カエル男”による連続猟奇殺人事件の始まりだった。捜査を担当する沢村と西野は、残されたメッセージの解読に奔走。やがて、事件被害者たちがある事件の裁判員をつとめていた共通点に突き当たる・・・。

評価★★★☆/70点

全編雨降りの陰鬱な雰囲気、ジョン・ミルトン「失楽園」の七つの大罪ならぬ平安時代の僧・源信「往生要集」の八大地獄を想起させる際立ったグロ死体の数々。

これってどう見てもデヴィッド・フィンチャーの「セブン」なんだけど、カエル男のバックグラウンドに「砂の器」的な日本人独特の情念や悲哀を全く付け足さず、どこまでもドライで猟奇的なサイコ野郎に徹しさせたのは良い。

眉毛まで剃ったスキンヘッドの妻夫木も意外で面白かったし。

そのカエル男が引きこもり男の部屋に侵入してくる際に、ドアの向こう側からバンバンと叩く音がした後に鍵がガチャリと静かに開くシーンが、一人暮らしの自分には1番のホラーだった😵

けど、なんでこれがR指定にならないんだw!?

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

コレクター(1997年・アメリカ・116分)DVD

 監督:ゲイリー・フレダー

 出演:モーガン・フリーマン、アシュレイ・ジャッド、ケリー・エルウェス

 内容:ノースカロライナ州ダーハムで8人が失踪し3人が惨殺されるという連続女子大生誘拐事件が発生。ワシントンDC署の刑事クロスは、自分の姪が被害者になったことを知り、現地に向かう。が、そんな中、女性を監禁して飼育する異常犯人“コレクター”の魔の手が女医ケイトに忍び寄っていた・・・。

評価★★/40点

“犯人に2,3発銃を直にブッ放したい気分。”

 ------------------------

スパイダー(2001年・アメリカ・103分)WOWOW

 監督:リー・タマホリ

 出演:モーガン・フリーマン、モニカ・ポッター、マイケル・ウィンコット

 内容:政財界の重要人物の娘が誘拐される。犯人は、経歴を詐称して教師になりすましていた男。彼は、事件担当者にアレックス捜査官を名指しし、巧妙な犯罪ゲームを楽しみ始める。「コレクター」のJ・パターソンの原作を映画化。

評価★★★/60点

こっちの“模倣犯”の方が面白かったということだけはいえる。

 ------------------------

スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする(2002年・仏/加/英・98分)WOWOW

 監督:デイヴィッド・クローネンバーグ

 出演:レイフ・ファインズ、ミランダ・リチャードソン、ガブリエル・バーン

 内容:統合失調症の治療を終えて精神病院を退院した男デニス。彼は20年ぶりに故郷の町に戻り、ウィルキンソン夫人の家で同じような人々と共同生活を送ることになった。デニスはノートに少年時代の記憶をパズルを組み合わせるように書きつけていく。そして現実と妄想が混在する彼の記憶から血なまぐさい記憶が甦ってくるのだった・・・。

評価★★/45点

レイフ・ファインズの額に浮き出る血管がなんともイヤ。

てことは演技が上手いってことなんだけどもさ。。生理的にダメ。

夢のシネマパラダイス298番シアター:四月物語

四月物語

51arj15s7el 出演:松たか子、田辺誠一、加藤和彦、藤井かおり、光石研、江口洋介

監督・脚本:岩井俊二

(1998年・ロックウェルアイズ・67分)1998/03/20・シネ・アミューズ

評価★★★★/80点

内容:4月、北海道から東京の大学に進学した卯月。ただ単純に憧れだった山崎先輩と同じ大学に通いたいというだけの理由で上京した卯月は武蔵野で一人暮らしを始めた。同級生のさえ子やアパートの隣人の照子など個性的な友人たちとの交流の中で、卯月は東京での生活にも馴染んでいく。そして愛の奇跡を信じながら山崎先輩がアルバイトをする書店に通い続けるのだった。そんなある日、ついに山崎先輩は卯月のことを思い出す・・・。一人暮らしを始めた女子大生の日常をフィルム・エッセイ風に綴った青春物語。

“これはノスタルジーでもなければメルヘンでもない。”

リアルな物語。

4月のとある心象風景を柔らかく描き出したにしてもこれは実にリアルだ。

高校を卒業して田舎の盛岡から杜の都仙台の大学へ進学した自分にとってはホントにリアルな空気感。

春の陽光に包まれ、暖かくて甘酸っぱくて、桜の花びらの色みたいにポッと恥ずかしくて・・。心の中はまるで虹がかかっているかのように夢であふれている。

しかしこの空気感は、5月になるときれいさっぱり吹き飛んじゃうわけです。

ほのかな桜色はすっかり新緑へと変容をとげ、自分の心の中もすっきりと青空のごとく澄み渡る。

もはやそこに甘酸っぱい空気はない。新天地での一人暮らし、学生生活に完全に慣れてしまった自分がいる。

4月にしかない、新天地での4月でなければ味わえない独特な空気感。それをこの映画は巧く描き出してくれた。自分もこれと同じような空気を吸っていたんだよなぁと。

大学4年間自分の足となってフル稼働した自転車が出てくるのもなんか嬉しかった。

やっぱチャリンコでしょ。バイクじゃダメなんだよね。あの空気感は時速60kmじゃ味わえない。

それくらいほのかで微かな香り。しかし確実に自分の心、胸の中いっぱいに拡がっていく香り。

まぁあんなサービス悪い引っ越し屋さんには出会ったことないけどねw

ところで、大学に合格したのは愛の奇跡と呼びたい、というラストのセリフ。

あまりにも甘ったるくてイタイしカユイんだけど、ああいう理由で大学行ったヤツ何人も知ってます

ま、4月にはあんなセリフも言えちゃうし、そして許せてしまうんだよね。

5月になって言ってたらただのアホだけどさ。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

何者

O1080108014988234098出演:佐藤健、有村架純、二階堂ふみ、菅田将暉、岡田将生、山田孝之

監督・脚本:三浦大輔

(2016年・東宝・98分)WOWOW

内容:大学の演劇サークルで熱心に活動していた拓人も、今は就活に励む日々。拓人のルームメイトで、バンド活動をしている光太郎。その元カノで拓人が想いを寄せる真面目女子の瑞月。彼女の友人で意識高い系女子の理香。理香と同棲中で就活に否定的な隆良。彼らはひょんなことから理香の部屋を就活対策本部と名付けて定期的に集まるようになる。大学院生のサワ先輩に見守られ、就活に悪戦苦闘する5人だったが・・・。

評価★★★/65点

これだけの豪華若手陣を招集してこの出来かぁっていう腰砕け感の方がちょっと上回ったかんじ。

たぶん舞台演劇だったら面白かったんだろなぁと感じたけど、映画としてはテレビドラマの域を出ないレベル。

いやまぁ、自分も就活には良い思い出がなく、自己分析も中途半端なまま行き当たりばったりで臨んだものだから、結局中途半端なまま会社に入社して2年足らずで転職組に入っちゃったくちなので、あの頃の後悔とか苦い思い出がよみがえってきて何とも言えない気分になったけど・・。

さらに、自分が就活してた2000年ってネット就活の黎明期で、スマホもSNSももちろんなく、情報&他者評価依存に陥るなんてこともなかったので、そういう観点でみると今の若者はホントに大変なんだなと同情したくなった。

しかもツイッターすらやってないので、これ見てますますツイッターやる気なくしたw

で、この映画で1番共感できて刺さったのは、コータロー(菅田将暉)がミズキ(有村架純)と「実はオレら付き合うことになったから」と拓人(佐藤健)に告げるシーンの拓人の「えっ・・」て言うシーン。これと全く同じシーンが自分の記憶のカギをかけた箱の中にひっそりしまい込まれていることを思い出して、泣きそうになった・・。ガクッ

2018年8月25日 (土)

夢のシネマパラダイス303番シアター:猿の惑星

猿の惑星

T02200314_0336048012557580982 出演:チャールトン・へストン、キム・ハンター、モーリス・エヴァンス、リンダ・ハリソン、ロディ・マクドウォール

監督:フランクリン・J・シャフナー

(1968年・アメリカ・113分)WOWOW

評価★★★★★/100点

 

