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2019年8月 4日 (日)

夢のシネマパラダイス607番シアター:この世界の片隅に

この世界の片隅に

Img_991d00ed70bbc9cd909072e6988d1c152217声の出演:のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世

監督・脚本:片渕須直

(2016年・日本・129分)

内容:昭和19年。絵を描くことが好きな18歳のすずは、幼い頃に見初められたという北條周作との縁談話が持ち上がり、生まれ育った広島から海軍の街・呉に嫁に行くことに。優しい義父母、何かと手厳しい義姉・径子とその娘の晴美ちゃんが暮らす北條家に迎えられたすずは、戦況悪化とともに物資も減っていく中、見知らぬ土地での慣れない嫁仕事に戸惑いつつも日々を過ごしていく・・・。

評価★★★★★/100点

原作マンガは全3巻にも関わらず読み進めるのになかなか時間がかかった。それは欄外の注釈など含めてページごとの情報量が多い上に、さりげないセリフの裏にある感情や意味合いを読者のリテラシーにゆだねる余白と多面性をも有しており、理解咀嚼するのに途中でつっかえて読み返すことしきりだったこと。さらに、井上ひさしの「父と暮せば」で、“あん時の広島では死ぬのが自然で生き残るのが不自然なことだった”と語られるような虚無に覆われる8月6日をなるだけ迎えたくなくて、ページをめくる手をあえてスローにしていたからだ。

しかし、映画はそうはいかない。マンガのように自分の裁量で時間を行き来できるのとは違い、現在進行形の一方通行で否が応でも8月6日はやってくるのだ。

つまりマンガは言ってみればこちらの想像力が試される=すずの記憶をたどるツールだといえる一方、映画はすずの現実を五感で追体験するという違いがあり、なおかつたった2時間に凝縮されているため、平和を享受するこちら側の現実でもって中和する余地がない。

そのためマンガで涙することはなかったけど、映画では目からどんどん塩分を奪われていく結果になってしまった💧

しかし、ここまで銃後の暮らしの日常風景を市井の女性視点で描いた作品はなかったのではないか。

「この国の空」(2015)で若い男は戦場に駆り出され子供は田舎へ疎開し街には女性と老人しかいないという考えてみれば当たり前のことにハッと気付かされたように、銃後の暮らしは女性の暮しなのだ。なのに女性の暮らしを描いた作品、もっといえば何のバイアスもかかっていないごくごく普通の一般大衆家庭の女性の暮らしを描いた作品はほぼほぼ皆無だろう。

そのバイアスとは、一言でいえば作り手側の反戦思想だけど、例えば山田洋次の「母べえ」(2007)の家庭は吉永小百合の旦那がインテリ文学者で治安維持法でしょっぴかれて獄中死してしまうし、「少年H」や「はだしのゲン」(両作とも子供視点だが)に至っては主人公の周りだけが反戦を錦の御旗とするような聖域に守られている。

もちろんそういう誰の目にも明らかな反戦ものはこれからも作り続けなければならないだろうし、モダンな金持ち良家を舞台とする山田洋次の「小さいおうち」(2014)のような一風変わった面白い視点もあるにはある。

しかして、今回の作品が白眉なのは、あからさまな反戦エピソードとは無縁の普通の一家の普通の女性の戦時中の暮らしを普通に描いていることにある。旦那が外地に兵隊に取られずにいるという稀少点はあるにせよ、すずにとっては嫁ぎ先で住む所も名字も変わって慣れ親しんだ実家暮らしから生活が一変してしまったこと、義姉の小言、そしてギクシャクした夫婦関係が10円ハゲができるくらい切実な問題なのだという視点である。

その点で遊郭のリンさんとの重要なエピソードがごっそり抜け落ちているのは消化不良ではあるのだけど、すずの暮らしぶりを切り取っていく「たまげるくらいフツーじゃの~!」な視点は、戦争に対する想像力に乏しい現代人の普通の感覚と70年前の普通の感覚との距離感を確実に縮めている。それにより今のこの世界と地続きな等身大の物語として捉えることができる。

それがこの作品を稀有なものにしている所以なのだけど、それはまだ一面でしかない。最も重要なポイントは、それをもってしても両者の間にある埋められない距離感をさりげなく描いていくことで戦争の不条理をあらわにしていくことにある。

