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2016年9月29日 (木)

夢のシネマパラダイス68番シアター:“グローリー・トゥー・ザ・フィルムメーカー”北野武vol.1

HANA-BI

Hanabi 出演:ビートたけし、岸本加世子、大杉漣、寺島進、渡辺哲

監督・脚本:北野武

(1997年・日本・118分)WOWOW

評価★★★☆/70点

内容:逮捕劇の失態から後輩を死なせ、同僚の堀部を下半身不随に追いやった刑事の西は、その責務を果たそうとしていた。銀行を襲って得た金を堀部らに渡した彼は、死期の近い妻と最後の旅に出るが、警察とヤクザの双方から追われることに。一方、無気力だった堀部は、絵を描くようになって生きる力を取り戻していくが・・・。ヴェネチア国際映画祭作品賞受賞。

“上手いんだけども、美味いとは言えない・・・。”

映画公開当時、ヴェネチアでグランプリを獲ったことでイの一番に劇場に走ったのだけど、えっなんでこれが賞獲るん?と面食らってしまったことを覚えている。

つい先日久方ぶりに見たのだけど、時間軸をズラした編集だとかモンタージュの使い方、省略の妙、またサイレントのパントマイムでも見ているような言葉を交わさない夫婦の道行きの情景など映画のつくりとしては本当に上手いし、ラストの「ありがとう、、、ごめんね、、、」という、映画の中で妻が発した唯一の言葉と打ち寄せる波の音にジィ~んときてしまうのも確かで、賞を獲る獲らんは別にして映画としてはかなり良く出来てるということだけは再認識できた。

しかしだ。

そういう映画的な上手さはあるんだけど、それが自分の中で美味さとして伝わってこないのが玉にキズで、やはり自分にとっては何かもうひとつ味が決定的に足りないのだ。

なんというか「花-美」じゃなくて「HANA-BI」になっているように、日本じゃなくて外国にある日本料理屋ってかんじで、あっちの人には受けるような味になっているというか・・・。

ギリギリの間が作り出す乾いた暴力と死への焦燥、、、「死」というものに対するあまりにも冷めた視線がどうも肌に合わないというのもあるし。なんかね

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Dolls ドールズ

R031031 出演:菅野美穂、西島秀俊、三橋達也、松原智恵子、深田恭子、武重勉

監督・脚本:北野武

(2002年・松竹・113分)シネマヴェーラ渋谷

評価★★★★/80点

内容:近松門左衛門の「冥途の飛脚」の出番を終えた忠兵衛と梅川の人形が何かを囁きながら静かに遠くを眺めている・・・。結婚の約束を交わしていながら、社長令嬢との縁談が決まった男と、その男に捨てられたショックで自殺未遂の末、記憶喪失に陥ってしまう女。年老いたヤクザの親分と、彼をひたすら待ち続けるひとりの女。事故で再起不能になった国民的アイドルと、彼女を慕い続ける盲目の青年・・・。残酷な運命に導かれた3つの愛の物語を、文楽の人形を語り部に、美しくそして切なく描いたラブストーリー。

“浄瑠璃。正直いうと何それ?人形。NHKでやってた三国志の?文楽。三遊亭?Dolls。すごく良くない?、、こんなんでいいのか?”

マメミムメモマメミムメモマメミムマジカルビームマメミムメモマメ、、耳から離れない。こんなんでいいのか?

冗談はさておき、って冗談じゃないんだけどねホント、、奇しくも北野映画で1番好きな映画になってしまったりして。。たしか監督はベネチアで、これは好き嫌い分かれる映画だと言ってたけど、どうやら自分の肌には合っていたらしい。

ではどこが?と言われると、、う~ん、、全体的にとか抽象的な言葉になっちゃうんだけど。なにせホントに浄瑠璃とか文楽の世界はほとんど知らないから、監督がこの映画でやりたかったことというのが大雑把にしかつかめないわけで。。

まぁ、道行きくらいは知ってるし、浄瑠璃に出てくる人形と登場人物を重ね合わせて描いているということくらいは菅野美穂の歩き方ひとつとって見ても一目瞭然で分かる。しかし、その真に監督の意図するところまでたどり着けなかったというのが正直なところで。はたしてこの映画の終着地点にあるものを例えば究極の愛という言葉で単純に呼んでいいものかどうか、それすら自分の中では解しきれていない。

では、この映画の何が自分をそこまで引き込ませてしまうのか。

そもそも究極の愛とは何かと考えてみると、女にとっては男が浮気をしないこと、男にとっては女が年を取らないことに行き着いてしまうと思うのだが、そうやって見るとこの映画はその法則をしっかり踏襲している気はする。

西島&菅野コンビでは、赤い紐で結ばれているわけだから男は浮気できないし、ラストで死んじゃうから年の取りようがない。三橋&松原コンビでは、撃たれて死ぬ&どこかイカレちゃって時が止まったままということで成立。深キョン&追っかけ男コンビでは、アイドルは年を取らないことと男が自分の目を潰してしまったこと&車に轢かれたかなんかして男死亡ということで成立、ということには一応なる。

