夢のシネマパラダイス127番シアター:自分の子供たちを戦争に行かせたくありません。
硫黄島からの手紙
出演:渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童、裕木奈江
監督:クリント・イーストウッド
(2006年・アメリカ・141分)2006/12/25・盛岡フォーラム
評価★★★★★/95点
内容:戦況が悪化の一途をたどる1944年6月。アメリカ留学の経験をもち、米軍との戦いの厳しさを誰よりも覚悟していた陸軍中将栗林が硫黄島に降り立った。着任早々、栗林は本土防衛の最期の砦である硫黄島を死守すべく、島中にトンネルを張り巡らせ、地下要塞を築き上げる。そんな栗林の登場に硫黄島での日々に絶望していた西郷ら兵士たちは希望を見出す。しかし、古参の将校たちの間では反発が高まり、、、。米軍は当初圧倒的な戦力の違いから5日で陥落できると踏んでいたが、予想以上の日本軍の抵抗により36日間に及んだ激戦となった硫黄島の戦いをイーストウッド監督、スピルバーグ製作により日米双方の視点から見つめた硫黄島2部作の第2作目。
“2006年から61年前の硫黄島にタイムスリップした現代人・二宮和也が間近で体験した硫黄島の激戦!世界ウルルン滞在記。”
といっても過言ではないつくりにはなっていると思う。
だって、あの言葉遣いは実際どうなの
なんかふと2005年の年末にテレ朝でやった山田太一ドラマスペシャル「終りに見た街」を思い出してしまった。
システムエンジニアをしている中井貴一扮する主人公とその家族が、朝家でフツーに起きたら昭和19年の東京になっちゃってたというとんでもない話。
主人公の友人(柳沢慎吾)も息子とともに昭和19年の東京にタイムスリップしてしまうのだけど、その息子(窪塚俊介)がなんか今回の映画の西郷(二宮和也)と似てたような気がしたもんで。。
冷めた視線とかやる気のない感じとか。だってあんなヤル気のない「天皇陛下万歳!」を映画で見たのは初めて(笑)。
それはともかくあのTVドラマはあの時代にタイムスリップしたことによるジェネレーションギャップをことさら強調して描くことで戦争の恐ろしさを過去の絵空事としてではなく、より現実感をもって伝えられていたように思うが、一方今回の「硫黄島からの手紙」は内地・東京のお話ではない。最前線の戦場に置かれた兵士たちの話なのだ。
ここにあのTVドラマとの大きな違いが生じる。
そう、、少なくとも自分は最前線の戦場に置かれた兵士たちどころか、あの戦争でお国のために戦ったいわゆる旧帝国軍人の話や体験談などことごとく聞いたことがないのである。
たぶん自分みたいに戦後何十年も経って生まれてきた人たちはみんなそうだと思う。
空襲や原爆、特攻、沖縄のひめゆり部隊などは耳にタコができるくらい聞かされてきたし、脳裏に焼きつくくらい映像で見せられてきたが、なぜか外地で戦っていた兵隊さんたちの話は、まるでタブーであるかのごとくほとんど聞かされたことがないし、そういう映画すらほとんど見たことがない。
なのに判で押したようなステレオタイプとして旧帝国軍人は人道にもとる極悪非道な絶対悪として言われ、教えられ、描かれてきた感は拭えない。
個人的には、人殺しを生業とする軍隊に良い軍隊などあるわけがないと思っているので、それが善か悪かと問われれば問答無用で悪と答えるだろう。
しかし、その悪の中に自ら進んで飛び込んでいった者であれ、強制的に放り込まれた者であれ、彼ら軍人一人一人を単純にいっしょくたに悪一色で片付けてしまう思考の処理の仕方は絶対におかしいと思うのだ。それは日本軍であれ米軍であれ。
問題は、善良な人間がその悪の中に入っていかざるをえなかった時に、その人間が内に持っていた理想や信じていた大義が、戦争の圧倒的に無慈悲な現実の前で打ちのめされ殺がれていく中で、次第に彼の中にある善なるもの悪なるもののせめぎ合いさえもなくなっていく、すなわち人間性が消失していくという愚かで醜くて空しい狂気の過程こそが重要であって、誰が善で誰が悪か、どっちが善でどっちが悪かという結果ありきの線引きは意味を成さないと思うのだ。
もちろんそのせめぎ合いの中で人間性を完全に消失してしまい、狂気の戦闘マシーンへとなりはてる者もいれば、かろうじて人間性を失わない者もいるだろう。
