夢のシネマパラダイス607番シアター:この世界の片隅に
この世界の片隅に
声の出演:のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世
監督・脚本:片渕須直
(2016年・日本・129分)
内容:昭和19年。絵を描くことが好きな18歳のすずは、幼い頃に見初められたという北條周作との縁談話が持ち上がり、生まれ育った広島から海軍の街・呉に嫁に行くことに。優しい義父母、何かと手厳しい義姉・径子とその娘の晴美ちゃんが暮らす北條家に迎えられたすずは、戦況悪化とともに物資も減っていく中、見知らぬ土地での慣れない嫁仕事に戸惑いつつも日々を過ごしていく・・・。
評価★★★★★/100点
原作マンガは全3巻にも関わらず読み進めるのになかなか時間がかかった。それは欄外の注釈など含めてページごとの情報量が多い上に、さりげないセリフの裏にある感情や意味合いを読者のリテラシーにゆだねる余白と多面性をも有しており、理解咀嚼するのに途中でつっかえて読み返すことしきりだったこと。さらに、井上ひさしの「父と暮せば」で、“あん時の広島では死ぬのが自然で生き残るのが不自然なことだった”と語られるような虚無に覆われる8月6日をなるだけ迎えたくなくて、ページをめくる手をあえてスローにしていたからだ。
しかし、映画はそうはいかない。マンガのように自分の裁量で時間を行き来できるのとは違い、現在進行形の一方通行で否が応でも8月6日はやってくるのだ。
つまりマンガは言ってみればこちらの想像力が試される=すずの記憶をたどるツールだといえる一方、映画はすずの現実を五感で追体験するという違いがあり、なおかつたった2時間に凝縮されているため、平和を享受するこちら側の現実でもって中和する余地がない。
そのためマンガで涙することはなかったけど、映画では目からどんどん塩分を奪われていく結果になってしまった💧
しかし、ここまで銃後の暮らしの日常風景を市井の女性視点で描いた作品はなかったのではないか。
「この国の空」(2015)で若い男は戦場に駆り出され子供は田舎へ疎開し街には女性と老人しかいないという考えてみれば当たり前のことにハッと気付かされたように、銃後の暮らしは女性の暮しなのだ。なのに女性の暮らしを描いた作品、もっといえば何のバイアスもかかっていないごくごく普通の一般大衆家庭の女性の暮らしを描いた作品はほぼほぼ皆無だろう。
そのバイアスとは、一言でいえば作り手側の反戦思想だけど、例えば山田洋次の「母べえ」(2007)の家庭は吉永小百合の旦那がインテリ文学者で治安維持法でしょっぴかれて獄中死してしまうし、「少年H」や「はだしのゲン」(両作とも子供視点だが)に至っては主人公の周りだけが反戦を錦の御旗とするような聖域に守られている。
もちろんそういう誰の目にも明らかな反戦ものはこれからも作り続けなければならないだろうし、モダンな金持ち良家を舞台とする山田洋次の「小さいおうち」(2014)のような一風変わった面白い視点もあるにはある。
しかして、今回の作品が白眉なのは、あからさまな反戦エピソードとは無縁の普通の一家の普通の女性の戦時中の暮らしを普通に描いていることにある。旦那が外地に兵隊に取られずにいるという稀少点はあるにせよ、すずにとっては嫁ぎ先で住む所も名字も変わって慣れ親しんだ実家暮らしから生活が一変してしまったこと、義姉の小言、そしてギクシャクした夫婦関係が10円ハゲができるくらい切実な問題なのだという視点である。
その点で遊郭のリンさんとの重要なエピソードがごっそり抜け落ちているのは消化不良ではあるのだけど、すずの暮らしぶりを切り取っていく「たまげるくらいフツーじゃの~!」な視点は、戦争に対する想像力に乏しい現代人の普通の感覚と70年前の普通の感覚との距離感を確実に縮めている。それにより今のこの世界と地続きな等身大の物語として捉えることができる。
