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2018年1月 2日 (火)

夢のシネマパラダイス137番シアター:スター・ウォーズエピソード1/ファントム・メナス

85110view011 出演:リーアム・ニーソン、ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ジェイク・ロイド、サミュエル・L・ジャクソン

監督・脚本:ジョージ・ルーカス

(1999年・アメリカ・133分)1999/08/09・仙台第1東宝

評価・点数なし(計測不能)

内容:昔むかし、はるか、はるか彼方の銀河系で、、、惑星ナブーが通商連合軍のドロイド部隊によって突如侵略を受ける。ナブーの指導者アミダラ姫は、ジェダイの騎士クワイ=ガン・ジンと弟子のオビ=ワンに救出され、惑星タトゥイーンに逃げ延びる。そしてそこでクワイ=ガンは、底知れぬ理力を秘めた少年アナキン・スカイウォーカーと出会う。

“デジタルテクノロジーというダークサイドに完全に落ちてしまったこの映画に、アナキンがいかにしてダークサイドに落ちていくかなど語る資格はない。”

というか語ってもらいたくなかった。どうせ薄っぺらくなっちゃうのが目に見えてるんだから、と思っていたら、、おっと、それはつづくエピソード2、3のレビューで。

さておき映画に限らず人間が創造してつくってきた芸術作品、あるいはそんなものじゃなくても例えばチームの戦術組織と選手個々の連動のバランスの上に成り立っている自分の大好きなサッカーでもいい。

それらを見て、その作品や試合から役者たちも含めた作り手側の匂いとか想い、あるいは選手の勝ちたいというがむしゃらな意識、そういう“魂”を感じ取れた時にはじめて見る側は、自分の魂と共鳴してうわー凄い映画だとか、もの凄い試合だとか思ったり感動したりすることができるわけで。

ここで誤解のないように言えば、そういう魂は自分の魂と別に共鳴しなくてもいいわけ。あっ、これは自分とは合わない映画だなとか、これははっきりいって嫌い!とか自分の中で評価できるわけじゃん。

そして虚構ではないサッカーの試合は言うに及ばず、普通大多数の映画はそういう魂を持ってるものなんだよね。その魂が強いとか弱いとか好きとか嫌いとかいう違いはあれ。

具体的にいえば、それは監督独特のアクの強さだとか色であり(例えばポール・ヴァーホーベンだとかジャン・ピエール・ジュネだとか)、演じる役者の個性とか意志であり(「七人の侍」の三船敏郎とか「インサイダー」のラッセル・クロウだとか)、オレたちゃこういう映画を意地でも世に送り出したいんだという作り手総意の想い(「スター・ウォーズ」とか「地獄の黙示録」とか)etc..であるわけで。

つまりもっとつっこんでサッカーでいうならば、戦術という制約、枠にとらわれて動いている選手が点を取る!勝つ!という強烈な意志の下に、その制約の殻を打ち破って自分主体で動き出すこと。そして1人でもそういう魂をこめたプレーをし出すと、チーム全体にそれがドミノのように波及していき、チームが活性化するばかりか見ている観客にも及んで伝わってくる。

映画も全く同じでしょ。ていうか映画の方がはるかに制約は多いよね。

時間、資金、テーマ、、その中で監督、役者をはじめとする作り手が何とか自分主体で作り上げていくもの。それが映画だと思うし、そう思いたい。

しかるに、この映画にはそんなもん微塵のかけらも感じられないわけですよ。。皆無。

要するに魂のない抜け殻を見てるようなもの。だから評価のしようもないわけ。

★1つにもなれば★3つくらいにもなるかなと思ったけど、それらの点数付けた他の映画たちに悪いので点数なし!にします。

別にスター・ウォーズシリーズが大っ嫌いというわけではないのでその点はあしからず。現に1977年作の「スター・ウォーズ」は大好きだし。

さっきも作り手総意の想いが強烈に伝わってくる映画に「スター・ウォーズ」を挙げたように、ホントに凄い強烈な魂が込められてるよね。誰が見たってそれは感じられるはず。

では、なぜあれから20数年経って作られたエピソード1がこんななれの果てにまで成り下がっちゃったのか。

まずこの映画を作るにあたっての制約とか枠って何かなと考えると、お金でもなければ時間でもない。。

それはルーカス自身によって作り上げられたスター・ウォーズの作品世界そのものなのではないかなと。

旧スター・ウォーズ3部作(エピソード4~6)が作られてから約20年の間にスター・ウォーズという世界は、ルーカスの手を離れまさにビッグバンのごとく膨張を続けたわけで、その制約、枠があまりにも広く大きくなりすぎちゃったのではないだろうか。

つまり、スター・ウォーズの作品世界という制約の枠、殻を打ち破るのは当のルーカスでさえも不可能な状態になってしまった!?その枠、殻の輪郭の表面をなぞるので精一杯だったのでは。。

だから一見すると抜け殻に見えてしまうのも無理からぬことなのかもしれない。

となるとこのスター・ウォーズの作品世界という制約の枠、殻を打ち破るのはもう最新デジタル技術しかないとルーカスが考えたとしても不思議ではないんだよね。

が、しかし、それは全く何の効力もないばかりか完全な“ダークサイド”だったわけです。。

だってCGのジャー・ジャー・ビンクス>生身のダース・モールという救いようのない致命的欠陥をはじめとしてもうホントどうしようもないもん、これ。

まあエピソード1を作ったからにはエピソード3まで作らなきゃならないからね(笑)。

といっても今回の作品についてルーカスはあれはあれで大満足してるというのが事実なのかも・・・。

Posted at 1999/08/12の原文を一部加筆して掲載

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