そしてその悲劇の過程を通した上で戦争という悪、軍隊という悪、死ぬことを強要する狂気という絶対悪へと駆り出していった国家の罪というものをあぶり出していくというのが至極まっとうな戦争映画だと自分は思う。
例えば今回の映画の製作にも名を連ねるスピルバーグが監督した「プライベート・ライアン」では、トム・ハンクス演じたミラー大尉がアメリカ本国にいた時に何の職業に就いていたかを部下たちが予想して賭けをするというシークエンスがあったが、国語の教師をしていたことが明らかになることで、生きることを子供たちに教えるはずの教師が暴力と殺戮の世界である戦争に駆り出されるという異常性と悲劇を如実に暴き出していたと思う。
しかし、今までの日本映画なりTVドラマなりで描かれてきた軍人像というのはそういう過程を骨抜きにして、最初っからこの人は善良で正直者で可哀想な人ですよ、こっちの人は悪の塊で善良な人や敵国の一般住民をとにかく虐げ、殺しまくる人間性の欠片もない人ですよというふうに完全に色分けして描かれてきた面が相当あると思う。
前々から戦場を描いた日本の戦争映画って、なんで狂気を描けなくてこんなうわべだけの薄っぺらい“青春映画”(戦争映画ではなく)になっちゃうんだろう、と思うことがしばしばだったのだけど、そういう思考回路で作っちゃうからそうなっちゃうわけで、この思考がいかに幼稚で薄っぺらなものかということは今回の映画を見るまでもなく分かろうものだ。
、、がしかし、ここが1番大きな問題だと思うのだが、今まで日本人はそれを建て前上良しとしてきた面があった(と自分は感じる)のではないだろうか。
心のどこかであの戦争の被害者を演じることで、加害者としての側面や戦争の闇、狂気の部分というものから逃避し思考をストップさせてしまうある種の逃避装置として働いてきたのではないだろうか、ステレオタイプな描き分けというあまりにも単純で通り一辺倒の手法を通してあの戦争の総括から逃げ続けてきたのではないだろうか、、そして日本の戦争映画というのはいつしか被害や加害、善か悪かを超えた理不尽な悲劇としてではなく、あくまで被害者として狂気ではなくいかに可哀想に描くか、ということになっていき、戦場を描いた映画というのが数えるほどもないという体たらくに陥ってしまったし、日本人もそれを良しとした・・・。
そういうことが今回のクリント・イーストウッド監督作のアメリカ映画を通して一気に骨抜きにされた気がしてならない。
日本人の多くが教えられてきたであろうあの戦争は間違った悪い侵略戦争だったという認識を暗黙の了解のもと旧日本軍=旧帝国軍人がやったことは全て悪という図式(逃避装置)でいっしょくたにして極力触れないようにしてきた一方、それじゃああの戦争を外地でお国のために懸命に戦った500万人(うち200万人余が戦死)もの日本人を断罪できるのか、といったらほとんどの日本人は断罪ではなく、哀悼の方を選ぶだろう(当たり前だ)。
しかも、うち300万人余は外地から無事復員してきて、生きて無事に帰ってこれて本当に良かったねぇと家族に迎えられ(かくいう自分の祖父もノモンハン事件からシベリア抑留などの死線を経て無事生きて帰ってきた)、その後良い父親なり良い息子、そして普通の良き日本人として戦後日本社会の礎として懸命に生きてきたはずなのだ。
そういう建て前と本音のひずみの中に埋没することを避け、上っ面の中を浮遊してきた日本人、、“天皇”や“靖国”の問題、突きつめていけば国家の戦争責任としての罪の問題にケリをつけられない、あるいはケリをつけようとしないできた日本人には「硫黄島からの手紙」のような映画は作れないし作りようがないのかもしれない。これから先も・・・。
そういうことを考えても、60年前にアメリカに戦争で負け、60年後映画でもアメリカに負けた、と言わざるをえないほどの衝撃を少なくとも自分は受けた。
日本人の自分でさえ、玉砕や潔い自決が美徳とされたあの時代の兵隊さんたちの内面を知ることや理解することが到底難しい中で、冷めた視線をもち、絶対に生きて帰るんだという意志をもつ現代っ子的なキャラである西郷(二宮和也)を中間点に置いて第三者的立場で語らせたのは上手いし、各々の人物の深みのある人間像の描き方には唸るしかない。
