夢のシネマパラダイス565番シアター:崖の上のポニョ
崖の上のポニョ
声の出演:山口智子、長嶋一茂、天海祐希、所ジョージ、土井洋輝、吉行和子、奈良岡朋子
監督・脚本:宮崎駿
(2008年・東宝・101分)DVD
内容:海辺の小さな漁師町で崖の上の一軒家に暮らす宗介はある日、ジャムの瓶に頭を突っ込んだ金魚を見つける。宗介はポニョと名付けて連れ帰るが、実はポニョは海界の女王の娘だった。そしてポニョは、もともとは人間だった父フジモトによって海の中へ連れ戻されてしまうが・・・。
評価★★★/65点
小1でナウシカ、小3でラピュタ、小5でトトロ、小6で魔女宅という最も良い時期に宮崎アニメの最も輝いている作品をリアルタイムで見られたオイラはホンットに幸せ者ですっ!
という自分にとって宮崎アニメとは突きつめていえばこの4作品にカリオストロの城(1979)を加えた5作品といっても過言ではない。
勝手な解釈では前記作品が宮崎駿のスタンダード確立期、紅の豚(1992)が転換期、もののけ姫(1997)以降が宮崎駿の暴走期と決めつけてるんだけどw
その中で、えてしてスタンダードを確立した芸術家というのは映画作家でも音楽のアーティストでも往々にしてニーズに応えることを放棄して自己の内面世界へ没入していく傾向にあり、黒澤明など巨匠であればあるほどそれは明確になる。
その変容は構成力と調和の世界からイメージと幻想の世界へということになろうか。
その点でいえば宮崎駿もまさにそうで、もののけ姫以降、その変容の振り子の針の振れ幅は大きくなるばかりで、物語ることの放棄と物語りの破綻は目を覆うばかりだ。
宮崎アニメというのは大別すれば、未来少年コナンやナウシカなどのディストピア・ファンタジーと、トトロや魔女宅などの日常の中に潜むファンタジーとに分けられると思うんだけど、その中で、前者の破綻作がハウル(2004)であり、後者の破綻作が千と千尋(2001)ということになろうか。
しかし、宮崎駿の恐るべきは、この変容によって大多数の人はふるいにかけられコアなファンしか残らないのが普通なんだけど、なぜか宮崎駿の場合は客が減るどころか逆に客が右肩上がりで増えつづけるというありえない現象を巻き起こしているのだ。
これは宮崎駿の成し遂げたスタンダードの確立が、日本国民はすべからく宮崎アニメを見るべし、という宮崎アニメの義務教育化ともいうべき恐るべき成果によるところが大きいのと、構成と調和を度外視したイメージの洪水があまりにも凄すぎて見る側が中毒患者のように頭のどっかが麻痺してしまうからだろう(笑)。
おそらく、こういう監督、世界中を見渡してもそうはいない。
そして、今回である。
もうね、、イッちゃってます!逝っちゃってるんですww!
5歳向けの絵本のような作品世界ということで、そんなもんに大の大人が御託を並べてとやかく論評すること自体バカバカしいのは百も承知だけど、いや、しかし、少なくとも自分自身6歳でナウシカをスクリーンで見た者から言わさせていただきますれば、これはどうなんだろうと。。
昔っからそうなのかは知らないけど、創作過程において宮崎駿はシナリオからではなくイメージボード=絵から入り、そのイメージを広げて構想を広げていくというけど、これは常人にはかなり困難な作業なはずで、一歩間違えれば物語が容易く破綻してしまう危険性をはらんでいる。
千と千尋でイメージの洪水と物語を無理やり結合させた豪腕も寄る年波には勝てなかったのか、あるいは要らないものを削ぎ落としていった結果こうなったのかは知るよしもないが、今回の物語のいい加減さには思わず戦慄を覚えた。というか、気持ち悪いといった方が正確かもしれない。
では、この映画の何がそんなに気持ち悪いのか。
それは、日常を舞台にしているようにみえて、その実まったく日常に見えない不気味さ、日常という化けの皮をかぶった異様な非現実で覆われていることが大きい。
この映画にはたしかな日常の感触がないのだ。
それがトトロや魔女宅にあってポニョにないものであり、それがこの映画に対する気持ち悪さにつながっているのだと思う。
これはオープニングからしてすでに、恐るべき魔法力を持ったポニョがフジモトの結界を破って人間と接触したため、非現実が津波のように現実を侵食しているせいなのかもしれないし、その点でみれば、月の満ち欠けが女性のカラダに影響を与えているとするならば、月が地球に接近した影響で精神に変調をきたしたリサが子供そっちのけで暴走するのにも理由がつく、のかもしれないけど・・。
でも、手足を生やす変態したギョロ目のポニョなんてまるで千と千尋に出てきたカエル男にそっくりでキモイし。そういえばあのカエル男って欲望の亡者だったっけ。
ポニョも欲望の趣くままに波の上を疾駆し、5歳の少年の元をひたすら目指す。たとえ大津波を引き起こし、町を海中に没し、世界の均衡のバランスを崩壊させようとも。
これをカワイイとみるか、恐いとみるかは人それぞれだけど、自分はちょっと違和感が・・・。
しかし、すべてが手描きという絵柄は全く違和感なく見れたし、宮崎駿の持つ絵の力はまだまだ健在だなと。蛇口から出た水が飛びはねるラフな描線など面白かったし、ハム入りラーメンはめちゃ美味しそうだったし、幾通りもの波の描写も素晴らしかった。
やっぱシナリオやなぁ。。物語に調和と均衡を・・。
でも、宮崎駿にそれを求めるのはもうムリなのかもしれないな。後進に期待するしかないか。。
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夜明け告げるルーの歌
声の出演:谷花音、下田翔大、寿美菜子、斉藤壮馬、篠原信一、柄本明
監督・脚本:湯浅政明
(2017年・日本・113分)WOWOW
内容:さびれた港町の日無町。父と祖父と暮らしている中学生のカイは、親の離婚で東京から越してきたが、なかなか解けこめずに心を開けないでいた。そんな彼にとって唯一の楽しみは、自分で作曲した音楽をネットにアップすること。そんなある日、カイの音楽の才能に気づいたクラスメイトの国夫と遊歩に彼らが活動しているバンドに誘われる。カイは仕方なく練習場所の人魚島へ行くが、そこで3人の音楽に合わせて楽しそうにダンスする人魚の少女ルーと遭遇する・・・。
評価★★★★/75点
宗介とポニョをプラス10歳設定にしたかんじで、どうしてもかの作品の幻影がオーバーラップしてしまったけど、二番煎じ感よりも独創性の方が100倍勝っていると感じられたのは素直に湯浅監督の力量を認めたいところ。
が、キャラ設定が決定的に弱いのが玉にキズで、デフォルメした絵の描線がフニャフニャなのは感性的で良いとしても、その割にどうも生命力に乏しくてキャラクターの躍動が結局理性的なところに落ち着いちゃうんだよね。そこの突き抜けなさが少しもったいなかったかなぁと。
音楽はポップな世界観とマッチしていて良かっただけに、まだまだ爆発力があってしかるべき作品だったように思う。
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