夢のシネマパラダイス292番シアター:それでも夜は明ける
それでも夜は明ける
出演:キウェテル・イジョフォー、マイケル・ファスベンダー、ベネディクト・カンバーバッチ、ポール・ダノ、ポール・ジアマッティ、ルピタ・ニョンゴ、ブラッド・ピット
監督:スティーヴ・マックィーン
(2013年・アメリカ・134分)盛岡フォーラム
内容:19世紀。ニューヨークに暮らす自由黒人ソロモンはヴァイオリニストとして妻子とともに幸せな日々を送っていた。しかし、ワシントンでの演奏会に参加した際に、興行主に騙されてしまい、奴隷制が残る南部に送られてしまう。そして名前も人間としての尊厳も奪われ、奴隷として大農園主フォードに買われる。それでも聡明なソロモンは温厚なフォードに気に入られるのだったが・・・。
評価★★★★/80点
小学低学年まで夜8時に寝ることを義務付けられていた自分にとって夜9時からテレビで映画を見ることはほとんど許されず、唯一親が推薦した映画は見てもいいという決まりになっていた
それは例えば風の谷のナウシカであったりE.Tだったりしたのだけど、その中でもアンクル・トムの小屋のTVムービーは強烈に心に刻まれた。
人が人を差別する残酷さと不条理さを飲み込めずに、見終わった後に布団の中にもぐって泣いてしまったことを今でも覚えている。
その後、黒人差別を扱った映画というと1960年代の公民権運動を中心とした時代背景が主で、アンクル・トムの小屋と同年代(19世紀半ば)の映画は南北戦争が舞台の「グローリー」や奴隷が武器を取って反乱を起こした「アミスタッド」くらいしかなかったように思われる。
なので、今回の映画で人身売買や拷問、性的搾取など南部の綿花農園に半永久的に縛りつけられる黒人奴隷の凄惨な実態を目前にしてアンクル・トムの小屋を見た時の胸がしめつけられるような思いがよみがえった。
しかし、今回は奴隷制というものが単純な善悪ではなく、より複雑かつ多面的で一筋縄では理解できないものだということをまざまざと見せつけられた気がする。
例えば自由証明書があれば白人社会で不自由なく生きていける自由黒人という身分があったこと。
神の前では皆平等であると書いているはずの聖書に忠実な敬けんなキリスト教徒が黒人差別を差別とこれっぽっちも思っていない矛盾、つまり黒人を家畜としか見ていない社会が普通に成立してしまう怖さ。
また、主人公ソロモンが木に吊るされてかろうじて地面に爪先立ちしている中で白人はおろか他の奴隷たちもまるでそこにソロモンなどいないかのようにふるまっている異様な状況。
そしてラスト、12年ぶりに解放され自由の身になるソロモンと一生解放されることはないであろう女奴隷パッツィーの残酷なコントラスト・・・。
正直、今回も奴隷制というあまりにも残酷であまりにも不条理な真実を飲み込めないまま布団の中にくるまって全て忘れて無かったことにしたい気に駆られてしまいそうになったけど、絶望と祈りのはざまでカメラ目線でこちらをジッと見つめるソロモンの瞳が、そしてパッツィーの背中に切り刻まれた無数のムチの跡がそうはさせてくれなかった。
後味の悪さも含めて、とにかく目をそむけずに見て感じることが大切なのだと思う。
同じ歴史を繰り返さないためにも・・・。
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ヘルプ 心がつなぐストーリー
出演:エマ・ストーン、ヴィオラ・デイヴィス、オクタヴィア・スペンサー、ブライス・ダラス・ハワード、ジェシカ・チャステイン、シシー・スペイセク
監督・脚本:テイト・テイラー
(2011年・アメリカ・146分)WOWOW
内容:1960年代のアメリカ南部ミシシッピー州。上流階級に生まれ、黒人メイドに育てられた白人娘スキーター。大学卒業後、作家を目指す彼女は新聞のコラム記事を担当することになり、その取材過程で人種差別はびこる地元で黒人メイドたちが置かれた立場を知り記事にしようと思い立つ。ところが、相談したメイドのエイビリーンには、本音を語ると身の危険があるからと取材拒否されてしまう。そんなある日、別なメイドのミニーが、白人用トイレを使ったことで解雇されたことからスキーターに協力することにするのだが・・・。
評価★★★☆/70点
小さい頃に「アンクル・トムの小屋」を見て、子供ごころに黒人差別の悲惨さに胸が張り裂けそうになったことを覚えている。
その後、「風とともに去りぬ」で、しつけの厳しい黒人メイドが主人公一家に家族の一員のように慕われていることにホッとしたものだ。
昔のクラシック映画を見ると黒人ってメイド役くらいしか印象にない中、ひどく扱われているシーンはほとんど見たことがなかっただけに、今回の映画で描かれる厳しい現実にはやはりショックを受けざるをえなかった。
60年代のアメリカが法で認められるほど人種差別が苛烈を極めていたことは他のいろんな映画を見て知っていたけど、裕福な白人家庭の中で働くメイドも変わらず差別されていたというのは、あらためて差別の実体の根深さを思い知った気がする。
表玄関から入ってきたらダメだとか、同じ食器を使ってはダメとか、まさかトイレまで別々というのは仰天・・
しかも金持ちマダムたちの丸出しの差別意識が小学生レベルのバカさ加減でドン引きしてしまうのだけど、それがあの当時のスタンダードだったのだと思うと、なんて愚かな時代だったんだと思ってしまう。
また、保守的な白人コミュニティの中にも村八分的な監視システムが成り立っていて、ラストのエイビリーンの言葉を借りれば、そんな窮屈な生き方疲れない?と吐き捨てたくもなるよね。。