誇りある帝国軍人としての教育と鬼畜米英の精神的な貧弱さを徹底的に叩き込まれてきたであろうエリート憲兵隊員清水(加瀬亮)が現実と真実を目前で見せられることによって、理想と信念が揺らいでいき生への執着を見せ始める様、そして極めつけは今まで典型的ステレオタイプの憎まれ役で描かれてきたであろう厳格な帝国軍人伊藤中尉(中村獅童)のあまりにも皮肉の効いた顛末など、どれをとっても本当に考えさせられてしまう描写の連続だったと思う。
「天皇陛下万歳!」と叫ぶ姿、泣き叫びながら手榴弾を腹に抱いて自決する酷い姿、ものすごい砲弾の雨あられの中で排泄物の入ったバケツを四苦八苦しながら拾い上げる姿、、本音と建て前のひずみの中に埋没していき、もがき苦しむ日本兵の姿に、人間の、そして日本人の深い所をえぐられたような、そんな重い衝撃を受けた。
先日開業したばかりの最新設備が調っているシネコンで見たのだが、閉所恐怖症の自分は地下洞窟の中に響き渡る砲弾の轟音を聞いて足がガクガク震えそうになったくらいだ・・・。
そして、序盤で米軍が硫黄島を爆撃してくるシーンで空から爆弾がズドーンという腹に響くもの凄い爆音とともに砂塵を巻き上げて降り注いでくるところなんかは、ああ、これが爆弾が空から落ちてくるってことなんだ、と生まれて初めて実感したというか体感した気がする。
もちろん、この映画が硫黄島の戦いの悲劇を全て描き出していたとは思わない。
8月にNHKスペシャルで「硫黄島玉砕戦/生還者61年目の証言」を見たが、それによると米軍が硫黄島を制圧した後も何千という日本兵が地下にこもっていたそうだ。
そして“生きて虜囚の辱めを受けず”と徹底的に教育され投降が許されなかった彼らを新たに襲ったのが飢餓だったというのも悲しい・・・。
炭を食べたとか、遺族の方には決して話せないような仲間内での陰惨な悲劇など、それを証言者の一人は「畜生の世界」と言っていたのがあまりにも印象的だった。
いまだ1万数千もの日本兵の遺骨が未収集のまま眠っている硫黄島。
それを知っている日本人ははたしてどのくらいいるのだろうか。
自分も初めて知ったくちなのだが、渡辺謙がインタビューで言っていたように日本人は過去の戦争についてあまりにも知らなさすぎる。
それを戦後60年経った今考えさせてくれた今回の映画には感謝してもしきれないくらいだ。
中国映画の「鬼が来た!」(ちなみに本国中国では上映禁止処分)、そして今回のアメリカ映画「硫黄島からの手紙」で中国人、アメリカ人が提示した一言では括りきれない日本人像に自分は衝撃を受けた。
日本人自身の手で撮った真の戦争映画が世に出る日がいつかやって来るのだろうか・・・。
Posted at 2006/12/29
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野火
出演:塚本晋也、森優作、神高貴宏、入江庸仁、山本浩司、中村優子、中村達也、リリー・フランキー
監督・脚本:塚本晋也
(2014年・日本・87分)盛岡フォーラム
内容:日本軍の敗北が濃厚となった太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島。結核を患った田村一等兵は野戦病院行きを命じられ、部隊から追い出される。しかし野戦病院でも食糧不足を理由に追い返され、行き場を失った彼は、酷暑のジャングルを彷徨いつづける・・・。
評価★★★★/80点
今までの戦争映画は、反戦悲劇のイデオロギーを基調としながらも、いわゆる英雄譚めいたミッションもの(作戦遂行もの)のフォーマットをとって、そこにキャラクターやストーリーをかぶせてくることが多かったと思う。
しかし、指揮系統が失われ、飢えて痩せこけた兵士達の撤退作戦と呼べるものですらないジャングルの彷徨にはイデオロギーなど存在するわけもなく、ただただ餓鬼・畜生と化した人間の姿だけが浮き彫りになる。
戦争には物語などない。ある意味それが戦争の真実なのだろう。
また、そのリアリズムを強化するのが目を覆いたくなるほどの人体破壊描写なんだけど、肉体が金属化していく男の不条理をグロテスクに紡いだ「鉄男」から一貫して肉体の内部・深部にフォーカスを絞ってきた監督だけに、今回の映画は監督ならではの破壊衝動と肉体論を結実させたというなるべくしてなった流れだったのだと思う。