その距離感とは一言でいえば、戦時下にあるにも関わらず普通でいられることに対する違和感だ。

例えばすずの義母が「みんなが笑って暮らせればいいのにねえ」とつぶやくのも、従来だったら戦争の悲惨さを嘆く言葉なはずなのに、ここでは離縁して出戻ってきた自分の娘の境遇を嘆く言葉にしかなっていない。また、「港に爆弾が落ちて来なくなったから魚が獲れなくなっちゃったねえ」という感覚。空襲警報が鳴っても「どうせ来ないやろ、、あらま、今日はホンマに来やさった」(子供時分に三陸沿岸部に住んでいた自分は思わず津波警報と重なってしまった)という感覚。連日の空襲後に洗濯物がススで黒くなってしまうことの方にドン引きしてしまう感覚。そして、公民館の入口脇の軒下に服もベロベロな兵隊が行き倒れているのを誰も気にとめないどころか横目で見ているはずの母親が息子だと気付かない感覚。

これら70年前の普通の感覚は、一見するとまるで戦争が他人事のような感覚にとらわれてしまう。

しかしこれは戦争という非日常が日常と同化してしまっている=左手で描いたような歪んだ世界なのだということにハッと気付かされることになる。

特に衝撃的なのが不発弾の爆発で晴美ちゃんが亡くなってしまったことに対して径子が呪詛の対象を戦争そのものではなく、付き添っていたすずに対して「人殺し!」と罵倒するシーンと、呉の家に焼夷弾が落ちてきた時にすずが消火を躊躇するシーンだ。径子の怒りのやり場のなさ、そして家が焼ければこの町からこの家から堂々と出て行って広島に帰れると思ってしまうすずの心象を描いてしまう。

この「歪んどる自分!」とすずが吐露する点こそ今までの映画で描かれることのなかったところなのだと思う。

玉音放送を聴き終わって「あー終わった終わった」と手際よくラジオを片付けてそそくさと外に出て行った径子が軒裏で娘の名前を連呼しながら泣き崩れているシーンは、歪んだ世界が正常な世界に戻った象徴的なシーンだったように思う。

しかし、考えてみれば昭和6年満州事変、昭和7年五・一五事件、昭和8年国際連盟脱退、昭和11年二・二六事件、昭和12年~日中戦争、昭和13年国家総動員法、昭和14年~第二次世界大戦、昭和16年~太平洋戦争と昭和のはじめから終戦までずっと戦時体制にあったわけで。

戦争の影が何年もかけてジワジワと普通の暮らしを侵食していき、“ぜいたくは敵だ!”“欲しがりません勝つまでは”“遂げよ聖戦”“石油の一滴、血の一滴”と叫ばれ耐乏生活を強いられる中で、戦争の大ごとさに薄々気付きどこかおかしいと思いながらもそれが日常になっていき、空襲も当たり前になれば日常になっていき、あげくの果てに人の死さえ日常になっても順応していくに至るには十分すぎる時間の流れだったのかもしれない。

また一方では、昭和19年8月にすずが「2か月前の空襲警報騒ぎですぐ目の前にやって来るかと思っていた戦争だけど、今はどこでどうしてるんだろう」とボヤくシーンがある。昭和19年8月といったら南方戦線は玉砕に次ぐ玉砕でグアム・サイパンまで米軍に進撃されていたわけで、そういう戦局は本土には知らされていなかったことが分かるけど、終戦1年前いわゆる15年戦争の14年目に至っても一般庶民にとって戦争とはその程度の感覚でしかなかったというのもまた目から鱗の真実だったのだろう。

一度始まったら誰にも止められない戦争、焼け野原になったあとに戦争はひどいものだと言っても遅い。そうならないためにこの映画と「火垂るの墓」は後世に伝えていかなければならない、そんな価値ある作品だったと思う。

2019年8月 3日 (土)