それがこの作品を稀有なものにしている所以なのだけど、それはまだ一面でしかない。最も重要なポイントは、それをもってしても両者の間にある埋められない距離感をさりげなく描いていくことで戦争の不条理をあらわにしていくことにある。
その距離感とは一言でいえば、戦時下にあるにも関わらず普通でいられることに対する違和感だ。
例えばすずの義母が「みんなが笑って暮らせればいいのにねえ」とつぶやくのも、従来だったら戦争の悲惨さを嘆く言葉なはずなのに、ここでは離縁して出戻ってきた自分の娘の境遇を嘆く言葉にしかなっていない。また、「港に爆弾が落ちて来なくなったから魚が獲れなくなっちゃったねえ」という感覚。空襲警報が鳴っても「どうせ来ないやろ、、あらま、今日はホンマに来やさった」(子供時分に三陸沿岸部に住んでいた自分は思わず津波警報と重なってしまった)という感覚。連日の空襲後に洗濯物がススで黒くなってしまうことの方にドン引きしてしまう感覚。そして、公民館の入口脇の軒下に服もベロベロな兵隊が行き倒れているのを誰も気にとめないどころか横目で見ているはずの母親が息子だと気付かない感覚。
これら70年前の普通の感覚は、一見するとまるで戦争が他人事のような感覚にとらわれてしまう。
しかしこれは戦争という非日常が日常と同化してしまっている=左手で描いたような歪んだ世界なのだということにハッと気付かされることになる。
特に衝撃的なのが不発弾の爆発で晴美ちゃんが亡くなってしまったことに対して径子が呪詛の対象を戦争そのものではなく、付き添っていたすずに対して「人殺し!」と罵倒するシーンと、呉の家に焼夷弾が落ちてきた時にすずが消火を躊躇するシーンだ。径子の怒りのやり場のなさ、そして家が焼ければこの町からこの家から堂々と出て行って広島に帰れると思ってしまうすずの心象を描いてしまう。
この「歪んどる自分!」とすずが吐露する点こそ今までの映画で描かれることのなかったところなのだと思う。
玉音放送を聴き終わって「あー終わった終わった」と手際よくラジオを片付けてそそくさと外に出て行った径子が軒裏で娘の名前を連呼しながら泣き崩れているシーンは、歪んだ世界が正常な世界に戻った象徴的なシーンだったように思う。
しかし、考えてみれば昭和6年満州事変、昭和7年五・一五事件、昭和8年国際連盟脱退、昭和11年二・二六事件、昭和12年~日中戦争、昭和13年国家総動員法、昭和14年~第二次世界大戦、昭和16年~太平洋戦争と昭和のはじめから終戦までずっと戦時体制にあったわけで。
戦争の影が何年もかけてジワジワと普通の暮らしを侵食していき、“ぜいたくは敵だ!”“欲しがりません勝つまでは”“遂げよ聖戦”“石油の一滴、血の一滴”と叫ばれ耐乏生活を強いられる中で、戦争の大ごとさに薄々気付きどこかおかしいと思いながらもそれが日常になっていき、空襲も当たり前になれば日常になっていき、あげくの果てに人の死さえ日常になっても順応していくに至るには十分すぎる時間の流れだったのかもしれない。
また一方では、昭和19年8月にすずが「2か月前の空襲警報騒ぎですぐ目の前にやって来るかと思っていた戦争だけど、今はどこでどうしてるんだろう」とボヤくシーンがある。昭和19年8月といったら南方戦線は玉砕に次ぐ玉砕でグアム・サイパンまで米軍に進撃されていたわけで、そういう戦局は本土には知らされていなかったことが分かるけど、終戦1年前いわゆる15年戦争の14年目に至っても一般庶民にとって戦争とはその程度の感覚でしかなかったというのもまた目から鱗の真実だったのだろう。
一度始まったら誰にも止められない戦争、焼け野原になったあとに戦争はひどいものだと言っても遅い。そうならないためにこの映画と「火垂るの墓」は後世に伝えていかなければならない、そんな価値ある作品だったと思う。
« 夢のシネマパラダイス530番シアター:原爆が残したもの・・・ | トップページ | 夢のシネマパラダイス164番シアター:パニック・ルーム »
« 夢のシネマパラダイス530番シアター:原爆が残したもの・・・ | トップページ | 夢のシネマパラダイス164番シアター:パニック・ルーム »
コメント