夢のシネマパラダイス469番シアター:ソロモンの偽証
ソロモンの偽証 前篇・事件/後篇・裁判
出演:藤野涼子、板垣瑞生、石井杏奈、前田航基、望月歩、佐々木蔵之介、夏川結衣、永作博美、黒木華、田畑智子、余貴美子、松重豊、小日向文世、尾野真千子、津川雅彦
監督:成島出
(前篇2015年・松竹・121分/後篇2015年・松竹・146分)WOWOW
内容:バブル期の1990年。クリスマスの朝、中学2年の藤野涼子は雪の降り積もった校庭で同級生の柏木卓也の遺体を発見する。警察は自殺と判断するが、大出俊次ら不良グループが屋上から突き落とした殺人であるとの匿名の告発状が届く。やがてそれはマスコミにも伝わり、ワイドショーを連日賑わすことに。さらに別の女子生徒が事故で亡くなってしまう。この異常事態に、クラス委員でもある藤野は真相を探るために生徒だけによる校内裁判を開くことを決意する・・・。
評価★★★/65点
まず原作からいうと文庫本全6巻、3千ページもの文量を要するわりには最もオーソドックスな種明かしなので、宮部みゆき=本格ミステリーと思って読むと肩透かしをくらってしまう。
ただ、読んでいくとこの小説の主眼はそこではなくて、学校生活で決めつけられていくステロタイプなキャラクターとは異なる、学校という隔絶された場所では埋もれていた十人十色の登場人物の背景や心情や成長があらわになっていく面白さ、さらには見て見ぬふり知って知らぬふりをしている無関心の空気が事件の呼び水になっていく怖さにあることが分かってくる。
しかし、その点で映画を見ると、この2つのポイントを押さえた描写も掘り下げもスルーされていて、藤野涼子とその他大勢、そして事の真相はどうだったのかという構図にしかなっておらず、全体的に消化不良。。
しかもそういうベクトルで作るならば柏木卓也の素性およびキャラクターをないがしろにし能面のまま退場させたのも納得のいかないところだし、柏木と接点のあった被告人・大出俊次の子分である井口と橋田までスルーしているのも解せない。
これといったどんでん返しもないため、この作りだとどうしても後篇は尻すぼみ感が否めなくなっちゃうんだよね。
これはもう切に連続ドラマ化を願うしかないか・・・。
----------------------
十二人の怒れる男
出演:ヘンリー・フォンダ、リー・J・コッブ、エド・べグリー、E・G・マーシャル、マーティン・バルサム
監督:シドニー・ルメット
(1957年・アメリカ・95分)NHK-BS
評価★★★★/80点
内容:NYの法廷で殺人事件の審理が終わった。被告は17歳の少年で、実父殺害の容疑が掛けられている。あとは12人の陪審員による評決を残すのみであった。11人が有罪に投票するが、ただ1人だけが有罪の証拠が乏しいと無罪を主張する。判決は全員一致でなければならず、陪審員たちは、事件の真相を探るべく議論を開始した。
“13人目のどうでもいい男”
昔の映画だからとあまり期待しないで見始めたのが運のツキ。この物語の時間にドップリとハマり、陪審員室から一歩も出られなくなってしまった。。
父親の胸を10cmブツリと刺して殺した犯人!?その容疑者である17歳の息子の顔のクローズアップ。
もうね、何なのこのイタイケな瞳がウルウルしてる少年の顔は。蛇ににらまれたカエルか、はたまたエサを欲しがる衰弱しきったネコか、いや、アイフルのCMに出てくるチワワだよあれは(笑)。
ボ、ボクは殺してないよ~とでも言わんばかりに訴えかけてくる弱々しい顔。真っ先に「真実の行方」のE・ノートンを思い出しちまった。
とにかくあまりにも型にハマッたクローズアップになぜか引き込まれていった、、、途端に、あ、コイツ有罪だなと、そこで思考停止。。
さあ、オレを納得させ得るだけの、オレの思考を無罪に変更させ得るだけの論を張ってみろヘンリー・フォンダめ!
と思いきや、この事件、状況証拠ばっかなのね(笑)。しかも殺害現場の線路をはさんだ向かい側の建物の窓から通過中の電車の窓越しに!少年が父親を刺すところを見た、ときたもんだ。
ありえねえよ!ていうか絶対無理です!