とにかく究極の愛=死という図式は往々にして成り立つし、死というキーワードは避けて通れないものである。

しかし、ここでやっかいな問題にブチ当たる。

北野武は“死”を描くのが好き!という問題に。

北野映画において“死”というのは同じく避けて通れないものである。しかもその“死”の描き方は非常に暴力的かつ非常に乾いた描き方である。空虚な拳銃の音で“死”を表現してきたといっても過言ではないだろう。

その北野映画が道行きや情死に代表されるような男女の死をはたして描けるのか。北野映画に出てくるヤクザものとは違うんだぞってことを分かってんのかなぁという不安は、この映画を見ている間もあった。

だって相も変わらずヤクザ出てくるし・・。えっ、なんでヤクザなの?みたいな。

、、が、ゴメンなさい。全くの杞憂でした。

まず、明確な道行きの場面を描いているということと、北野映画には死がつきものという自分の中に刷り込まれた常識によって死者の世界、黄泉の世界への入り口をいやが上にも垣間見てしまう感覚が肌にヒリヒリと伝わってくる。自然の美しさに息を飲むというよりも、肌にヒリヒリ伝わってくるようなこの感覚に息が詰まりそうというのが正直なところ。

そういう点でいえば、佐和子(菅野美穂)の見た悪夢で、祭りの帰りに男たちに引きずられ、おそらく暴行を受けているであろうシーン、しかも遠景ショット、が描かれていたのは自分自身の息が詰まりそうな気持ちを代弁してくれたという意味でもまさに的を射た描写であった。

また、筆致が「あの夏、いちばん静かな海」により近く、その筆致がブレない範囲で“死”を描いてくれた。三橋親分の死は赤い一片の紅葉によって、追っかけファンの死は警察によって洗い流されていく赤い血と、幻のごとく浮かび上がってくる彼の姿によって表現される。

おもわず唸ってしまうような描写であった。

そして西島&菅野コンビだが、うわっと思ってしまうほどの唐突さにビックリはしたけど、なるほどなという収め方。オープニングが浄瑠璃を上演している舞台ならばラストのカットも舞台、しかも壮大な舞台装置、で幕を下ろしたというのは上手いと思った。

ようするに、映画を彩っていた息もつまるような死の感覚と柔らかな死の描写に引き込まれ、またそれに感心あるいは感嘆までしてしまったわけである。

でも待てよ。ヤバクないかこれって・・・。

死への憧憬を抱いてしまうなんて。あまりにも美しすぎるがゆえの、あまりにも北野映画の常識にとらわれてしまっている自分自身ゆえの。本当はとてつもなく残酷なはずなのに。

やはりどうも自分は監督が設けた終着地点とはかけ離れたところに不時着してしまったらしいし、自分がなんとかたどり着いた地点の相当先を北野武という監督は進んでいるらしい。

こりゃまだまだ北野映画とお付き合いしていかないとダメらしいや・・・。

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監督・ばんざい(2007年・日本・104分)WOWOW

 監督・脚本:北野武

 出演:ビートたけし、江守徹、岸本加世子、鈴木杏、吉行和子、宝田明、内田有紀

 内容:ギャング映画を得意とする映画監督キタノ・タケシは、ある時、ギャング映画を封印することを宣言し、これまで撮らなかったタイプの映画に挑戦することにする。そして、小津映画風、昭和30年代もの、ホラー映画、恋愛映画、時代劇、SFなどに挑むが、ことごとく途中失敗に終わってしまう。そこでキタノ監督は最後の切り札として、詐欺師の母親が、政財界の大物の息子らしき男に娘を嫁がせようとするコメディを撮ることにするが・・・。

評価★★☆/50点

江守徹や吉行和子をはじめとして豪華役者陣が芸人ビートたけしのグダグダなネタ見せのためだけに放り投げられている惨状を見せつけられて、いったい何がおもろいねん!という一言に尽きるんだけど・・・。

「座頭市」という定型的なフォーマットを与えられた中で興行と評価両面で成功を収めてしまったことによる反動であることには違いないんだろうけど、この映画はそういう定型的なフォーマットをおバカにぶち壊してしまうことで、自分を枠の中に押し込めようとする人々の野望から映画作家“北野武”を取り戻そうとするためのリハビリ映画といえばいいだろうか。

でも、そんなん見せられるこっちの身にもなってみろってんだバカヤロー(笑)。

いや、まぁ前作よりは元気そうでなによりなんだけどさ。。

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アキレスと亀

0809_01 出演:ビートたけし、樋口可南子、柳憂怜、麻生久美子、中尾彬、伊武雅刀、大杉漣、大森南朋

監督・脚本:北野武

(2008年・日本・119分)CS

内容:裕福な家庭に生まれた真知寿は絵を描くのが好きで、画家になる夢を持っていた。しかし、ある時父の会社が倒産し、両親が自殺したことで環境が一変。辛く孤独な少年時代を送ることになる。青年となった真知寿は、働きながら美術を学び、さらに彼の才能を信じて疑わないただ一人の理解者・幸子と出会い、結婚する。しかし、その後も画家としての芽が出ない日々が延々と続いていき・・・。