夢のシネマパラダイス530番シアター:原爆が残したもの・・・

母と暮せば

D0_hzneucaicqbd出演:吉永小百合、二宮和也、黒木華、浅野忠信、小林稔侍、橋爪功

監督・脚本:山田洋次

(2015年・松竹・130分)WOWOW

内容:長崎に原爆が投下された昭和20年8月9日、医大生の浩二は一瞬にしてこの世からいなくなった。夫を病気で、長男を南方戦線で亡くしている母親の伸子は、次男坊はどこかで生きていると思いながら助産婦の仕事をしながら一人で暮らしていた。浩二の婚約者だった町子はそんな伸子のことを気にかけ、足繁く訪ねてくれていた。そして3年目の8月9日、伸子の前にひょっこり浩二の幽霊が現われる。そして2人は思い出話に花を咲かせるのだった・・・。

評価★★★☆/70点

終戦から70年経ち、今や戦地に行った兵士たちは年齢的に考えてもほとんどいない世の中になってしまった。13歳の時に終戦を迎えたという山田洋次もすでに85歳。

銃後の世代でさえもはや危うい。自分が思っている以上にあの戦争は風化してしまっているのだと思う。そして高齢になっても精力的に映画を撮り続ける山田洋次にとって最近のきな臭い世の中の風潮もあいまって撮らずにはいられなかったのだろう。

昭和15年の東京を舞台にした「母べえ」(2007)で市井の人々のささやかな幸せを喰いつぶしていく不気味な戦時の空気を描いていたけど、今回は数多の生命を一瞬で消し去った原爆投下から3年後の長崎を舞台に、いまだ消えることなく日常に刻まれた傷跡を描き出した。

広島が舞台の「父と暮せば」と対になった作りになっていて、生き残った者の負い目というテーマは同じなのだけど、生き残った自分は幸せになってはいけないんだと自問自答する娘の痛々しさが心に刺さった「父と暮せば」と比べると、今回は母と息子というマザコンすれすれの親子愛とキリスト教の死生観が根本にあるために若干メッセージ性が甘めの方向に出てしまった感はあるかなとは思う。

けど、原爆を語り継ぐことをライフワークとしてきた吉永小百合の演技は心に響くものがあったし、菩薩のような彼女でさえも「どうしてあの娘だけが幸せになるの?」と呪詛の言葉を吐かざるを得ないところに、戦争・原爆のもたらした虚しさとおぞましさが胸をついた。

あとは何といってもたった2カットで表現した原爆投下直後の惨劇シーンだろう。

医科大の教室内がビカッと真っ白に光った後に万年筆のインク瓶がトロトロと溶けていき、ガラス片の粉塵が猛烈な爆風で吹きすさび真っ暗闇に覆われていく、、、そのあまりの衝撃に何も言葉が出てこなかった。

山田洋次渾身の一作になったといっていいだろう。

ただ、映像から色や温度は伝わってきても匂いまではあまり伝わってこなくて、戦争を知る最後の世代の山田洋次でさえも描き切れないところに風化の恐ろしさを感じてしまったことも付け加えておきたい。

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父と暮せば

Kura 出演:宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信

監督・脚本:黒木和雄

(2004年・日本・99分)NHK-BS

評価★★★★/80点

 

内容:広島に原爆が投下されてから3年。図書館に勤める美津江は、愛する人たちを原爆で失い、自分だけが生き残ったことに負い目を感じながらひっそりと暮していた。そんな彼女はある日、図書館で大学助手の木下という青年と出会い、互いに惹かれあっていったが、「うちは幸せになってはいけんのじゃ」と恋心を押さえ込んでしまう。それを見かねた彼女の父・竹造は亡霊となって姿を現し、“恋の応援団長”として娘の心を開かせようとするのだが・・・。

“広島の原爆慰霊碑に記銘されている「安らかに眠って下さい。過ちは二度と繰り返しませんから。」という言葉を忘れずに受け継いでいくためには、とにかく語り継いでいくことしか道はない。”

戦争・被爆体験の記憶を風化させてはならないという声は、戦後70年が経ち、TVゲームばりのシミュレーション感覚で戦争がTV画面から流れてくることにどこか感覚が麻痺しかけている現在、特に声高に叫ばれていることだが、風化を防ぐためにはとにかく戦争体験者の悲惨な記憶を世代を越えて語り継いでいかなければならない。