内容:ケープ・ケネディから打ち上げられた宇宙船は、1年6ヵ月後に不思議なくらい地球によく似た惑星に不時着した。船から脱出した飛行士のテイラーたちは、高度な文化を持って発達した猿が、原始人のような姿の人間を支配している光景に愕然となる。猿のジーラ博士はテイラーの知能指数が高いことに驚き、次第に彼の味方になっていく。

“この映画をつくったのがキリスト教圏の人々であったことにまずは驚く。”

バチカンがつい最近まで人間はサルから進化したのだというダーウィンの進化論を認めていなかったことは有名な話(1996年だったかに認めたらしいが)で、この映画が公開された1968年ならなおさら異端だったはず。

いやもしかして今でも敬虔なキリスト教信者は認めていないかも。だってアメリカでは進化論を教えていない学校がまだ多いらしいし。

学生時代にアパートで一人暮らしをしていた頃によくキリスト教関係の宗教の勧誘が来て小冊子を置いていったことがあるんだけど、中身を見ると本当に進化論は正しいの?とか、サルから人間へ進化する過程でミッシングリングがあるということはご存知でしょうかとか、こんなにある進化論の矛盾だとかいかにもな記事が目白押しだったのを覚えている。

へぇ~まだこんなことクソ真面目にやってるんだと逆に感心しちゃったけど。

さて、それ以上に感心してしまったのが、この映画。

なんてったって人間は下等な動物サルから進化したというならまだしも、サルが下等な動物ニンゲンから進化したのだという凄まじい社会を作り上げてしまったのだから。キリスト教もブッ飛びですな。

しかもコーネリアスが唱えている人間からサルへの進化説が完全にサル社会の中で異端となっているところがまた面白い。ザイアスは愚かな進化論だと一蹴してるわけっしょ。

しかもこのサル社会には神がいて、聖書があって、異端尋問まである。

ここに人間の文明社会への痛烈な皮肉と風刺が縁取られるわけで。

だって今までの人間の歴史は、宗教の名のもとに魔女狩りや虐殺、そして戦争まで平気でやってきているわけだから。ていうか今も相変わらずやってるんだよね・・・。

しかも宗教の対立となると、どちらも一歩も引かないから。やってる本人たちは真剣そのもの。どっちかが滅びるまで殺り合うしかないのか・・・。

そんなこと何年、何十年、いや何千年もやってきてホントにあんたら天国に行けるのかいとツッコミ入れたいけど、ラストのテイラーの台詞、、人間なんかみんな地獄に落ちるがいい!という言葉が痛烈というよりも虚しく響いて聞こえてくるのがなんとも悲しい。

このセリフの直後にパッと画面が変わって静寂なエンドロールが流れるからなおさら。。

この映画が内在している人間の文明社会への皮肉と風刺を宗教に絞って書いてしまったけど、それはもちろん宗教だけに限ったことではない。

例えばどことも知らない惑星、まぁ地球だったわけで、に不時着したテイラーたちが宇宙船を後にする時に、小さい星条旗をそこに掲げていくシーンがあって意味ありげにその星条旗がクローズアップされるんだけど、それもまたラストの自由の女神像で強烈な皮肉となってしまう。

ザイアスに言わせれば、人間とはあらゆるものに戦いを挑む好戦的な生き物である。その代表ともいうべきアメリカ。

しかもアメリカってどこかしこに星条旗をこれ見よがしに掲げるのが好きだから。

あのラストはそんな人間自身への強烈なアッパーカットでもあったわけだ。

 ----------------------

続・猿の惑星(1970年・アメリカ・96分)NHK-BS

 監督:テッド・ポスト

 出演:ジェームズ・フランシスカス、キム・ハンター、モーリス・エヴァンス、リンダ・ハリソン

 内容:前作の主人公テイラーの後を追ってやって来たもう一人の宇宙飛行士ブレントは、西暦3955年の猿の支配する惑星・地球にたどり着いてしまう。そして禁断地帯と呼ばれる地下で埋没したニューヨークの街を発見するが、そこには放射能の影響によってミュータントと化した人類がコバルト爆弾を神と崇め、地上復活を企んでいた。しかし、そこへ猿軍団が侵攻、猿族vs人間の最終戦争の火蓋が切って落とされようとしていた!

評価★★/40点

映画の作り手までもがサルなみになってしまった・・・。

地底人たちの異形以上に醜い姿が想像されて仕方ない。

 ----------------------

PLANET OF THE APES/猿の惑星

Pa 出演:マーク・ウォルバーグ、ティム・ロス、ヘレナ・ボナム・カーター

監督:ティム・バートン

(2001年・アメリカ・120分)MOVIX仙台

評価★★/40点

内容:近未来、宇宙を探検する人類の忠実な手足となって働くのは、遺伝子操作により知能を強化されたチンパンジーやゴリラなどの類人猿たち。しかし、宇宙飛行士レオが遭難した星では、猿が巨大な都市を築き、人間が周辺の森の中でひっそりと生活を送っていた・・・。鬼才ティム・バートンによるリメイク作。

“サルと人間という「種」の違いではなく、白人、黒人、猿人といった単なる「人種」の違いになっちゃってることにまったくもって興ざめ。。”

人間がちゃんと言語を話す能力を有していて(=文化を持てる)、言葉も通じちゃうわけだから、要は力があるかどうか、特に殺傷力のある武器を持っているかどうかに全てが集約されちゃう。

だから映画の展開もいやでもそこに向かって突き進んでいくしかないわけで・・・。

それゆえ例えば、ペットとして飼われているらしい人間の少女が檻の中に入れられているシーンなどはもはやお笑いにしか見えないというか見れないわけ。

そう、お笑いというスタンスでしかこの映画は見られない。。

例えば「ライトスタッフ」で、宇宙飛行士の代わりに、実験用のモルモットに過ぎないサルを乗せてロケットを飛ばすというプロットをそのまま借用してくるところなんかは、ブラックな皮肉も効いてて笑えるのだけど、はっきりいってこの映画、それ以外にサル(猿人)を出してくる必要も意味も全くない。

人間のみでいいわけでしょ。

どうせなら白人、黒人、黄色人種(イエローモンキーっつうくらいだからさ)でやった方がより面白いんちゃう?

その方がブラックな笑い満載でいいと思うんだけどねぇ。

 ----------------------

猿の惑星:創世記(ジェネシス)

Img_954561_35640057_0 出演:ジェームズ・フランコ、フリーダ・ピント、ジョン・リスゴー、ブライアン・コックス、トム・フェルトン、アンディ・サーキス

監督:ルパート・ワイアット

(2011年・アメリカ・106分)WOWOW

内容:サンフランシスコにある製薬会社でアルツハイマー治療の研究をしているウィル。動物実験でチンパンジーに開発中の新薬を投与したところ、チンパンジーの知能が驚異的に発達したことを確認するが、思わぬアクシデントからそのチンパンジーは射殺されてしまう。ウィルは、そのチンパンジーが産んだばかりの赤ん坊を秘かに引き取り、シーザーと名付けて育てることにするが、シーザーは母親からの遺伝により驚異的な知能を有していた・・・。

評価★★★☆/70点

不純物をいっさい含まない娯楽映画だ。

スタートからゴールまで寄り道をせず最短距離を脱兎のごとく駆け抜ける。

その爽快感たるや、これは王道娯楽映画ですよ!と割り切ったつくりになっているのだけど、しっかりオリジナル猿の惑星とリンクしたシーンもチョチョイと入れていて心憎い。

しかし、ゴールに着いてふと後ろを振り返ったとき、そこにカタルシスがあったかというとちょっと怪しくなってくる。

虐げられた奴隷が絶対権力に反旗を翻すというプロットはキューブリックの「スパルタカス」的だけど、歯向かう相手が保護施設の飼育員で魔法を使えないドラコ・マルフォイってのがスケールの小ささを如実に示していて(笑)、ちょっとパンチ力に欠けるかなと。。

なんか終わってみればSF大作というより、こじんまりとした品の良いパニック映画を見せられたかんじ・・。

 ----------------------

猿の惑星:新世紀(ライジング)