評価★★★/65点

北野作品では久々のストーリーものだと思うんだけど、真知寿の少年時代、青年時代に関してはなかなか抑えたタッチを見せていたのに、中年時代にたけしが出てきた途端にそれまでのつながりが途切れてしまったような違和感がありありでイマイチ。

だって、柳憂怜がどうやって金髪のたけしになるのかということだけでもつながりなんてあったもんじゃないだろう。

はっきりいってたけしと大杉漣を入れ替えた方が断然良かったと思う。

ただ、それでも「死」が異様なまでに横溢しているこの映画の求心力はハンパなく、その点で北野武はやはりれっきとした映画作家なのだと思い知らされるのもたしかだ。

ところで、ラストの“ついにアキレスは亀に追いついた”という答えの意味するところを考えてみたのだけど。

まず、前方からスタートした亀に後方からスタートしたアキレスは永遠に追いつけない、なぜなら亀のいる地点にアキレスが来たとき亀は少し先まで進んでいて、さらにその位置まで来ても亀はさらにその少し先まで進んでいるからだ、というパラドックス自体をコーラ缶を蹴り飛ばすように一蹴していると考えてみる。

すると、そもそもアキレスの目標設定が常に亀のいる地点に置かれていること自体がおかしいとするならば、真知寿のそれは先人のオンリーワンに対する模倣に模倣を重ねるスタイルからの脱却、つまりは自分の自分にしかできない道というのをようやく見つけたということではなかろうか。

それは、妻とともに生きる道であり、通俗的な画商の言葉から決別し、売れようが売れまいが自分のやりたいようにやる道。つまり、たとえ画家になる夢を追うのを諦めたとしても妻とともに自称ゲージツ家を続ける道だ。

死をモチーフにしてまでも結局創造と独創の果実を勝ち得ることができなかった自分の才能の限界を認識した上で、一度は見放しながら再び迎えに来てくれた妻とともに新たなスタート地点に立ったのだ。

真知寿の作品(といっても道に転がっていたさび付いたコーラの缶)を初めて「それください」と言ってくれた(初めての買い手になった)のは妻であり、少年時代、真知寿を親戚の家に預けたまま必ず迎えに来るという約束を反故にして自殺してしまった母とは対照的に、「一緒に帰ろう」と迎えに来てくれたのも妻であり、、、たった一人の真の良き理解者の存在を再認識した真知寿はその時点ではじめてゲージツという名の呪縛から解き放たれたのだ。

親以外に真の良き理解者を得るなんて、そんな可能性みじんもない自分からしたら、なんて羨ましいんだって思うよ(笑)。

真知寿はゲージツには負けても人生には勝ったといえるのかもね。

しかし、このお話を監督本人に重ね合わせるとするならば、「Takeshi’s」「監督ばんざい」と今回の3作の迷走を経て、自分のやりたいようにやると脱皮した監督が次作どんな吹っ切れた作品を送り出すのか。。

振り子のふり切れた死の想念を焼きつけられるのかと思うと恐くて仕方がない・・・。

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龍三と七人の子分たち

7187fde2a6098d813bdc8c3cc31c94a7出演:藤竜也、近藤正臣、中尾彬、品川徹、小野寺昭、安田顕、矢島健一、下條アトム、勝村政信、萬田久子、ビートたけし

監督・脚本:北野武

(2014年・日本・111分)WOWOW

内容:かつて“鬼の龍三”と恐れられた70歳の元ヤクザも、引退した今では息子家族のもとで肩身の狭い毎日を送っていた。そんなある日、オレオレ詐欺に引っかかった龍三は、その裏に暴走族あがりのチンピラが幅を利かせる“京浜連合”の存在を知る。若いもんに勝手な真似はさせられねぇ!と立ち上がった龍三は、昔の任侠仲間を呼び集めて“一龍会”を結成し、京浜連合成敗に立ち上がるが・・・。

評価★★★/65点

緊張と緩和の振り子がカタルシスを生み出す北野映画独特の作劇から緊張だけを取っ払ったようなかんじで、良くいえばマイルド、悪くいえば締まりがなくてやや味気ない。

これはつまり、映画風の北野武とテレビ風のビートたけしの振り子から後者の方にベクトルを置いて見せたということだろう。

しかし、カミソリのような狂気性が鳴りを潜めすっかり丸くなり、モンスター老人を批評するような真っ当なご意見番になってしまったビートたけしははっきり言って古臭くなっているのはたしかで、あくまで映画を見ていたい自分にとっては北野武の絵がない寂しさがツライところ。。

まぁ、演出の手際の良さは毎度のことながら冴え渡っているだけに、題材の真新しさがないぶんコントのお約束の寄せ集めにしか見えないのは何かもったいない気がした。

藤竜也をはじめとするご老体どもはいい味出してたし、音楽も良かったんだけどねぇ。。

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