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2020年12月 3日 (木)

太平洋戦争の記憶シリーズ第10号:南部仏印進駐とマレー進攻作戦

太平洋戦争は日本軍による昭和16年12月8日の真珠湾攻撃が端緒となったことは自明の理として知っていたけど、真珠湾攻撃と同じ日に並行して英領マレーに進攻し、イギリス軍の牙城シンガポールを落とす作戦が決行されていたことは今回初めて知った。

しかも、時間的には真珠湾攻撃より前に戦端が開かれていたということで、えっ?なんでこんな重大なこと今まで知らされてなかったんだろうと。もちろん真珠湾攻撃のインパクトが大きすぎるというのはあるんだろうけど、もっとクローズアップされてもいいんじゃないかと思う。

真珠湾攻撃が海軍主体であったのに対し、マレー侵攻は陸軍主体だったということだが、しかし補給路も戦線も伸びきってしまうようなリスクを抱えた何千キロも離れた南方の地になんで進攻しなければならなかったのか?

それは、昭和12年に開戦した日中戦争が長期化する中で、中国を支援するアメリカが昭和14年7月に日米通商航海条約を破棄し、日本への経済制裁を開始。それにより石油など多くの資源をアメリカからの輸入に頼っていた日本は大きな打撃を受け、日中戦争の遂行も困難となっていった。そんな中で出てきたのが、現在のインドネシアにあたるオランダ領東インド(蘭印)の油田をはじめとする東南アジアの資源確保を目指す「南進論」だった。

また、日中戦争で蔣介石率いる国民党政府に対し、仏領インドネシアや英領ビルマから物資兵器が送り込まれていて、この「援蔣ルート」の遮断も狙ってのことだった。

その足がかりとして目をつけたのが中華民国と国境を接する北部仏印(今のベトナム北部)だった。日本は昭和15年6月にドイツに降伏していたフランスのヴィシー政権と北部仏印への進駐を含む協定を結び、多少の小競り合いはあったものの9月には進駐を完了する。

しかし、これが米英の対日感情をさらに悪化させる事態となり、そこに輪をかけたように同月に日独伊三国同盟が締結されたことによりアメリカはさらに経済制裁を強化。

真綿で首を絞められていく日本は、昭和16年7月の御前会議で南部仏印進駐を決定。圧倒的軍事力をもとに7月末にはベトナム南部、ラオス、カンボジアを含む仏印全土を掌握した。

これに対し、アメリカは8月に石油全面禁輸という最終段階の経済制裁を発動。窮地に追い込まれた日本は対米戦争を決断するに至る。その中で、自前での資源確保が必至となった日本は、油田地帯がある蘭印攻略作戦を発動するが、その障害となるのがイギリスのアジア経営の拠点シンガポールがある英領マレー(今のマレーシア)だった。そこで米英開戦の緒戦に速攻でマレー作戦を実行に移したというわけだ。

こう見てくると、建前としてはアジアを植民地から解放するぞーと大東亜共栄圏を掲げたけど、本音は石油がないと日本滅びるぞーってことだったんだな。しかもこんな侵攻を米英が許すはずもないのに、なぜか日本の軍部には米英はキレないだろっていう楽観論が支配してたっていうんだから、ったくw

しかし、当時の新聞を見ると、“全マレー半島を制圧”、“全シ島の死命を制す”、“壮烈ブキテマ奪取戦”、“堂々世紀の大船団!今ぞ灼熱の南海を征く”、“ジョホール・バハル突入!待望の入城”などなど、目で見て読んでいくうちにスゲエな日本イケイケ日本!となる気持ちも分からんでもなくなってくる(笑)

いかに新聞メディアが戦争を煽り加担していたかが如実に分かって怖くなった。。

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