__2出演:アンディ・サーキス、ジェイソン・クラーク、ゲイリー・オールドマン、ケリー・ラッセル、トビー・ケベル

監督:マット・リーヴス

(2014年・アメリカ・131分)盛岡フォーラム

内容:シーザーが自由を求めて立ち上がり、人類への反乱を起こしてから10年。シーザーをリーダーとする猿たちは高度な知性をさらに進化させ、森の奥にコミュニティを築いて暮らしていた。一方人類は、ウイルスの災禍により90%が死滅し、わずかに生き残った者は、荒れ果てた都市の一角で身を潜めるように暮らしていた。しかしそんな中、人間側が電力を得るために山中のダムの水力発電を利用しようと技術者たちを向かわせるが、そこは猿たちのテリトリーだった・・・。

評価★★★★/80点

1968年のオリジナル作の原作者ピエール・ブールは、第二次大戦時に日本軍の捕虜となった苛酷な体験をもとに「戦場にかける橋」とこの「猿の惑星」を書いたことは有名な話。

映画では猿=日本人という露骨なニュアンスはほとんどないものの、人間社会への痛烈な風刺や社会批評を捉え、現実世界の合わせ鏡としての働きをもつSF映画の本領を強烈に発揮した作品となった。

その点でみると、今回のプリクエル2作目は、オリジナルの性格を最もしっかりと受け継いだ作品になっていたと思う。

つまるところそれは人間とエイプの争いを通して、戦争はどのようにして始まるのかということをシニカルな寓話として描き出した点にある。

お互い共存できると思っていたはずなのに、ほんの些細なことから肥大化していく恐怖、不安、疑念、憎しみ。それらが強力な軍事力と結びついた時、やられる前にやらなければならないという先制攻撃主戦論が幅を利かせてついには暴発してしまう。

そんな戦争原理に現代の資源獲得競争や領土問題、民族問題、文明と文明の対立といったメタファーを込め、現実の人間社会の業をうまく描き出していたと思う。

モーション・キャプチャーやフェイシャル・アニメーション技術などの最新技術が生み出した猿の表現力も驚異的で、映画のクオリティを二段くらい押し上げていたし、十二分に見応えのある作品になっていた。

あるテレビ番組で人間は放置していたら戦争する生き物なのだとどこぞの脳科学者が言っていたけど、文明を生み出す知恵をなんとか戦争しない方に使わなければならないのに、歴史を繰り返してしまうのが人間の業なんだよね・・・。

さあ、この後どうやって自由の女神が海岸に打ち捨てられる惨状につながっていくのか楽しみでならない。

 ------------------------

猿の惑星・聖戦記

Dejhhl3yhfpex7zdpgefcyj3dgt3fajbcvo7is8m出演:アンディ・サーキス、ウディ・ハレルソン、スティーヴ・ザーン、アマイア・ミラー、カリン・コノヴァル、ジュディ・グリア

監督・脚本:マット・リーヴス

(2017年・アメリカ・140分)WOWOW

内容:猿と人類の全面戦争が始まって2年。猿の群れを率いるシーザーは、奇襲を受けて妻子を殺されてしまう。敵軍リーダーである大佐への憎しみから、オランウータンのモーリスやチンパンジーのロケットらと復讐の旅に出るが・・・。

評価★★★/60点

エイプに父親を殺されながらすんなり行動を共にする口のきけない少女ノバにしろ、カーツ大佐そのもののウディ・ハレルソンにしろ行動原理にイマイチ説得力がなくてビミョーに違和感。。

さらに、LOTR?関ヶ原?ばりの種の存亡をかけた一大決戦が繰り広げられるのかと思いきや、物語の主軸が西部劇風のパーソナルな復讐譚という小風呂敷で、しかもその畳み方がかなり肩透かし。

猿vs人間ではなく、人間vs人間で最後は自滅って・・。猿がしたことって結局「大脱走」だけじゃんw

エモーショナルを超えるシーザーの圧倒的顔面力が物語の稚拙さを上回っていたのは特筆ものだったけど、なおさら残念感が際立ったなぁ。。

2018年5月 2日 (水)

夢のシネマパラダイス128番シアター:ホロコーストの悲劇

シンドラーのリスト

135740_01出演:リーアム・ニーソン、ベン・キングスレー、レイフ・ファインズ、キャロライン・グッドオール、ジョナサン・サガール

監督:スティーブン・スピルバーグ

(1993年・アメリカ・195分)盛岡フォーラム

評価★★★★★/100点

内容:第二次世界大戦下、1200人のユダヤ人の命をナチス・ドイツの虐殺から救った実在のドイツ人実業家オスカー・シンドラーの生涯を描いたヒューマンドラマ。トーマス・キニーリーが実際にシンドラーに助けられた人々の証言をもとに構成したノンフィクション小説をもとにしている。

“人が撃たれて棒切れのごとく倒れるシーンや、しおれた死体が焼かれるシーンより何よりも絶句してしまったラスト。”

シンドラーに命を救われた人々が、演じた役者たちとともに彼のお墓参りをするラストのエピローグ。

もう言葉にならなかった。

映画といういわば創作の中に実体としての存在が姿を現す。

ホロコーストという事実を伝えていかなければならない、語り継がなければならない、風化させてはいけないというスピルバーグの並々ならぬ強い意志を感じ取ることができる。

広義としての娯楽という枠を超えたこの映画のパワーに敬意を表して★5つにします。本当は序列などこの映画には必要ないし、あまりつけたくもないのだけど、原作、脚色がある以上やはり評価しなければならないかなと考えました。

しっかし、あのゲート所長も実在の人物ってとこが恐ろしいよなあ。架空の創作人物だとばっかり思っていたので。。

でも、1番見ていて言い知れぬ怖さに震えたというか引っかかったのは、ゲート所長の無差別射撃でもなければ赤い服の少女の遺体でもない。それは、貨車に詰め込まれたユダヤ人たちにシンドラーが水をかけてやるシーンで、それを見てヘラヘラ笑っているドイツ軍人たちの姿を見たときだった。

なんとも言い知れぬ嫌悪感と恐怖感に襲われた。

人が簡単に無意味に撃ち殺されるシーンなどは、あまりにも自分の住む現実世界からは程遠い出来事なので、主観の入り込む余裕さえない、いわばあくまでも客観的に距離を置いて見るしかなかったのだが、あのシーンだけは違ったのだ。自分の住む現実の日常にも潜んでいる差別、イジメみたいなものの本質が1番端的に現れていると感じたのだ。なにか自分にも身に覚えがある、、みたいな。

卑劣な行為を繰り返すドイツ軍と自分との間に接点みたいなものを感じてしまい急に恐ろしくなった。もし、あの時代あの場所で自分がドイツ軍人だったら同じことをしてしまうのではないか、と。

シンドラーの言葉が忘れられない。

「ゲート所長も戦争がなければ普通の良い男だ。日常の世界では良い部分しか表に出ない。戦争は人間の最も悪い部分を引き出す・・・。本当のパワーとは人を殺す正当な理由がある時に殺さないことだ。」

そう、それは許すこと。

 ----------------------

サウルの息子

B0138838_14554164

出演:ルーリグ・ゲーザ、モルナール・レヴェンテ、ユルス・レチン、トッド・シャルモン

監督・脚本:ネメシュ・ラースロー

(2015年・ハンガリー・107分)WOWOW

内容:1944年10月、ナチスのアウシュヴィッツ収容所。ここに収容されているユダヤ人のサウルは、ガス室へ送り込まれた同胞の死体処理を務めるユダヤ人特殊部隊“ゾンダーコマンド”のひとりだった。ある日、彼は自分の息子と思われる少年がガス室で虫の息になっているのを発見する。結局軍医に殺されてしまった少年をユダヤ教によって正式に埋葬してもらうために、サウルはナチスの監視の目を盗みながら奔走する・・・。

評価★★★★/80点

ホロコーストを題材にした映画といえば、「シンドラーのリスト」「戦場のピアニスト」「ライフイズビューティフル」「アンネの日記」などがあり、それぞれ違う角度から切り取った作品になっているけど、今作は今までにもまして異なる切り口の見せ方になっていて、映画の持つ奥深さを今更ながらに痛感させられた。

まずもってゾンダーコマンドという存在や役割自体初めて知って驚くばかりで、ナチスの民族絶滅政策の狂気と、人間はここまでおぞましくなれるのかという恐ろしさにただただ言葉を失った。

また、今までにない切り口の見せ方という点では、カメラが主人公サウルの上半身肩越しのクローズアップのみを常に捉えつづけ、彼の周りで繰り広げられる地獄絵図は常にピンボケしているという普通の映画ではタブーといっていい手法に驚かされた。