でも、人間の身体がいともたやすくグチャグチャになり、そこにウジ虫が湧くような光景こそが戦争の真実なのだろう。
さらにその中で世界から色が消えていくのが戦争だと思うけど、吸い込まれそうな空の青、生命力あふれる密林の緑、そして誘惑してくるような花の妖しげな赤と、大自然のどぎついまでの美しさが際立つ色もまた印象的だった。
しかし、自分は子供の頃、「はだしのゲン」や「黒い雨」「ビルマの竪琴」などを親に見せられて戦争に対するトラウマを植え付けられたくちなんだけどw、この映画はそのレベルを超えていて子供に見せるのは躊躇しちゃいそう
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野火(1959年・大映・105分)NHK-BS
監督:市川崑
出演:船越英二、ミッキー・カーティス、滝沢修、浜口喜博、石黒達也、稲葉義男
内容:太平洋戦争末期、フィリピン戦線レイテ島で日本軍は山中に追い込まれ飢餓状況にあった。病気で原隊を追い出され、野戦病院にも入れてもらえない田村一等兵は、敗走する戦友2人と合流するが、飢餓に苦しむ彼らは“猿”と称して兵士の死肉を食べていた。田村は彼らと決別し、さらなる彷徨を続けるが・・・。
評価★★★/65点
2015年の塚本晋也監督版を先に見てからの鑑賞。大岡昇平の原作を読んだことがないので分からないけど、塚本版がかなり忠実にこの市川版を踏襲していることが分かってちょっと驚いた。
ただ、市川版の方がモノローグやセリフで状況を論理的に説明していて分かりやすいんだけど、視線を一向に合わせない上官など物語性を排除し、人間が人間でなくなる非論理の世界をまるで白昼夢のように肌感覚に迫るまで描き切った塚本版の方が上か。
あとはやっぱり市川版のモノクロに対し、塚本版のカラーが活写するどぎつい天然色の威力は凄まじく、映画の世界観をより増幅させていたと思う。
と、なぜか塚本版にばかり目がいってしまったけど、感傷に訴えてくる市川版の手法も決して悪くはない。
今度は原作の方をしっかり読んでみたいと思う。
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ハクソー・リッジ
出演:アンドリュー・ガーフィールド、サム・ワーシントン、ルーク・ブレイシー、ヒューゴ・ウィーヴィング、ヴィンス・ヴォーン
監督:メル・ギブソン
(2016年・豪/米・139分)WOWOW
内容:アメリカの田舎町で育ったデズモンド・ドスは、「汝、殺すことなかれ」の教えを胸に刻んで育ってきたが、第二次世界大戦が激化する中、衛生兵であれば自分も国に尽くせると陸軍に志願する。しかし訓練で武器に触れることを拒否。上官や他の兵士たちから嫌がらせを受け、ついには命令拒否で軍法会議にかけられるも自分の主張を貫き通し、晴れて衛生兵として従軍を認められる。そして1945年5月、デズモンドは沖縄の激戦地で150mの断崖がそびえ立つハクソー・リッジ(前田高地)に到着するが・・・。
評価★★★☆/70点
実話というのは恐れ入った。
のどかで平和な平時に一般人がライフルを所持していたら逮捕され裁判にかけられるけど(当のアメリカは別としてもw)、戦時に一般人が兵士と名を変えた時に所持を拒否すると裁判にかけられるという、戦争の持つ矛盾。志願兵でありながら武器を持たないで戦争に向かう主人公のバックグラウンド。そして彼の宗教に裏打ちされた倫理観、正義感が軍隊においてはいかにおかしなことなのか。
これらを理解させるのに1時間もの長尺を使って描いたのは、メル・ギブソンの覚悟を感じさせて良い。
そして、それでもっての後半、肉片飛び散る沖縄の戦場の地獄絵図😵
四の五の言わせぬあまりの凄惨さは、前半の理屈などひねりつぶしてしまうほど強烈だけど、そこで信念を貫き通す主人公の神ってる姿にただただ圧倒されてしまった。
日本軍については、バンザイ突撃なども描かれていて特に違和感はなかったけど、沖縄戦の特徴である軍民混在の実像には程遠いように感じた。
ハクソーリッジのあった浦添では住民の2人に1人が亡くなり、4軒に1軒が一家全滅という悲劇を被ったという。
戦争はダメだねホントに。
日本映画でちゃんとした沖縄戦を描いた映画作ってくれないかなぁ。。