しかし、その中でも笑いと明るさを忘れずしっかりと自分を持ちながらたくましく生きる黒人女性たちの姿に見てるこちらがパワーをもらったかんじ。
しかし、ウ○コ入りチョコレートパイを食べさせちゃうってのは、なかなかそういう映画もあるもんじゃないよね・・。ハンニバル・レクターじゃあるまいしww
いや、そういえば「フライド・グリーン・トマト」ではある物をコトコト煮込んだスペシャルスープがあったのを思い出した。ま、この話はこれ以上広げなくていいか
でも、ヒリーがそのチョコレートパイをパクパク食べてるのを見てザマァ♪と快哉したのはたしかでw、それだけの憎々しい演技をみせたブライス・ダラス・ハワードは天下一品だった。
あと、最近イチオシのエマ・ストーンも好演だったし、見て良かったです。
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ミシシッピー・バーニング(1988年・アメリカ・126分)NHK-BS
監督:アラン・パーカー
出演:ジーン・ハックマン、ウィレム・デフォー、ブラッド・ドゥーリフ、フランシス・マクドーマンド、R・リー・アーメイ、ゲイラード・サーテイン
内容:1964年6月、3人の公民権運動家が失踪した事件を捜査するため、アンダーソンとウォードの2人のFBI捜査官がミシシッピー州ジュサップを訪れた。アンダーソンは、非協力的な保安官スタッキーと彼の助手ベルに狙いをつけ、ベルの妻を問い詰めるが確証は得られず、逆に黒人を標的にした事件が相次いで起きるようになる・・・。
評価★★★★/80点
人権問題で他国に干渉することもいとわないアメリカが抱える大きな矛盾、人種差別。
黒人を人権が与えられる人ではなくモノとしか見てこなかった闇の歴史をこれほどまざまざと描き出している映画はない。
「フライド・グリーン・トマト」や「ドライビング・ミス・デイジー」などアメリカ南部の伝統的な風土をハートウォーミングに見つめた映画が好きな者としてはかなりショッキングだし、南部の田舎町に蔓延する閉塞感と、まるで家畜をなぶるかのごとく黒人を痛めつける凄惨な暴力にゾッとしてしまう。
しかも倫理や論理などまるであてにならない人種差別意識の高い壁には法でさえも無力どころか、それを正当化する法律(人種隔離法)まであったというのだからホントにどうにもならない。あげくの果てに聖書まで持ち出されるのだから・・・。
ハックマンが汚い手を使ってでも力づくで悪をこらしめるポパイ刑事にならざるをえなかったのも道理というわけだ。
しかし1番ショックだったのは、この差別と憎しみが7歳の時分までに教育で徹底的に植えつけられるということだ。いわゆる刷り込み教育というやつなのだろうけど、子供に何を教えるのかがどれほど重要なのか、これ見て肝に銘じた方がよさそうだ。
この映画の舞台となったのが1964年というから、あれから約50年。
黒人の大統領が誕生したということだけでもアメリカも変わってきたということなのだろうけど、実際のところはどうなんだろう。。
また、ヨーロッパでもサッカーの試合で有色人種の選手に対するファンの差別的ヤジがけっこうあって問題になってるし、相当に根深い問題なんだよね。
こういう映画をもう見なくて済むような世の中になってもらいたいものだね。
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アミスタッド
出演:マシュー・マコノヒー、モーガン・フリーマン、アンソニー・ホプキンス、ジャイモン・ハンスゥ、ピート・ポスルスウェイト、アンナ・パキン
監督:スティーヴン・スピルバーグ
(1997年・アメリカ・155分)DVD
評価★★★/60点
内容:自由を勝ち取るために戦った黒人奴隷たちを救うべく奔走した元アメリカ大統領ジョン・クインシー・アダムズの姿を描いたヒューマン・ドラマ。19世紀半ば、アフリカの大地で暮らす青年シンケは奴隷として拉致され、スペイン人に買われた53人の仲間とともにアミスタッド号に乗せられた。船員たちによる暴力にさらされた彼らは、やがて暴動を起こし、白人たちを惨殺していく。アメリカの沿岸警備船に取り押さえられたシンケたちは、殺人罪に問われ投獄されたが、彼らを救うためにアダムズが立ち上がった。。
“自分が単純なだけなのかもしれないが、この映画は絶対に時系列ごとに描写していくべきだった。すなわちシンケが体験した身の毛もよだつような惨劇を冒頭にもってくるべきだったと思う。”
自分の住んでいた村からシエラレオネの砦に連行され、奴隷船に乗せられ、鎖で繋がれ、鞭打たれ、ある者は海に投げ捨てられ・・・
この映画の中で1番重要な場面かつこの映画の中で1番重要な役柄シンケに迫っていくためにも冒頭にもってくるべきであり、それが長い映画の求心力にもなったはず。
それができるということはすなわちこの映画の主人公はシンケだ!と宣言することであり、それができなかったということはすなわちこの映画の中でシンケは単なる重要参考人にすぎないというようなものであろう。
この映画において、あの悲劇を冒頭にもってくるというのは、同監督の「プライベート・ライアン」の冒頭とは全く意義も役割も異にするものである。
しかしながらこの映画は、完全に後者の道を選んでしまった。
そう、やはりこれも白人側からみた視点の映画にすぎないのだ・・・。
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