風化させてはならないのならば語り継いでいかなければならない。~しなければならない、それは義務であり責任であり使命である。戦争を体験した者としての。

と、疑問のはさみ込む余地などないような当然なこととして自分なんかは考えてきたのだが、この映画を見てハッと気付かされたことがある。

それは、語り継ぐ者の苦悩とツラさだ。

思い出したくもない、他人に話したくもない悲惨な体験の記憶を吐露すること。そのエネルギーと勇気はそれを受け取る側からは計り知れないほどのものがあるのだろう。

原爆投下から3年後の広島で生きる美津江の苦悩、未来を断絶させてしまうほどの人間そのものを深くえぐる傷。

「あんときの広島では死ぬるんが自然で、生き残るんが不自然なことじゃったんじゃ。」という言葉にしばし絶句してしまう。

生き残った者としての苦しみを切々と表現した宮沢りえと、その何十倍もの苦しみを背負いながら美津江を大らかに包んでいく「恋の応援団長」原田芳雄の存在感にただただ脱帽するばかりだ。

次の世代に継いで行く、それにはもちろん受け取る次の世代の側にも義務と責任と使命が課されるわけだが、はたして語り継ぐ側とどれだけ価値観を共有できるのか、どれだけ彼らのつらく苦しい記憶を実体と重さのあるものとして受け止められるのかという問題も最近は出てきたように感じられる。

先の戦争では日本軍兵士の多くが実は餓死で亡くなっているというのは事実だが、この飽食の時代に、はたして飢餓を想像できるだろうか。以前TVで、あまりにも空腹で、炭をガリガリかじって食べたんです、という元兵士の話を聞いたが正直自分はわけが分からなかった。だって、炭って・・・。

また、例えば、ひめゆり部隊の沖縄戦に関する語り部の証言が「退屈で飽きてしまった」などということが高校の入試問題に平気で出てしまう、今はそんな時代になってしまったのだ。

風化は日々進んでいる。

とにかくもう時間がない。次の世代に継いでいかなければならない時間が・・・。

戦後70年経って、涙を流しながらやっとで重い口を開く方もいる。戦後70年経っても、いまだに戦争の悪夢にうなされる方々がいる。

自分の祖父はシベリア抑留を経験していたが、中学生の時に交通事故であっけなく逝ってしまった。

祖父には右手の親指がなかったが、戦争で銃弾を受けたせいだと言っていた。

結局、祖父からは戦争体験らしいものを聞くことなく別れてしまったのだが、今となっては少し心残りな気もする。

シベリア抑留、ほとんど分からないし知らない。

これは、問題だ。。

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黒い雨

Bnashzxau 出演:北村和夫、田中好子、市原悦子、小沢昭一、三木のり平、沢たまき

監督・脚本:今村昌平

(1989年・東映・123分)NHK-BS

評価★★★★★/90点

 

内容:1945年8月6日、高丸矢須子は瀬戸内海の小船の上で強烈な閃光を見た。その直後、空は見る見る暗くなり、矢須子は黒い雨を浴びてしまう。5年後、福山市に移り住んだ矢須子は、原爆症の疑いをかけられて縁談がなかなかまとまらず、彼女の面倒を見る叔父は気をもんでいた。やがて、矢須子は発病し、被爆の後遺症に悩まされる・・・。

“「正義の戦争より不正義の平和の方がマシ」という印象的なセリフがあったけど、昭和20年の日本より平成20年の日本の方がマシ、、、と今の後期高齢者の方々は本当に思えるんだろうか、、というのもなんだか怪しい世の中になってきちゃってるような気がしてならない。。”

自分にとってトラウマになっている映画というのは何本かあって、それは例えば「ターミネーター」だとか「オーメン」「バタリアン」など小学校低学年で見た映画が多いのだけど、その中で最強のトラウマ映画といえるのが、小1で見せられたアニメ版「はだしのゲン」。

ヤッター!アニメ見れるぜー!と意気込んで見に行ったが最後、劇場の座席が電気イスに感じられてしまうほどの苦痛を味わってしまったわけで。それはまさに永遠に続くかと思われるほどの醒めない悪夢だった・・・。

ただ小さい頃、親にこの手の反戦映画を網羅させられたのは今となっては良い経験になったと思うし、戦争という悲劇のトラウマを小学生くらいで植え付けるというのは教育上大変によろしいことだと思うので、親には感謝しております(笑)。。