P.S.日本は赤紙1枚で戦争へというイメージが強いせいか嫌々行きました感がつきまとう。しかしアメリカは第二次世界大戦の映画を見ると先を争って志願したというイメージがあって、今作なんて入隊テストに落ちて地元の知り合いが2人自殺したなんて話まで出てきてビックリ。
そんな中、武器は絶対持ちたくないし、人を殺したくないけどお国のために戦争に行きたいって、お上の立場からしたら確かにめんどくさいのかもw
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太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-
出演:竹野内豊、ショーン・マッゴーワン、井上真央、山田孝之、中嶋朋子、岡田義徳、トリート・ウィリアムズ、ダニエル・ボールドウィン、阿部サダヲ、唐沢寿明
監督:平山秀幸
(2011年・東宝・128分)WOWOW
内容:1944年、日本軍の重要拠点であるサイパン島。劣勢に立たされていた守備隊は、圧倒的な兵力差を誇るアメリカ軍に上陸を許し、陥落寸前まで追い込まれていた。そしてついに軍幹部は玉砕命令を発令。そんな中、陸軍歩兵第18連隊の大場栄大尉は生きることに執着し、無駄死にすることなくアメリカ軍への抵抗を続けることを決意する。そんな彼の人望を慕って、上官を失った兵士や民間人たちが集まってきて、やがて彼らはサイパン島の最高峰タッポーチョ山に潜み、ゲリラ戦を展開していく・・・。
評価★★★/60点
サイパン島の激戦終結後も多数の民間人と共にジャングルにこもり1年半もの間アメリカ軍に抵抗しつづけた大場大尉の実話を日本軍、アメリカ軍双方に加えて民間人も含めた視点から描いた丁寧な筆致は好感が持てるのだけど、作品としてはあまりパッとしない印象。
要は、アメリカ軍視点はいらなかったと思う。
この映画の軸となるべきは、一人でも多くの敵を殺し、生きて虜囚の辱めを受けず徹底抗戦すべし!という、軍人勅諭や戦陣訓によって叩き込まれた軍人としての使命感と、一人でも多くの日本人を生かし日本の地を踏ませたいという人としての思いの狭間の葛藤を縦軸に、軍人と民間人がジャングル奥地で共生するという異常な状況下での苛酷さを横軸にして描かれるべきものだからだ。
しかし、それが米軍視点の勝手な賛美が介入してくることにより、何かうわべだけの美化描写になってしまった感が否めない。
例えば横軸として挙げた軍民一体化は、沖縄戦最大の悲劇といってもよく、その先駆として行われたサイパン戦でも追いつめられた民間人はバンザイクリフから次々に飛び降りていったわけで、“奇跡”などという綺麗事では片づけられないそういう戦争のおぞましさや悲惨さを描かなければサイパン戦を題材にした意味がなかろう。そこがこの映画は甘いし浅いと思う。
せっかくの井上真央や中嶋朋子の良い演技があるのに、その存在価値が軽くなっちゃってて、なんかもったいなぁと。
まぁ、唐沢寿明演じる堀内一等兵の人物造形なんかは完全に浮いてたけど、岡本喜八の独立愚連隊に出てきそうなキャラで個人的には好きだったw
って本当にいたんだ!こんな入れ墨兵士
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聯合艦隊司令長官山本五十六-太平洋戦争70年目の真実-(2011年・東映・141分)WOWOW
監督:成島出
出演:役所広司、玉木宏、柄本明、柳葉敏郎、阿部寛、吉田栄作、椎名桔平、坂東三津五郎、原田美枝子、田中麗奈、伊武雅刀、宮本信子、香川照之
内容:日本が恐慌にあえいでいた1939年。国内では好戦ムードが盛り上がり、陸軍が日独伊三国同盟の締結を強硬に主張していた。しかし、海軍次官の山本五十六は慎重論を唱える。ドイツと結べばアメリカとの戦争は必然であり、両国の国力の差を見知っていた山本にとっては絶対に避けなければならない戦いだった。そんな中、山本は聯合艦隊司令長官に就任するが、その翌年に三国同盟が締結され、対米戦が日に日に現実味を帯びてくる・・・。
評価★★★/65点