有罪が崩れるとしたらココしかないなと薄々読めちゃったけど。
でも、、まさか眼鏡とはねぇ。一本取られたかんじ。ハイ、納得しちゃいました・・。
自分は眼鏡とコンタクトを使い分けてて、眼鏡をかけてる時に人差し指でズリ落ちてくる眼鏡を上にあげるときがけっこうあるんだけど、コンタクトしてる時に無意識のうちに人差し指でかけてもいない眼鏡を上にあげちゃうんだよね(笑)。あ゛っ、眼鏡かけてないじゃん今は。恥ずかし・・みたいな。
そういうこともあって、切り札の眼鏡ネタが出てきてやっとで有罪とは確信できない、と思うに至ったのでした。9対3で無罪優勢のところでついに陥落・・・。
気が付いたら、あの陪審員室の空間にどっぷり浸かっている自分がいた。
“真実”を“独占”する陪審員。
なんという責任。なんという重さ。
優柔不断な自分には絶対できない。。
----------------------
告発
出演:クリスチャン・スレーター、ケビン・ベーコン、ゲイリー・オールドマン
監督:マーク・ロッコ
(1994年・アメリカ・123分)DVD
評価★★★★/80点
内容:アルカトラズ刑務所を閉鎖に追い込んだ実際の事件に基づき、若き弁護士と囚人との友情を描いたヒューマンドラマ。1930年代後半、若きエリート弁護士ジェームズは、アルカトラズ刑務所内で起きた殺人事件を担当することになった。被告は25年の刑で服役中のヘンリー・ヤングという囚人で、彼は事件について何もしゃべろうとしない。裁判でほとんど勝ち目がないと思われたが、ジェームズは少しずつヘンリーの心を開かせ、事件の真相に次第にたどり着いていく・・・。
“十二人の優しいアメリカ人”
200人の面前で起こった殺人事件。
それは猿にでもできる簡単な裁判。裁判を始める前から結果が分かりきっている事件。事実を事実として見れば死刑判決以外考えられない事件。
映画で描かれた裁判の中で証言台に立ったのは元刑務官、グレン副所長、ハムソン所長、そしてヤングの4人。
ただ、元刑務官の証言は無効扱いになってしまったので実質3人。しかもグレンは、はなっから暴行の事実を否定するわけで。
要はハムソン所長が3年間で10回くらいしかアルカトラズに行っていなかったという事実と、死刑から過失致死罪に減刑されて再びアルカトラズに戻るくらいなら死刑にされた方がマシだと泣き叫ぶヤングの証言と、ヤングが法律で定められた独房収容期間最高19日間をはるかに超える3年間の長きにわたって地下牢の穴蔵に入れられていたという事実、この3点からしか判断材料がない。
はっきりいって決定的な証拠となるものは出てこないわけで、裁判劇としてはいたって地味な展開である。
例えば、アルカトラズでの暴行の事実についてことごとく口をつぐんでいた囚人が遂に証言台に立つだとか、だってラストで毅然とした表情で歩いていくヤングに対して囚人たちが皆で鉄格子を叩いて共鳴しているじゃないか。
あるいは、精神分析医に証言させるとか、3年間も真っ暗な独房に入っていたら人間どうなるのか。
そういう証言や証言者の肉付けを加えて外堀をしっかり埋めてもらいたかったという不満も少なからずある。
しかし、その不満を押し込めてしまうほどのヘンリー・ヤング(K・ベーコン)の鬼気迫る存在感とジェームズ(C・スレーター)の何者にも侵されない信念と勇気。
この2人にとにかく圧倒され、それを凝視するほかない状態に見る側の自分が追い込まれ、そして2人の勝利に納得させられたといっていい。
12人の陪審員が下した判断は、第1級殺人罪では無罪、しかし過失致死罪で有罪という結論だった。
陪審員室で繰り広げられたであろう議論のやり取りの方にも興味と関心がわき上がってくる。
----------------------
それでもボクはやってない
出演:加瀬亮、役所広司、瀬戸朝香、山本耕史、もたいまさこ、田中哲司、光石研、清水美砂、竹中直人、小日向文世
監督・脚本:周防正行
(2007年・東宝・143分)盛岡フォーラム
内容:フリーターの金子徹平(加瀬亮)は、会社面接に行くために乗った満員電車で、女子中学生に痴漢したとして現行犯逮捕される。徹平は警察・検察の自白強要にも屈せず、一貫して何もやってないと訴え続けるが、起訴されて裁判に持ち込まれることに。そこでベテラン弁護士・荒川(役所広司)と新米の須藤(瀬戸朝香)が弁護することになるのだが、有罪率99.9%の刑事裁判の中で徹平は果たして無罪を勝ち取れるのか・・・!?