例えば、一人称のPOV視点であれば周りの状況にこそクリアにピントが合わされるのが常識のはず。しかし今作はその全く逆の手法で表現していて、彼の見聞きしたいものにはピントが合い、したくないものにはピントが合わないというふうになっている。

ただ、ぼやけた背景でも、異様に混ざり合う音と感情のない機械的なサウルの動きと断片的に映り込むモノとして扱われる人々のシルエットから、そこで一体何が起きているのかをかえって鮮明に想像させる画作りになっていて、まさに今まで見たことのない映画体験だった。

映画の教科書にはまず載っていないであろう映像表現に徹した奇抜さを、監督は「鍵穴から覗いているイメージ」で撮ったと語っていてストンと腑に落ちたのと同時に、この作品を感動ものにも英雄ものにもしたくない、ホロコーストはそんなものではないという強い意志を感じられた気がした。

見るよりも感じる映画。

とりあえず心の中で静かに拍手を送りたい。

 ----------------------

杉原千畝 スギハラチウネ(2015年・東宝・139分)WOWOW

 監督:チェリン・グラック

 出演:唐沢寿明、小雪、ボリス・シッツ、ミハウ・ジュラフスキ、塚本高史、濱田岳、小日向文世

 内容:1934年。満州国外交部で働く杉原千畝は、北満鉄道譲渡に関わる日ソ交渉に携わり日本有利に事を進めることに貢献する。その後、外務省のモスクワ大使館への赴任が決まるが、先の活躍に神経を尖らせるソ連から入国を拒否されてしまう。結局1939年、彼はリトアニアの日本領事館に赴任する。そんな中、第二次世界大戦が勃発、ナチスの迫害を逃れた多くのユダヤ人が領事館に押し寄せてくるが・・・。

評価★★★/65点

上司から君の推測はいつも正しいと評価される良識と先見の明を兼ね備えたスーパー外交官・杉原千畝。

その感性は、今を生きる現代日本人と何ら変わりがなく、イケイケどんどんで暴走していく当時の日本人とは真反対のヒューマニスト・善人観には逆にある種の違和感を覚えなくもない。

それは「太平洋戦争を回避しようとした外交官の物語」とわざわざ強調する冒頭のテロップを見た時から感じていたことだったけど、歴史を知っている現代人の美化のバイアスがかかった筆加減はやはり気になるところで、しかもそれが演出の掘り下げをかなり平板なものにしているので、どこか薄っぺらく見えてしまうところもあり・・。

外交官・杉原千畝のインテリジェンスは世界情勢を間近に見る最前線に立つ者だからこそ得られるものなのかもしれないけど、人間・杉原千畝の思いや内面といったものがイマイチ伝わってこず、言い方は悪いけど全体的に退屈な映画だった。

本家本元の「シンドラーのリスト」と比べるのは酷とはいえ、もうちょっと焦点をしぼって描いてもよかった気がする。

 ----------------------

ヒトラーの贋札

Nise_2 出演:カール・マルコヴィクス、アウグスト・ディール、デーヴィト・シュトリーゾフ

監督・脚本:ステファン・ルツォヴィツキー

(2007年・独/オーストリア・96分)WOWOW

内容:第二次世界大戦の最中、ナチスは米英の経済崩壊を狙うため贋ポンド札を製造するベルンハルト作戦を計画。世界的贋作師サリーや印刷技師ブルガーなどザクセンハウゼン強制収用所にはユダヤ系専門家たち数十人が集められた。収容所内で破格の待遇を受け、贋ポンド作りに従事するサリーたちだったが、自分の延命と引替えに同胞を苦しめるナチスに荷担するジレンマに次第に葛藤と苦悩を深めていく・・・。

評価★★★★/75点

贋札というと、真っ先に「ルパン3世カリオストロの城」に出てくるゴート札を思い出しちゃうんだけど、実際に国家ぐるみの贋札製造作戦があったなんて初めて知ったな。

と同時に、戦争ってのは手段を選ばない何でもありのものなんだなということも実感。

その最たるものがホロコーストなわけだけど、命の灯を簡単に握りつぶされてしまうような苛酷な状況の中で、その殺戮者たちの悪事に手を貸さなければならないなんて・・・。しかもその悪事が成功すれば、ますますもって家族や同胞を苦しめることにつながってしまう。が、逆に失敗すれば、即ガス室送り・・・。

自分の命と正義感を天秤にかけられるという究極の選択、その苦悩と葛藤の中で描き出される生への執着と一縷の信念。

こんなことを言ってはあれだけど、一級の娯楽作として申し分ない要素を兼ね備えた作品に仕上がっていたと思う。

まるで収容所というよりは刑務所を舞台にしたスリリングな犯罪劇でも見ているようなかんじで、ホロコーストを扱った今までの作品群とは趣を異にする視点だったけど、薄っぺらい壁一枚隔てた向こう側に横たわる累々たる死がホロコーストの恐怖をいやが上にも実感させて緊張感は途切れることがない。

また、主人公サリーの人物像も、転んでもただでは起きないような狡猾でズル賢いキャラクターで、そういう視点でも面白い作品だったと思う。

ホロコーストについて毎度のごとく考えさせられるとともに、究極の人間ドラマとスリリングなサスペンスの娯楽作としても楽しめてしまうトンでも映画。

それが「ヒトラーの贋札」なのです。。

 ----------------------

夜と霧(1955年・フランス・32分)NHK-BS

 監督:アラン・レネ

 内容:ポーランドのアウシュビッツ強制収容所に関する短編記録映画。第二次大戦中のナチスによる残虐行為の数々を、カラーでとらえた廃墟のアウシュビッツと、モノクロの当時の再現場面とのモンタージュ構成によって描き出す。

評価:点数付けたくありません。。

見る前の30分。「おおし、これ見たらプレステやっぞー!」

見ている30分。胃がキリキリと痛む悪夢。

見た後の30分。・・・・・・・・・。

しかし、1時間後にはゲームという仮想世界に逃げ込んでしまうのだった・・。

ただ、自分にできること。この映画を見た記憶を忘れない。この映画を忘れない。

2018年4月 6日 (金)

夢のシネマパラダイス2番シアター:スタンド・バイ・ミー

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?(1995年・日本・45分)WOWOW

 監督・脚本:岩井俊二

 出演:山崎裕太、奥菜恵、反田孝幸、小橋賢児、田口トモロヲ、麻木久仁子、光石研

 内容:小学生最後の夏休みの登校日。親友同士のノリミチとユウスケは2人とも同級生のナズナに想いを寄せていた。しかし、ナズナは両親の離婚により母親に引き取られて休み明けに転校することになってしまう。そんなこととは知らない2人は、プール掃除をさぼって50m競争をすることに。ノリミチがターンの時に足をぶつけたことでユウスケが先にゴールするのをプールサイドで見ていたナズナは、夜に行われる花火大会にユウスケを誘うのだが・・・。 

評価★★★☆/70点

20数年ぶりに見て、「花火大会行かないの?」「どうしよっかなぁ、今日ヴェルディとマリノス戦あるからなぁ」という会話に1番ノスタルジーを感じた(笑)。

それはともかく、今見返してみると子役を光り輝かせるという点で是枝演出と比較すると雲泥の差があるとはいえ、ミニマムな世界観しか持ち合わせていない男子が紅一点ミステリアスな存在感を醸し出すオトナ女子に振り回される構図は、どストライク。

あんな経験あるわけないんだけど、男子の妄想の共感ポイントを恐ろしいほど押さえていて、なんだか見ていて背中のあたりがこそばゆくなってしまったw

これ女性から見ても甘酸っぱいノスタルジーを抱くんだろうかというのは興味のあるところかも。。

まぁ、もともとがTVドラマ用ということで全体的な古臭さがどうしてもあるので、心の宝箱の中にそっと仕舞っておこうか。

 ------------------------

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

172123_02声の出演:広瀬すず、菅田将暉、浅沼晋太郎、宮野真守、梶裕貴、花澤香菜、松たか子

監督:新房昭之

(2017年・東宝・90分)WOWOW

内容:とある海辺の町。夏休みの登校日、典道たち中学1年の男子たちは、夜に開催される花火大会を前に「打ち上げ花火は横から見たら丸いのか? 平べったいのか?」という話で盛り上がっていた。そしてそれを確認するため、町の灯台から花火を見ようと約束する。一方、典道が想いを寄せるクラスのマドンナ・なずなは、母親の再婚が決まって転校することに。それに反発するなずなは典道を誘い、駆け落ちして町から逃げ出そうとするが・・・。