んで「火垂るの墓」をはさんで「黒い雨」を見たのが小5くらいだったと思うんだけど、これがまたエライ思い出があって。

母親に連れられて自分と弟、妹の4人で見に行ったのだけど、劇場窓口でチケットを買って劇場に入っていったら、職員のオバちゃんが風船だとかキャラクターもののお面だとかの特典グッズをくれるわけ。

お、ラッキーと思いながら「黒い雨」が上映される2階に上がっていこうとしたっけ、そのオバちゃんが「東映アニメ祭りはそっちじゃなくて1階ですよ!」と教えてくれる(笑)。ようするにそのオバちゃんは自分らが東映アニメ祭りを見に来たんだろうと早合点してそのグッズをくれたのだ。そりゃそうだよなぁ妹なんてまだ幼稚園かそこらだったんだから、まっさか今村昌平のゲテモノ作品を見に来たなんて露ほども思わないだろうよ。

しかし母親が「いいえ、黒い雨を見に来たのでこっちでいいんです!」とキッパリ。ポカーンとしてるオバちゃんの顔が今でも忘れられない・・。

とともに田中好子のオッパイを見てしまったという記憶もしっかり残ってるんだけど(笑)。

いやぁ、、、自分が親になったら絶対に東映アニメ祭りの方を見せるよ、ウン。

ただ、ガキの時点でこの映画、半分分かって半分分からないような映画だったんだけど、胃の中を何かドス黒く熱いものがうごめき、這いずり回っているような息苦しさと圧迫感を終始感じたのはたしかだ。

電車の中で叔父さん(北村和夫)が被爆するシーンの衝撃、そして死屍累々の廃墟と化し、焼けただれた皮膚がズルリと剥け落ちてくるゾンビと化した人間たちが呻き声を上げながら方々をさまよう広島の街を、叔父さん、叔母さん(市原悦子)、矢須子(田中好子)の3人が必死で逃げ回る情景はあまりにも強烈で、川を流れてくる死体とか、道ばたに転がっている黒コゲになった死体だとか、おそらくこういう衝撃は自分の中の記憶としてずっと残っていくんだろうと思う。

つい先日、二次被爆の悲劇を描いた「夕凪の街、桜の国」の原作マンガを読んだときに、髪の毛が抜け落ちるシーンを見て、この「黒い雨」を見たときの圧迫感と同じものを感じて何とも言い表すことのできない重苦しさにとらわれてしまった。

遠い国で起きている戦争が、夕飯時のTVから流れてくるヴァーチャルなものとしか感じられない今の時代にあって、いかに戦争の悲惨さを子供たちに実感できるものとして伝えていくかというのは、戦後から3世代経った自分たちに課された大きな宿題なのかもしれない。

そういう意味では映画の果たす役割って大きいんだよなぁ。

人間、こういうことはすぐ忘れていっちゃう生き物だから・・・。

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夕凪の街 桜の国

Ph1_yugagi20comic 出演:田中麗奈、麻生久美子、吉沢悠、伊崎充則、藤村志保、堺正章

監督:佐々部清

(2007年・日本・118分)2007/08/07・盛岡フォーラム

評価★★★/65点

 

内容:原爆投下から13年後の広島。母(藤村志保)と2人で暮らす平野皆実(麻生久美子)は、会社の同僚・打越(吉沢悠)から告られるが、原爆で死んでいった多くの人々を前にして自分だけ幸せになっていいのだろうかとためらってしまう。やがて、そんな彼女を原爆症の恐怖が襲う・・・。所かわって現在の東京。定年退職した父・旭(堺正章)と暮らしている娘の七波(田中麗奈)。ある日、父の行動を不審に思った七波は、親友の東子(中越典子)と父の後をつけるが、乗り込んだバスがたどり着いたのは広島だった・・・。

“いい映画だったな止まり。根本的に何かが足りない。。”

佐々部清という監督は、一貫して理想的な人間関係のもとにある心優しき人間ドラマを描きつづけていて、その作風はどこまでも爽やかかつ良心的、なおかつ昭和の良き時代の家族観と温かさ、懐かしさを共有しているという点では山田洋次の系譜に連なる作り手さんだと思う。