評価★★★★/80点
周防正行監督が11年ぶりにメガホンをとった待望の作品のテーマは“裁判”。
周防監督といえば、禅寺のお坊さん、学生相撲、社交ダンスとマイナーな世界を綿密なリサーチをもとに軽妙洒脱なコメディタッチで描き、作品世界と我々観客との間に異文化コミュニケーションともいうべき身近な空間を創出してしまう稀有な才能の持ち主だ。
その映画を一言で言い表すならば、お笑いエンターテインメントといえると思うが、そこに通底する笑いを生み出しているのは登場人物の真摯で一生懸命な姿が一般人から見れば逆に滑稽に映ってしまうというギャップであり、周防映画の色は作品のテーマ選びによるところが大きいといっても過言ではない。
そんな周防監督が満を持して次に選んだのが“裁判”だった。
09年までに新たな裁判員制度が始まろうとしている中では実にタイムリーなテーマだが、これをどう料理し、どのようなギャップを目の前に映し出して笑わせてくれるのか。
と、例えば三谷幸喜の「12人の優しい日本人」のような密室コメディを思い浮かべてしまうのだが、しかし、フタを開けてみたら、、、全然笑うことができないではないか・・・。
笑えない。。。
密室コメディならぬ密室ドキュメンタリーといった方がしっくりくる出来。
しかし一見地味な作品にあって周防監督の作劇術や映画のつくりといった構成は今までの作品とほとんど変わっていないことが分かる。
要はその生み出されたギャップが笑いではなく、シリアスな驚きとして転化、認識されてしまうという違いだけで、たしかにコメディタッチを抑えているとはいってもユーモアな作風が一変してしまうような映画のつくりではなく、あくまでも今までの周防映画の色や特色(竹中直人などの周防映画の常連俳優がこぞって出演しているというようなことだけではなく)が随所に散りばめられた作品になっている。
つまり、この映画を受け取る側が、例えば普段ワイドショーやTVドラマなどから受け取る“裁判”とこの映画で描かれる“裁判”とのイメージギャップの差を、笑いではなくシリアスな驚きとして受け取ってしまわざるをえない現実こそが大問題なのであり、それがこの映画の狙いでもあるのだろう。
そういう意味でこの身近な社会に横たわる笑えない現実を真摯な視点で描き出した周防監督の狙いは見事にハマッたといってよく、10年のブランクなど全く感じさせない映画になっている。
でも、ホント目が点になりっぱなしの140分だったけど、これ見て1番問題だなと思ったのは、警察のあまりにもずさんな初動捜査ではなかろうか。
ここがしっかりしてないから、こういう冤罪が起きちゃうのではないかと思ってしまうくらいにヒドイ扱い。
この前、新聞を読んでたら、痴漢被害にあった女子生徒が相手を取り押さえて警察に届け出たときの署での対応ぶりに信じられない思いにとらわれたという都立高女性教諭のコラム記事があった。
警察署で捜査員から「大企業に勤めているので、クビになるかもしれないけど、犯人だと断言できる?」「裁判になると嫌な目に遭うよ」などと言われ、被害届を出さないまま帰されてしまった生徒の話や、「お前のスカートも短いからなぁ、1回目に黙っていたからまた触っていいと思ったんだろうな」などと生徒に非があるかのような言葉を投げつけられた話、セクハラまがいの行為を受けた話など、被害者が二重に傷つくというあまりにも理不尽な対応にこれまた驚愕してしまったが、これが容疑者への聴取となったら、、、映画での描写のように容易に想像がつくというものだ。。
最近では被害者の聴取に女性警官をあてるなどの配慮をする署も増えているというが、そんなの当たり前じゃないのか。。それが今までなされてこなかったということにまたビックリ。
てかへたしたら年間数千件、いや万単位で起こってるかもしれない痴漢のバカ多さに警察も面倒くさくなってしまうのかもしれないが、、、いや、それじゃ済まされない話だなホント。
満員電車に乗るときは背中から乗る!しかと覚えておこう。
----------------------