評価★★/45点

二者択一のパラレルワールドを描いた実写版からタイムリープの要素を取り入れ、物語に連続性をもたせたアニメ版の作劇は大いに納得するところ。

が、しかし、これが悲しいことにめっぽうツマラナイのである(笑)。

このての作品でここまで面白くないのも珍しい。

と考えると、過去に戻ってリセット&やり直しを繰り返すのはアニメ版の時をかける少女と同じ展開だけど、かの作品にあって今作にないものは、取り返しのつかない喪失とそれを受け入れる強さ。

せっかく小学生から中学生にキャラ年齢を上げた意味がないし、ここの重しがすっぽり抜け落ちているので締まりのない作品になってしまった。

さらにそれに加えて、今作のタイムリープがおそらく主人公の潜在意識が作り上げた仮想世界(クリストファー・ノーランのインセプションのような)という分かりづらい設定のため、より中途半端さが際立ってしまったかんじ。

「今度会えるのはどんな世界かな」というなずなのセリフがちゃんと響いてくるような作品になっていれば、、残念。

 ------------------------

SUPER8/スーパーエイト

Img_1531134_51886946_0 出演:ジョエル・コートニー、エル・ファニング、カイル・チャンドラー、ライリー・グリフィス、ライアン・リー

監督・脚本:J・J・エイブラムス

(2011年・アメリカ・111分)WOWOW

内容:1979年夏、オハイオの小さな田舎町。保安官の父ジャクソンと2人暮らしの少年ジョーは、チャールズら4人の友人と8ミリの自主映画作りに没頭する日々を送っていた。ある夜、恋心を抱いていたアリスをヒロイン役にスカウトすることに成功した彼らは町の駅で撮影を行っていたが、その最中、軍用列車の脱線事故に巻き込まれてしまう・・・。

評価★★★★☆/85点

映画開巻直後にアンブリンのタイトルロゴが出てくるとワクワクしていた少年時代、変な邪推や事前情報に触れすぎた上での杞憂など関係なしに純粋に映画を見られたあの頃の童心に帰れるという点で自分にとってはまさに奇跡のような映画だ。

バック・トゥ・ザ・フューチャーに出てくるようなアメリカ郊外の街並み、ガラクタやおもちゃで散らかっている少年の部屋、ひと夏の冒険、初恋、トランシーバー、風に流されていく白いスモーク、画面に射し込んでくる青白い光の帯、高速の列車にピックアップトラックで突っ込んでいった先生が生きているリアリティのなさに至るまで、デジタル化する一歩手前の80年代映画チックな要素に包まれた作風にドンピシャでハマッてしまった

6人の少年少女のキャラクターもデブに出っ歯にメガネにひ弱にハカセに大人びたヒロインと申し分ない造型で、グーニーズはもちろんのことズッコケ3人組まで思い起こしてしまったw

ジュブナイルものとして近年稀にみる最良の映画になっていたと思う。

列車転覆シーンのしつこいくらい大仰な力の入れ具合はちょっとこの映画にはミスマッチのような気がしたし、大団円で主人公とエイリアンが目と目で会話し心が通じてしまう印象的なシーンを撮っておきながら全くそのエイリアンに感情移入できないというのも問題があるけど、自分が子供の頃にワクワクドキドキしながら映画を見た思い出のかけらをひとつひとつ吸い寄せて珠玉の映画体験を提供してくれた製作陣に拍手(*^ー゚)bグッジョブ!!

マイケル・ジアッチーノの音楽も相変わらず鉄板ものだったし、なによりJJエイブラムスのあふれる映画愛に乾杯です!

 ------------------------

E.T.

Ettheextraterrestrialposter1 出演:ヘンリー・トーマス、ドリュー・バリモア、ディー・ウォーレス・ストーン

監督:スティーブン・スピルバーグ

(1982年・アメリカ・115分)NHK-BS

評価★★★★/80点

内容:アメリカの小さな町へ植物採集にやって来たUFOが、E.T.を一匹(?)置き去りにしたまま飛び立ってしまった。住宅の物置に隠れたE.T.の気配に気づいた10歳の少年エリオットは、初めはおっかなびっくりだったが次第に仲良くなり、兄妹とともに彼を星に帰すべく努力する。E.T.は故郷の星との交信を試みるが、その間にも異星人を追うNASAの手が迫ってきていた・・・。

“この映画は自分にとって、過去にタイムスリップさせてくれるデロリアンなのです。”

ひと昔前の映画を見ているときに、ふとその作品に触れていた当時の情景や記憶、想いがノスタルジックな甘みを伴なって甦ってくることがある。

それは自分の場合、小学生の頃に出会った映画が主なのだが、今作はその中でも自分にとって御三家の一本と呼ぶべき作品だ。

ちなみに他の2本は「グーニーズ」と「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で、3作ともだいたい80年代後半、小学生の時に金曜の夜や土日にテレビで出会った映画たちだ。

ポテチを口に頬張って目を輝かせながら映画という冒険旅行を楽しんでいたあの頃。

土曜日は学校でその映画の話でもちきりだったなぁ。

学校は午前中で終わり、午後から完全に自由にはばたけるため心もどこかテンションが上がってしまう、そんな高揚感と昨日見た面白い映画の話で盛り上がる楽しさ。

こんな幸せなことはないのではないかと、あれから年月が経って久しぶりに映画を見たときにまるで「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のタイムスリップのようにあの頃の幸せな記憶と情景が頭の中を駆け巡るのだ。

「E.T.」は自分にとって、まさしくそんな映画なのだ。

ところで、久しぶりに見て再発見。

この映画にちゃっかりスター・ウォーズのヨーダが出てきよるのね。ハロウィンでヨーダの着ぐるみを着た人とすれ違った時にETが「Home!」と指差すシーン。

ああそうか、ETは惑星ダゴバの近くから来たんだねと確信(笑)!

そういえばSWエピソード1の評議会のシーンにしっかりETも出席してたっけ♪

 ------------------------

奇跡

20111227105809fc5s 出演:前田航基、前田旺志郎、大塚寧々、オダギリジョー、夏川結衣、長澤まさみ、阿部寛、原田芳雄、樹木希林、橋爪功

監督・脚本:是枝裕和

(2011年・日本・128分)WOWOW

内容:小学6年生の航一と小学4年生の龍之介は仲の良い兄弟。しかし両親が離婚してしまい、航一は母親の実家の鹿児島で、龍之介は父親と福岡で暮らしていた。家族4人でまた一緒に暮らしたいと願う航一は、ある日、九州新幹線全線開通の日に上りと下りの一番列車がすれ違う瞬間を見れば願いが叶うという噂を耳にする。さっそく航一は龍之介と連絡を取り、それぞれの友だちと一緒にすれ違うはずの地、熊本へ向かうのだが・・・。

評価★★★/60点

中だるみこそが映画なのだといわんばかりの日常描写はプチドキュメンタリーぽい要素も織り込み是枝節らしい語り口なのだけど、今回にかぎってはそこに作為的ないやらしさを感じてしまいイマイチ映画に入り込むことができなかった。

それはつまるところ大人視点の鋭い毒や残酷さ=社会に対する批評性が驚くほど皆無で、ちょっと肩透かしというか面食らっちゃった部分が大きいんだけど、なにか子供の絵日記を見ているようなかんじで、ここまで純粋な子供の映画だとは思いもよらなかった。

豪華すぎる大人たちは店の軒先で、教室の教壇で、家の食卓で、子供たちのそばに佇んで見守っているだけ。

もっといえば映画の作り手、監督さえもカメラの横で佇んで見守っているだけで、何のハプニングも事件も、そして奇跡さえも起こりはしない。ちょっと良いことが起こるだけだ。

そこに物足りなさを感じてしまったというのが正直なところなのだけども、まえだまえだを始めとする子役たちの自然体な演技に引っ張られて最後まで映画を見守ることはできた。

奇跡らしい奇跡は何も起きないけど、奇跡を信じて自分たちで行動し、世界を垣間見て、現実を肯定し、新幹線より速いスピードで成長していく子供たちの姿そのもの=生きるということそれ自体が奇跡といえるのかもしれない。

でもまぁ、パンチのある濃ゆい味好きの自分は“かるかん”のようなうっすらぼんやり味の映画はあまり好みではないようだ・・w

 ------------------------

スタンド・バイ・ミー

Standbyme03 出演:ウィル・ウィートン、リバー・フェニックス、コリー・フェルドマン、ジェリー・オコンネル、キーファー・サザーランド、リチャード・ドレイファス

監督:ロブ・ライナー

(1986年・アメリカ)NHK-BS

評価★★★★★/100点

内容:オレゴンの片田舎。夏休み、4人の少年が行方不明になった男の子を捜しに線路伝いに森へ分け入っていくと、、、そこには男の子の死体が!ノスタルジックな物語にさわやかな映像美がマッチして胸を打つ。鉄橋を歩いている時に突然列車がやって来るシーンなど名場面も多し。原作はS・キングの小説「死体」。

“懐かしき我が思ひ出の地、宮古よ!