しかし、今回はその持てる特徴がアダになってしまった感が強いのではないかと思う。

こうの史代の原作を素直なほど忠実に映像化しているのは認めるが、翻っていえば100P足らずの物語をトレースすることは誰にでもできることだ。

問題は、原作でこうの史代が描く温かく優しい街並みや笑顔の絶えない人々、その表面と上っ面だけをバカ正直にトレースしてしまったことであり、その裏にある決して癒されない悲しみ、決して終わることのない憎しみと怒り、決して消えることのない記憶、つまりは広島が「ヒロシマ」になってしまった原爆という毒がすっぽり抜け落ちているのだ。

たった1発の爆弾、たった一瞬の閃光が60年間3世代にわたり刻みつける負の遺産、その重みと痛みがこの映画からは伝わってきにくい・・・。

原作を読み終わったときの読後感は、かなり精神的にズシリとくるものがあり、なんて哀しいマンガなんだと思ったものだが、この映画を見終わると、いい映画だったな止まりで終わっちゃうんだよね。

そういう意味ではかなりガッカリしたかも。。。

マンガと映画、どっちを薦めるかといったら、100%マンガの方をすすめるな。

記憶が歴史というものを形づくるとするならば、この記憶を決して風化させてはならない、決して忘れてはならない。

今も続く物語・・・。

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ひろしま(1953年・日本・104分)WOWOW

 監督:関川秀雄

 出演:岡田英次、原保美、加藤嘉、山田五十鈴、月丘夢路

 内容:昭和28年夏の広島。高校教師北川が受け持つクラスで、授業中に女子生徒が鼻血を出して倒れた。それは原爆の放射能による白血病が原因で、このクラスでは生徒の3分の1が被爆者だった。8年前のあの日、彼らが見たもの体験したこととは・・・。8万人を超す広島市民がエキストラとして参加し、原爆投下直後の広島を再現。ベルリン国際映画祭で長編劇映画賞を受賞。しかし、大手配給元がGHQに忖度して反米的な描写シーンのカットを製作側に要求するも折り合わず、一般公開が中止になったことで、長らく日の目をみることがなかった幻の作品。

評価★★★★☆/85点

原爆を扱った映画というと真っ先に思い浮かぶのが今村昌平監督の「黒い雨」とアニメ映画「はだしのゲン」で、小学生時分に見たこともあってトラウマともいうべき強烈な映画体験として記憶に刻まれている。

あれから約30年、最近ではヒロシマ・ナガサキの映画をとんと見なくなってしまったのだけど、まさか60年以上前に製作され、一般公開されることなくお蔵入りになっていた原爆の映画があったとは驚きだったし、なにより今回初めて見て、その凄絶すぎる映像に衝撃を受けた。

特に原爆投下直後の広島の惨状を映し出した30分以上のシーンは今まで見た原爆映画の中で最も生々しく直視に堪えないものだった。

3ヘクタールのオープンセットを作り80棟に及ぶ家屋や電車を燃やし、黒焦げに焼き尽くされガレキに埋まる街の様子を映像化したそうで、使われたガレキは原爆で生じた実物だったそうだ。

しかし、なによりこの地獄絵図が真に迫り心に突き刺さるのは、阿鼻叫喚の修羅場を彷徨する群衆を演じているのが一般市民のエキストラで、その中には実際の被爆者も多くいたということで、原爆の恐ろしさや被爆の苦しみ、その一人一人の思いや声が画面から圧倒されんばかりに伝わってくることにある。

しかもこれが原爆投下からたった8年後に地元で作られたというのが凄いところで、それこそ戦争と天災の違いはあれど東日本大震災での惨状をここまで克明に描けるかと考えると、今回の映画のもの凄さはある意味常軌を逸しているとまで言えると思う。

しかし、それが政治的圧力で未公開になってしまったというのは本当に悲劇としか言いようがないけど、記憶をつなぎ語り継ぐという意味で全ての日本人そして世界中の人々に目をそらすことなく見てもらいたい映画だ。そういう普遍性を持ったかけがえのない作品だと思う。

P.S. 宮島のおみやげ屋さんでピカドン土産として原爆で亡くなった人々の頭蓋骨(一応セリフではレプリカに決まってるだろうと言っていたが・・)が売られていたり、その後のシーンで戦災孤児が掘り出した本物の頭蓋骨を米兵に売ろうとするシーンがあったけど、これって実話だそう・・。