出演:鈴木京香、堤真一、岸部一徳、江守徹、杉浦直樹、吉田日出子
監督:森田芳光
(1999年・松竹・133分)早稲田松竹
評価★★★★/80点
内容:夫婦殺人事件の犯人として逮捕された劇団員の青年・柴田真樹(堤真一)は、容疑そのものは認めたものの事件当時の記憶がなく、殺意は否認する。やがて裁判が始まると、弁護側は心神喪失を主張、精神鑑定により柴田が多重人格と認定される。ところが、鑑定を行った教授(杉浦直樹)の助手・小川香深(鈴木京香)は、その鑑定に疑問を覚え、独自の調査で柴田の内面に迫っていくが・・・。犯行時、犯人が心神耗弱もしくは心神喪失の場合は罪に問わないという刑法第三十九条の法の問題点を突いたサイコサスペンス。
“本当の狂気とは・・・”
心神喪失者・耗弱者の責任能力は、はたして的確にはかられてきたのだろうか。
昨今続発する凶悪な犯罪事件でことあるごとに精神障害の可能性が論じられ、一にも二にもまずは精神鑑定ありきということが時々不思議に感じてしまうこともあったのだが。。
しかし、心の病がある意味粗製乱造花盛りで用いられるのは、あまりにも常人には理解できない事件が日常の中で積み重ねられ、それが常態化してしまった時に、我々にはもはや狂気=心の病=犯罪という構図でしか理解する術を持てないからなのかもしれない。
が、だとすればますますもって冒頭に述べた心神喪失者・耗弱者の責任能力は的確にはかられてきたのか、という問題がクローズアップされてくるのではないかと思う。
その中でこの森田芳光監督の意欲的な作品は、そういう問題を、裁く側、鑑定する側の解釈の不備や矛盾を彼ら個々の人間性や心にまで踏み込み、デフォルメ、強調した異様な形で露わにしていく。
そして彼らに対峙する被告の狂気の偽装と、その裏にあるズシリと重い真実が刑法第三十九条を骨抜きにしていく。
これは、紛う方なき問題作だ。
まるで心が病んで闇を抱え人間性に欠陥があるかのごとき精神鑑定員と、感情を排した機械的な処理者として描かれる弁護士と検察官。
一方、人生を賭けた強靭な精神力で法に立ち向かう工藤啓輔(=柴田真樹)。
彼は、心に深い闇を抱えている。その闇が心の病にすり替わっていく容易さと安直さをあざ笑うかのように、狂気の偽装が同条の運用にあたっての問題点を浮き彫りにしていく。
しかしこの映画はそこで終わらない。
狂気の偽装をひも解いて工藤啓輔の哀しく重い人間性を露わにしていくことで、本当の狂気とはひとりの人間として裁きを受ける権利、その人間としての権利を奪う刑法第三十九条そのものにあるのではないか、というところにまで突き進んでしまうのだ。
しかも工藤啓輔の闇を解放したのは、鑑定人・小川香深の心の闇だった。
闇も人間の一部なのだ。
ここにこの映画の凄みが集約される。
この同条適用にあたっての問題提起においそれと答えを出せるものではないが、しかし非常に重い問題であることはたしかだ。
それにしても一本の映画でここまでまとめ上げることができるというのは驚くべきワザとしか言いようがない。
映画としての狂気、役者としての狂気を間近に肌で感じられたような気がする。久々にビリビリとくる映画だった。
----------------------
真実の行方(1996年・アメリカ・131分)NHK-BS
監督:グレゴリー・ホブリット
出演:リチャード・ギア、エドワード・ノートン、ローラ・リニー
内容:シカゴの大司教が惨殺され、教会に住んでいた少年アーロンが容疑者として逮捕された。野心家の敏腕弁護士ベイルは、不利な状況にもかかわらず彼の弁護を買って出るが・・・。
評価★★★☆/70点
見ず嫌いでこの映画を見ないこと約10年!よくまぁ10年もの間、内容結末ともに知らないできたもんだ(笑)。
地味ぃ~な印象がずっとあったんだよね、これ。作品選びに難がありすぎるリチャード・ギアの法廷ものというだけで遠ざけてたからなぁ。
いやはや、先入観は改めないと。
ま、それもこれもエドワード・ノートンのおかげなんだけどね。。
最近のコメント