久々に見たけど、やっぱりイイものはイイってことですな、ハイ。

ただ、初めてこの映画を見た11歳の頃と比べるとインパクトは薄まってたし、もっと突っ込んで言えば、この映画に対する思い入れみたいなのも何か消え去ってたなぁ。。

なんか冷めて見てる自分がいて。

ゴーディやクリスの悩みなんて今の自分の悩みに比べたら小っぽけなもんじゃねえかよwっつーか問題にするまでもねえよみたいな。

あれっ、こんなことで悩んでたっけオレってかんじで。

でも、子供の頃ってそうなんだよね、考えてないようでちゃんと考えてるんだ。

幼稚園、いやもっと前からいろいろ考えてたもん。周りからはネズミみたいにちょこまか動き回るカワユイ男の子とかって可愛がられてたけど、もう既に悩んでたもんな。。大人からみれば取るに足らないもの凄く小っちゃいことであり、もの凄くカワイイことであり。

ゴーディとクリスの悩みだってそうじゃない?切実にボク生まれて来なけりゃよかったのかもとか、橋の下で拾われたのかもなんてこと誰だって1回は思ったことあるっしょ。ましてや親への反抗なんて誰にだってある。

クリスだってアル中親父とヤンキー兄貴というヤバそうな家庭環境の中で結局進学クラスに行ったんでしょ。

現に、ゴーディはクリスに対して、「進学クラスに行けるよ」とサラッと言い、クリスはゴーディに対して「親は君のことをちゃんと愛しているよ」とサラッと言い。でもお互いそのことで凄く悩み・・・。

あの11歳当時めちゃくちゃ感情移入してこの映画見てたボクと、あれから年月が経った今の自分。

やっぱちょっとは成長したってことなんでしょうか

でも、この映画から得られるノスタルジーは変わらない。

自分が今振り返ってみて1番輝いていたのは9~12歳くらいだと思うし。ホントの親友と呼べる友だちがわんさかいたのもあの頃。野を駆け、山を越え、沢を渡り、木に登り、ボールを追いかけ、秘密基地を作り、海で泳ぎ、知らない人の畑のブドウを貪り食い、チャリンコで冒険旅行と称して北にあてもなく向かい、、塾になんて行かなくていい、この大自然の中で大いに遊びなさい、と言ってくれたオトンとオカンに感謝!

今どうなってるんだろうなぁ。懐かしき宮古よ。考えてみたら4年間しかいなかったんだけども。良い思い出ばっかりだからかな。一生忘れることはないだろう。

って自分話に収束かよっ

2018年1月 2日 (火)

夢のシネマパラダイス139番シアター:スター・ウォーズエピソード3/シスの復讐

321602view003 出演:ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ヘイデン・クリステンセン、サミュエル・L・ジャクソン、イアン・マクディアミッド

監督・脚本:ジョージ・ルーカス

(2005年・アメリカ・141分)2005/07/21・盛岡フォーラム

評価★★★★★/90点

内容:アナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーとなる過程など、すべての謎が明らかにされるSWサーガのシリーズ最終作。共和国と分離主義者の戦いは、全銀河に拡大。拉致されたパルパティーン最高議長を、オビ・ワンとアナキンが救出するが、アナキンはジェダイに反旗を翻し・・・。

“終わりではなく、始まりなんだ!!”

タトゥイーンで水平線に沈んでいく双子の夕日を見つめるラーズ夫妻、その手にはしっかりと抱きしめられたルークが。

このラストを見て、スターウォーズサーガが完結したという感慨よりも、サーガが遂に幕を開けたという感慨の方がひときわ強かった。

においが全くしないこの映画の中で唯一においが立ち込める異質なシーンがこのラストシーン。

そう、30年前の「スター・ウォーズ」のにおいだ。

オビ・ワンのジェダイのマントからでさえもこの時ばかりはプンプン匂ったねアレック・ギネスのにおいが。

このラストシーンにはそれまでの余計なツッコミを入れる気をなくさせるくらい本当のフォースがあったし、このシーンだけでこの映画ひいては旧シリーズと新シリーズの間に絶大なバランスをもたらした。

それにより無理矢理の★5つに、させられました。

まあ自分の場合、エピソード1のときはジェダイ聖堂に堂々と入っていけるほどの善の人だったのだけど、エピソード2においてシスの暗黒卿ダース・ジョージ・ルーカスの強引な手法によりデジタルテクノロジーというダークサイドに引き寄せられて落ちてしまった・・。

そしてついに今作でわたくしダース・レアル・マドリディスタは完全に操り人形と化したのだったw

ダース・ルーカスの繰り出す技の数々にきわめて従順なイエスマンと成り果てあとはなすがまま。いや、それどころではない。上映20分くらい前から劇場で鳴り響き始めたジョン・ウィリアムスの音楽にすでに気分は高揚。

そして“遠い遠い昔、、、”とともに幕を開けたオープニングのテロップの一行目の最初の文字「WAR!(戦争だ!)」、この3文字+ビックリマーク!を見た瞬間にマグマ噴出、心の中でもの凄い雄たけびを上げていた、、、ウォーーーッ!

完全にこの映画の虜となってしまった自分。

なんという変わりようだ。エピソード1をこきにこき下ろしていた自分が、まさか喝采するまでに至るとは。。

どうやらアナキンと同じ道を歩んでしまったらしい。

しかし、ラストで大いに救われた。昔の善き心を取り戻すことができたのだから。そうでなければおそらく旧シリーズと新シリーズを自分の中で分断させたままにしてしまうところだった。

でもエピソード2もそうだったけど、相も変わらずヘイデン・クリステンセンには脱帽。あの目の力よ。

よーし、もし子供が出来たら絶対旧シリーズから見せてやるぞ。

それがダークサイドに落ちた自分のせめてもの罪滅ぼしだ。

Posted at 2005/07/22

夢のシネマパラダイス138番シアター:スター・ウォーズエピソード2/クローンの攻撃

Star20wars20_02 出演:へイデン・クリステンセン、ナタリー・ポートマン、ユアン・マクレガー、サミュエル・L・ジャクソン、クリストファー・リー

監督・脚本:ジョージ・ルーカス

(2002年・アメリカ・142分)2002/07/31・MOVIX仙台

評価★★★★/80点

内容:前作から10年後。銀河共和国はまたもや混沌の中に陥ろうとしていた。これまで謎のベールに包まれていた“クローン戦争”勃発の真相が明かされる。シリーズで初めてロマンスが描かれたことも話題に。

“ズタボロにこき下ろしたエピソード1は点数なし。しかし、今回は、負けた。”

たいして期待していなかったのが功を奏したのか、いやそれにしたって正直驚いたぞ、この出来には。

ジャー・ジャー・ビンクスが後ろに引っ込むだけでこんなにも違うものなのか(笑)!

というのもエピソード1に関して自分はデジタルテクノロジーというダークサイドに完全に落ちてしまったと書いたわけだけど、その象徴的な存在がジャー・ジャー・ビンクスだと感じていて。なにしろ生身のダース・モールよりも出番が多いというのは個人的には到底受け入れがたいものがあったわけで。

それが今回はちゃんと人間を描いているではないか!