太平洋戦争を題材にしたこのての映画を見ると、国力が日本の10倍のアメリカに勝てないことは明白でありながら、あの悲惨な戦争をおっ始めた挙句、日本を焼け野原にするまで延々と長引かせた責任者は誰なのかという視点を拭い去れないのだけど、この映画を見るかぎりその責任は内地で談合を繰り返す軍人官僚や日独伊三国軍事同盟を強行した陸軍上層部にあったということらしい。
また、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦での不手際も南雲中将など取り巻きにその責任はあり、山本五十六はつとめて冷静かつ良心的な名将として描かれている。
要は、彼の言うとおりにしていればあんな事にはならなかったのに、という描き方だ。
そこに若干の違和感を感じずにはいられないのだけど、役所広司の堂々とした存在感と物腰柔らかな包容力にほだされて、結局受け入れてしまう(笑)。
いや、それじゃダメなんだけど、こういうエリート軍人を伝記ものに括るような映画はどうしても美化のフィルターがかかってしまうのだということを承知して見ないとダメなんだろうね。
ただこの映画、評価できるところも少なからずある。
それは戦争を遂行したのは軍部であることは明白なのだけど、軍部だけが突出して暴走していたのではなく、マスコミ・メディアが戦争をあおり、国民自身が好戦的ムードに包まれそれを後押ししていたという点を描いたところだ。
もちろんその背景には不景気や政治不信といった社会の閉塞感、また軍国教育や大本営発表といった情報操作があったのだろうけど、その図式はなにも当時にかぎったことではなく今の世の中にも通じるものだろう。
だからこそ「自分の目と耳と心を開いて広く世界を見なさい」という山本五十六の言葉をしっかり噛みしめなければならないのだと思う。あの戦争を絶対繰り返さないためにも・・・。
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陸軍(1944年・松竹・87分)WOWOW
監督:木下恵介
出演:田中絹代、笠智衆、上原謙、東野英治郎、杉村春子
内容:九州小倉で質屋を営む高木家は、奇兵隊の山県有朋の知己を得たことをきっかけに、お国への滅私奉公を家訓としてきた。明治37年、智彦は使用人のわかと結婚。やがて日露戦争が勃発するが、智彦は病弱のため前線で働けず、銃後でしか国に尽くせなかった。それから時を経た昭和。智彦は果たせなかった思いを太平洋戦争に出征する息子に託す。妻のわかも天子様のために役立てるのだと安堵する中、出征の朝を迎えるが・・・。
評価★★★★/75点
原恵一監督の「はじまりのみち」において丸ごと引用した「陸軍」のラストシーンに痛く心を打たれ、見たいと思っていたらTV放送していたので鑑賞することに。
まず、冒頭の松竹のロゴの登場シーンからえらく古い映画だなと思ってたら昭和19年だって
しかし、軍が主導した戦意高揚映画が「陸軍」の他にも何本も作られていたなんて、不幸で悲しい時代だったんだなと改めて思う。
肝心の映画の方は国策映画とはいえ、当時の風俗や時代の風潮が色濃く感じられて有意義だったし、母親が戦地に向かっていく息子を見送るラスト10分はやはり感動的で胸に迫ってくるものがあった。
それまでは「天子様からの預かりもの」である息子が立派な兵隊になれるように小さい頃から厳しく叱咤しながら育ててきた軍国の母のお手本のような姿が印象的だったけど、いざ息子を送り出す段になると、気丈な建前から一転哀しみの本音が顔を出してくるのは母親として自然なことだろうし、当然なことを当然なこととして描いた勇気に拍手したい。
他にも子供が橋から川に飛び込む度胸試しみたいなところを通りかかった母親が、男なんだから潔く飛び込め!と背中を押したり、今の時代では考えられないシーンもあったりして面白かった。
あと、印象的だったのが水戸光圀編纂の大日本史が一家の家宝として象徴的に映し出されていたことだ。
これは光圀が創始した水戸学というものが、絶対の忠誠の対象は将軍や殿様などではなく天皇なのだとした朱子学的思想の一環として編まれたものであるため、天子様=天皇を尊ぶ教典として重宝されたことがうかがえるものなのだろうと思われる。
いずれにしてもこの映画は時代を越えて残されるべき作品だし、今だからこそ見なければならない映画だと思う。
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