他にも墨汁のような黒い雨や、被爆直後の灼熱地獄から逃れるために飛び込んだ川で女学生たちが「君が代」を歌うところなど本当に脳裏に焼き付くようなシーンの連続する映画だった。

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鏡の女たち(2002年・日本・129分)NHK-BS

 監督・脚本:吉田喜重

 出演:岡田茉莉子、田中好子、一色紗英、山本未來、室田日出男

 内容:東京郊外に住む川瀬愛(岡田茉莉子)。以前は亡き夫と娘・美和の3人で暮らしていたが、美和は娘の夏来を産むと、母子手帳だけを持って失踪した。それから24年後、その母子手帳を持った女性が見つかるが、その女性は尾上正子と名乗る記憶喪失者(田中好子)だった。実の娘か確信を持てない愛は、アメリカに住む夏来(一色紗英)を呼び寄せる。やがて、正子の記憶の断片は、3人を愛が美和を産んだ地、広島へと向かわせる・・・。

評価★★☆/50点

割れた鏡、抑揚のない語り口、泳がない視線、微動だにしないカメラ・・・。

様々なメタファーが込められているとは思いつつ、まるで能でも見せられているかのような様式美に彩られたつくりは、はっきりいって不気味以外の何ものでもない。

能面の下に覆い隠された、一瞬の閃光で焼きつくされたヒロシマの亡霊。

かがみ合わせのように表裏一体となったあの世とこの世、その死の世界に向かって開かれた窓である鏡が割れているというのは、両者の間に決定的な欠落があるということだろうか。

すなわち、生者は死者について語ることはできない、ヒロシマの真実を語ることはできないのだと。それをアイデンティティを喪失した女性たちを通して描き出そうとしたのかもしれない。

しかし、逆説的にいうならば、この映画には決定的にヒロシマというものが欠落しているともいえ、個人的には理解に苦しむ難しい映画だったというのが正直なところ・・・。

でも、語りつくせないからこそ、我々は絶えず原爆について語り継ぎ語りつくそうと努力しなければならないのかもしれない。

忘却の彼方に決して置き忘れてはならないために・・・。

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TOMORROW 明日(1988年・日本・105分)NHK-BS

 監督・脚本:黒木和雄

 出演:桃井かおり、南果歩、仙道敦子、黒田アーサー、佐野史郎、原田芳雄

 内容:昭和20年8月8日の長崎。結婚式が執り行われていたある家では、肺病で兵役を免除された花婿と看護婦の花嫁を、両家の家族が祝福していた。花嫁の姉は臨月のお腹を抱え、花婿の友人は戦場で捕虜を見殺しにしたことを悔やみ、花嫁の妹は召集令状を手にうろたえる恋人を慰める。やがて姉が産気づき、難産の末、明け方に小さな命が誕生した。そして8月9日・・・。

評価★★★☆/70点

「どうやって子供はできるの?」という少年の問いかけに対し、「こうやってできるんだよ」というのを丹念に綴った夏の一日、、、1945年8月8日。

少年は性に目覚め、乙女は恋に恋焦がれ、花嫁は花婿と結婚式をあげ、女は男と結ばれ、子供を出産し、女は母になり男は父になる。

「アメリ」(2001)で、アメリが「今この瞬間に愛を交わし合い絶頂を迎えているカップルはどのくらいいるんだろう・・」と想像するシーンがあるけど、そうやって日々生命は紡がれ、次の世代につながっていく。

そうやって家族というものはできていくのだ。

「どうやって子供はできるの?」「こうやってできるんだよ」

その日常が、一瞬で霧のごとく消されてしまうラストの衝撃はあまりにも重い。

連綿とつながれてきた彼らの生の営みがブツリと断絶されてしまうことが最初から予定調和として分かっている映画、、、それをはたして映画と呼んでいいのだろうか。

いや、そんな映画があっていいはずがない。こんな恐ろしい映画があっていいはずがない。

彼らに明日が来ないことをはじめから知っている映画なんて・・・。

と同時に核兵器の恐ろしさをこれほど如実に描き出した映画もないこともまたたしかなのだ。

閃光が走る直前に映し出される路地裏で遊ぶ子供たちの楽しそうな姿が目に焼きついて離れない。

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