こう言い切っちゃうと他の骨太な人間ドラマを扱った映画たちに失礼なのだけど、あくまで一連のSWシリーズの中でのレベルの話ですので

さらにちゃんと描いているといえるのは、アナキン・スカイウォーカー=へイデン・クリステンセンただ1人のみについてですので

しかもちゃんと描いているといえる根拠は、彼の表情と眼差しのみに拠っているだけですので。。そしてそれはルーカスのご指導の賜物によるものなのか甚だ疑問符が付くので、、その点はあしからずww

だって、怒りや憎しみ、はたまた恋愛感情といったものをストーリーに織り込めば自ずと薄っぺらでも人間を描くことにはなるわなぁ(笑)。つまり分かりやすく言えば内面を描くということだよね。

SWに関していえば、ジェダイがもともとそういう感情を持ってはいけない設定になっているので、人間のキャラクターに対する描きこみというのは非常に表面的で深みがないものだった。まあ強いていえば、非常に人間臭いハン・ソロがそういう部分を背負い込んでいたとも言えるけど。

ともかく今作では人間を描くことに不可欠なファクターがルーカスから提供された。そしてそれをヘイデン・クリステンセンは論理的に巧くというよりも直感的な閃きみたいなもので演じきっていると感じたのです。

母親を殺した犯人を皆殺しにしたときに「奴らが憎い!しかし皆殺しにしてしまった自分が恥ずかしい・・・」とオビ・ワンに言うときの表情や、アミダラを見るときの表情、特に全般を通してヤツの“目”なんだけども、演技力というよりかはもっと独善的でギラギラしたヘイデン・クリステンセン自身の自己主張が滲み出てしまっていると感じた。

ふむふむ、こりゃダークサイドに落ちるな、と(笑)。

でもこれって実は重要。

エピソード3でダークサイドに落ちることが分かっているキャラを演じることの難しさ。

なんてったって観客の心理ベースはすでにエピソード3を見据えたところにあるわけだから、エピソード2で立ち止まっていなければならない演者にとっては酷というものです。

アナキンがダークサイドに落ちるであろうエピソード3の前段階、伏線にあたる今作でそれを匂わせる片鱗を垣間見せた。まあシナリオに織り込みずみで、当然といえば当然なわけだけど、がしかししっかりと地に足をつけながら、しかも自分主体でその片鱗を見せたというところに自分は非常に好印象を抱いた。おそらくルーカスにそこまでの演技指導力はないだろうから・・・

ちょっとベタ褒めしすぎちゃったかな。でも巷でのヘイデン・クリステンセンの評価が意外に低いなあと思ったものだから。。

さて、エピソード1の拙レビューにも書いたけど、新3部作を評価するにあたっての個人的な評価基準は、ルーカス自身によって旧3部作で作り上げられたSWの作品世界の枠、殻をどれくらい打ち破れるかにあると考えていて。

その中で、エピソード1に関しては、評価することすら躊躇してしまう出来だと個人的には思ったので、評価無しにした。

そしてエピソード1を見るにつけ、その枠、殻を打ち破るのは到底不可能なのではないかと思うに至ったわけで。だからエピソード2もまあ無理だろうなと決め込んでかかったのが、蓋を開けてみたら、ムムッ、これは・・・。

殻をブチ破る!!とまではいかないまでもそういう匂いはプンプンこの映画から感じ取れた。今までのSWとは明らかに何かが違う。

エピソード1が完全なダークサイドに落ちるきっかけとなったルーカスのデジタル技術志向は、弱まるどころかますます強まり、もうダークサイドさえ突き抜けちゃったかんじ。正直、ルーカスのあふれんばかりの創造力に自分は屈してしまった・・・。兵器やメカもほとんど一新されてるし。

あ゛ー、、ついに自分もダークサイドに落ちてしまった~。

そして前述したヘイデン・クリステンセンの自分主体の演技によるアナキンをはじめとして、オビ・ワン、マスター・ヨーダ、3POetc..SWキャラ総動員で見せ場もたっぷり。しかもダース・ベイダーのテーマ曲のオマケつき。

オイオイ、このままじゃ溢れちゃう溢れちゃうってと普通はなるところを非常に速い展開と画面構成で消化させていく。今までのSWでは考えられなかったことでしょ。やけに疾走シーンが多かったのもこのこととは無関係ではないだろう。

マスター・ヨーダが四面楚歌状態のアナキンたちを助けに来るシーンの俯瞰ショット、戦闘シーンでのカメラのブレや急激な寄り(これはあまりにもベタで笑ったが)、草原&湖(まさかSWで見るとは思わなかった)、唸るライトセーバー、ジョン・ウィリアムスの音楽。

とにかくなんだか分からないけど、作り手のこいつらはこいつらでテンション高くなってるゾと感じた次第です。

こいつらに付き合ってやりますか、エピソード3まで。と気持ちを新たにしたのだった。

Posted at 2002/08/03

夢のシネマパラダイス137番シアター:スター・ウォーズエピソード1/ファントム・メナス

85110view011 出演:リーアム・ニーソン、ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ジェイク・ロイド、サミュエル・L・ジャクソン

監督・脚本:ジョージ・ルーカス

(1999年・アメリカ・133分)1999/08/09・仙台第1東宝

評価・点数なし(計測不能)

内容:昔むかし、はるか、はるか彼方の銀河系で、、、惑星ナブーが通商連合軍のドロイド部隊によって突如侵略を受ける。ナブーの指導者アミダラ姫は、ジェダイの騎士クワイ=ガン・ジンと弟子のオビ=ワンに救出され、惑星タトゥイーンに逃げ延びる。そしてそこでクワイ=ガンは、底知れぬ理力を秘めた少年アナキン・スカイウォーカーと出会う。

“デジタルテクノロジーというダークサイドに完全に落ちてしまったこの映画に、アナキンがいかにしてダークサイドに落ちていくかなど語る資格はない。”

というか語ってもらいたくなかった。どうせ薄っぺらくなっちゃうのが目に見えてるんだから、と思っていたら、、おっと、それはつづくエピソード2、3のレビューで。

さておき映画に限らず人間が創造してつくってきた芸術作品、あるいはそんなものじゃなくても例えばチームの戦術組織と選手個々の連動のバランスの上に成り立っている自分の大好きなサッカーでもいい。

それらを見て、その作品や試合から役者たちも含めた作り手側の匂いとか想い、あるいは選手の勝ちたいというがむしゃらな意識、そういう“魂”を感じ取れた時にはじめて見る側は、自分の魂と共鳴してうわー凄い映画だとか、もの凄い試合だとか思ったり感動したりすることができるわけで。

ここで誤解のないように言えば、そういう魂は自分の魂と別に共鳴しなくてもいいわけ。あっ、これは自分とは合わない映画だなとか、これははっきりいって嫌い!とか自分の中で評価できるわけじゃん。

そして虚構ではないサッカーの試合は言うに及ばず、普通大多数の映画はそういう魂を持ってるものなんだよね。その魂が強いとか弱いとか好きとか嫌いとかいう違いはあれ。

具体的にいえば、それは監督独特のアクの強さだとか色であり(例えばポール・ヴァーホーベンだとかジャン・ピエール・ジュネだとか)、演じる役者の個性とか意志であり(「七人の侍」の三船敏郎とか「インサイダー」のラッセル・クロウだとか)、オレたちゃこういう映画を意地でも世に送り出したいんだという作り手総意の想い(「スター・ウォーズ」とか「地獄の黙示録」とか)etc..であるわけで。

つまりもっとつっこんでサッカーでいうならば、戦術という制約、枠にとらわれて動いている選手が点を取る!勝つ!という強烈な意志の下に、その制約の殻を打ち破って自分主体で動き出すこと。そして1人でもそういう魂をこめたプレーをし出すと、チーム全体にそれがドミノのように波及していき、チームが活性化するばかりか見ている観客にも及んで伝わってくる。

映画も全く同じでしょ。ていうか映画の方がはるかに制約は多いよね。

時間、資金、テーマ、、その中で監督、役者をはじめとする作り手が何とか自分主体で作り上げていくもの。それが映画だと思うし、そう思いたい。

しかるに、この映画にはそんなもん微塵のかけらも感じられないわけですよ。。皆無。

要するに魂のない抜け殻を見てるようなもの。だから評価のしようもないわけ。

★1つにもなれば★3つくらいにもなるかなと思ったけど、それらの点数付けた他の映画たちに悪いので点数なし!にします。

別にスター・ウォーズシリーズが大っ嫌いというわけではないのでその点はあしからず。現に1977年作の「スター・ウォーズ」は大好きだし。

さっきも作り手総意の想いが強烈に伝わってくる映画に「スター・ウォーズ」を挙げたように、ホントに凄い強烈な魂が込められてるよね。誰が見たってそれは感じられるはず。

では、なぜあれから20数年経って作られたエピソード1がこんななれの果てにまで成り下がっちゃったのか。

まずこの映画を作るにあたっての制約とか枠って何かなと考えると、お金でもなければ時間でもない。。

それはルーカス自身によって作り上げられたスター・ウォーズの作品世界そのものなのではないかなと。

旧スター・ウォーズ3部作(エピソード4~6)が作られてから約20年の間にスター・ウォーズという世界は、ルーカスの手を離れまさにビッグバンのごとく膨張を続けたわけで、その制約、枠があまりにも広く大きくなりすぎちゃったのではないだろうか。

つまり、スター・ウォーズの作品世界という制約の枠、殻を打ち破るのは当のルーカスでさえも不可能な状態になってしまった!?その枠、殻の輪郭の表面をなぞるので精一杯だったのでは。。

だから一見すると抜け殻に見えてしまうのも無理からぬことなのかもしれない。

となるとこのスター・ウォーズの作品世界という制約の枠、殻を打ち破るのはもう最新デジタル技術しかないとルーカスが考えたとしても不思議ではないんだよね。

が、しかし、それは全く何の効力もないばかりか完全な“ダークサイド”だったわけです。。

だってCGのジャー・ジャー・ビンクス>生身のダース・モールという救いようのない致命的欠陥をはじめとしてもうホントどうしようもないもん、これ。

まあエピソード1を作ったからにはエピソード3まで作らなきゃならないからね(笑)。

といっても今回の作品についてルーカスはあれはあれで大満足してるというのが事実なのかも・・・。

Posted at 1999/08/12の原文を一部加筆して掲載

夢のシネマパラダイス136番シアター:旧スターウォーズ3部作

スターウォーズ 新たなる希望

050823sta 出演:マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、アレック・ギネス

監督・脚本:ジョージ・ルーカス

(1977年・米・121分)1997/06/04・仙台セントラル劇場*(観賞作は「スターウォーズ特別編」)

評価★★★★/80点

内容:昔むかし、はるか、はるか彼方の銀河系で、、、銀河全域に独裁体制を敷く銀河帝国の打倒を目指すレイア姫は帝国軍に捕らえられ、親衛隊長ダース・ベイダーの拷問を受ける。脱出カプセルで逃げ出していたC-3POとR2-D2の2体のロボットは、小惑星タトゥイーンでダース・ベイダーに父を殺された若者ルークと出会い、元共和国の老騎士オビ・ワン・ケノービとともにレイア姫の救出に向かう。ケノービはさらに密輸船長のハン・ソロを仲間に引き入れる。“スター・ウォーズ”サーガの記念すべき第1作。

“製作費14億円。それから22年後10倍の製作費を投じて作られたエピソード1。いかに初代スター・ウォーズがスゴイかが分かるってもんだ。”

製作費10倍かけて何か変わったか?C-3POの歩く速度が変わらないのと同じようなレベルだと思うんだけど、ってちょっとしたイヤミw

個人的にはお金も時間も無い中で創意工夫でやり繰りしていかなければならなかった状況、そこから滲み出てくる手作り感覚というのがスゴイ好きで。CGで作られた高級感あふれる質の良い宇宙船よりも、味のあるファルコン号の方が好きなのだ。だってホント見るからにボロいもんあのファルコン号。

でもそこが良いんだよね。

帝国軍の兵士のダラダラした走り方、崖から落ちてくる岩石のいかにも軽そうな質感、R2-D2のぎこちない進み方、、全然高級じゃないしはっきり言ってB級だけど、なんか制作現場の匂いがすごく感じられるんです。そういうところが好きなんだよね。

そしてそのような点も全て含めて好きになれる、映画にすんなり入っていける要因というのは、オープニングの延々と続くテロップとその直後の長~い宇宙船、これに尽きると思う。

どちらも画面下から出てきて画面上にスクロールしていくかんじで伸びていくわけだけど、壮大な奥行きを出すうまい演出方法。デビッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」なんかの影響は多分にあると思うんだけど、とにかくこの冒頭だけでスケールは超ド級だということが分かる。

そういう壮大な世界観が最初にバーンと提示されているからこそ全体を通して見れる映画だと思うな。

正直薄っぺらな中身からすると(笑)、この冒頭というのははったりを利かせたやり方だなとは思うのだけど、作り手側の上手さと創意工夫を感じるんだよね。

あとは音響。

映画全体が冒頭のスケール感に引っ張られているとすれば、その中身を側面から支えているのは音響ではないかなと。映像だけでは絶対支えきれなかったと思うし、それだけだったら完全に低級に陥っていただろう。

ライトセーバーの音、ダース・ベイダーの呼吸音、チューバッカの声、R2-D2の声(?)などなどどれも独特なもの。一見普通に聞いてるけど、けっこう実はすごい効果だと思うんだよね。

そういう様々な創意工夫を活かして出来上がった映画が“スター・ウォーズ”という作品なんだと思う。そしてそれが見ているこちら側にダイレクトに伝わってくる。

悲しいことに最近はそういう映画が少なすぎる。この映画がとかく伝説的作品などというキャッチフレーズで呼ばれるのもなんだか腹が立って(笑)。

まぁ、後の映画に与えた影響は大きいし、自分が生まれる前の映画だけども・・。でもそんなことは関係ない。映画技術の進歩はスター・ウォーズ以降飛躍的な進歩を遂げたことは違いない。しかし、その反面、製作費の高騰、必然性のないCG技術の濫用などで逆に沈没しちゃってる映画が多すぎる。

スター・ウォーズが作られた時代がもう既に古き良き時代になってしまったことが悲しい。。

ま、当のジョージ・ルーカスがその先頭に立っているのは皮肉なことではあるけれどね・・・

Posted at 1997/06/06

 ------------------------

スター・ウォーズ 帝国の逆襲

 監督:アーヴィン・カーシュナー

 出演:マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、アレック・ギネス

(1980年・米・124分)1997/07/28・仙台第1東宝(観賞作は「スターウォーズ帝国の逆襲/特別編」)

 評価★★★☆/70点

 内容:レイア姫がリーダーシップをとる反乱軍は、氷の惑星ホスを基地にするが、そこへダース・ベイダーが帝国軍を率いて逆襲を開始。反乱軍の勇者ルークは湿地帯の惑星ダゴバへ向かい、老師ヨーダのもとで修練を積む。一方、劣勢を強いられたレイア姫らは、味方のハン・ソロの親友が総督を務める雲の惑星べスピンへ向かうのだが・・・。

“帝国軍の提督にだけはなりたくないもんだ。。”

 ------------------------

スター・ウォーズ ジェダイの帰還

050825jed 出演:マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、ビリー・ディー・ウィリアムズ、アレック・ギネス、フランク・オズ

監督:リチャード・マーカンド

(1983年・米・133分)1997/07/29・セントラル劇場(観賞作は「スターウォーズジェダイの帰還/特別編」)

評価★★★★/75点

内容:前作のラストで冷凍化されたハン・ソロを救出するため、ルークたちは惑星タトゥイーンへ行くが、そこに待ち受けるはジャバ・ザ・ハットと巨大なアリ地獄!なんとか脱出に成功したルークは、惑星ダゴバへ向かいヨーダと再会する。しかしそこでヨーダは衝撃の事実を告げ、息を引き取るのだった・・・。

“恐るべし!レイア姫。”

何と言えばいいのか言葉に詰まってしまうビキニ姿で鎖に繋がれている画も異様だったが、ジャバ・ザ・ハットを絞め殺すわ機関銃撃ちまくるわ、鬼気迫るご活躍!

さすがルークの妹だけはある。フォースをしっかり受け継いでいたわけですね。

って引くっちゅうねん、あの形相

しかし、昔見た時はあまり気にならなかったけど、ヨーダってあっけなく死ぬねんな。

続編が作られていくごとに“感動”という二文字がどんどん急速に欠落していくのも、浅く広~く描くこのシリーズでは致し方ないのか。

そして文字通り地に落ちたともいうべきエピソード1。が、しかし、エピソード2、エピソード3と急激な上昇曲線を描いていくことなどこの時まだ知るよしもなかった。つづく・・・

より以前の記事一覧

2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