夢のシネマパラダイス44番シアター:はたして戦場は娯楽たりえるのか!?
フューリー
出演:ブラッド・ピット、シャイア・ラブーフ、ローガン・ラーマン、マイケル・ペーニャ、ジョン・バーンサル、ジェイソン・アイザックス
監督・脚本:デヴィッド・エアー
(2014年・イギリス・135分)WOWOW
内容:1945年4月。連合国軍は戦況を優位に進めベルリンに向けて進軍していたが、ドイツ軍の捨身の反転攻勢に苦しめられていた。そんな中、北アフリカ→フランス→ドイツと転戦してきたベテラン曹長ウォーダディーが駆る戦車“フューリー号”に、補充兵として戦闘経験ゼロの新兵ノーマンが配属されてきた。乗員5名となったフューリー号は敵陣深くへと進軍していくが・・・。
評価★★★☆/70点
戦車に特化した戦争映画はたぶん初めて見たと思う。
話のつくりとしては、戦車に乗って巡る戦場1日体験ツアーといったロードムービー的要素を軸とし、そこに「硫黄島からの手紙」の二宮和也や「プライベート・ライアン」のジェレミー・デイビスのような戦争を知らない現代若者の視点を取り入れることで、戦争の惨状をより身近に真に迫ったものとして実感させるものになっていて、それは一応の成功をみせていたと思う。
また、ロードムービーの必須テーマである“成長”も、戦闘経験のない新兵が敵を殺しまくることに何のためらいもなくなるいっぱしの兵士に成長する姿として描き出されていて、わずか一日でそのように変貌してしまう恐ろしさはよく伝わってくる。
ただ、潜水艦映画は数多くあれど戦車映画はない理由がなんとなく分かったというか、絶対外には出られない&敵の姿を視認できない潜水艦は、密室の中に極限状況の緊迫感と人間関係が充満するわけだけど、戦車は外に出られるし敵の姿も見れるので、そこらへんがちょっとヌルくて中途半端なかんじはしたかな。
戦車の後ろに歩兵がついて敵陣地を進んでいくという遮蔽物としての役割も担っていたとかは目からウロコだったけど。。
しかし、この映画で特筆すべきはそんなことではない。
それは、ブラピをはじめとする米兵が正義ヅラしていないということだ。
第二次世界大戦はファシズムから自由と民主主義を守るために戦ったのだとし、原爆投下でさえも正義と言ってはばからないアメリカは、かの戦争を描いた映画でも、こちらは正義であちらは悪と白黒明確なキャラ付けをしていることがほとんどだった。
「プライベート・ライアン」なんて兵士を国もとの母親に帰してやるために捜し出すという崇高なミッションまで付与されていたりして(笑)、それはつまり米兵が汚い言葉は吐けども汚い行為はしないというキャラクターにつながっていくのだけど、今回は平気で捕虜を射殺するわ、民間人の家に押し入ってそこの娘に手を出すわ(ブラピが若い2人に任せておこうと母親を制するが、そんな道理が許されるはずはない)、かなり醜悪な一面をも描き出していて、善悪二元論では割り切れない戦争の姿をさらけ出している。
戦場とは文字通り無慈悲な殺し合いの場なのだということを正面切って描いていて、第二次大戦を題材にした従来の戦争映画とは一線を画していたと思う。
戦争とは悲惨なものなのだ。
長渕剛の歌にあるように、戦争には正義もクソもないのだから・・・。
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ハート・ロッカー
出演:ジェレミー・レナー、アンソニー・マッキー、ブライアン・ジェラティ、レイフ・ファインズ、ガイ・ピアース
監督:キャスリン・ビグロー
(2008年・アメリカ・131分)WOWOW
評価★★★/60点
内容:2004年夏、イラク・バグダッド郊外。アメリカ陸軍ブラボー中隊の爆発物処理班。任務明けまで残り38日。が、新たにリーダーとして赴任してきたジェームズ二等兵の慎重とは真逆の無謀ともいえる爆弾処理のやり方にチームを組む周りの隊員は不安を感じていくのだった・・・。アカデミー作品賞、監督賞など6部門で受賞。
“映画は麻薬のようなものである”
この映画を見る前も見た後も思うこと。
「アバター」の方がアカデミー賞獲ってしかるべきだった!!
イマジネーションとテクノロジーの豊穣な結びつきによる誰も見たことのない世界と、リアリズムとテクノロジーの不条理な結びつきによる誰も見たことのない世界。
シネマ中毒の自分はやっぱり前者を支持してしまうのだけれど、リアリズム=肉体とテクノロジー=爆弾の緊迫した対峙はたしかに見応えはあるし、その最たるものとして身体の中に爆弾を埋め込まれた人間爆弾という不条理でおぞましい現実には目を覆いたくなってしまう。
またリアリズム=手持ちカメラとテクノロジー=映像技術として捉えるならば、情緒を廃した客観性を主体とする中で不条理で虚無的な戦場の真実を浮かび上がらせることには成功している。
しかし、、だ。
あまりにもドライなこの映画のタッチは、その代償としてドラマまでをも廃棄してしまった感が否めず、感情移入すら入り込むことを許してくれない。
まるで黒ヒゲ危機一発ゲームを傍から見ているかのようで、しかもこのゲームに自分は参加していないのだという安心感が自分の心情を空疎にさせる。そして後半、差し込み穴の数が少なくなっていくうちに恐怖がジワジワと襲ってくるのだけども、エピソードの単調な羅列がそれを相殺していく・・・。
戦争ジャンキーとなったジェームズの姿が「ディア・ハンター」(1978)でロシアンルーレット漬けになるクリストファー・ウォーケンとダブって見えたけど、そこらへんもっと掘り下げてほしかったし、正直これだったら最初っからドキュメンタリーで撮ればよかったのにと思ってしまった・・・。
短絡的だとか露悪的と揶揄されようが、自分は安直なドラマ、もっとカッコ良くいえば自分のエモーショナルな部分を揺さぶるようなドラマをこそ見たい。
「アバター」には、それがあった。
P.S.クソイラクともやっとでオサラバだ!とエルドリッジがヘリで去るシーンがあったけど、同じようなシーンを「プラトーン」とかのベトナム映画でも見た気が。同じことをイヤというほど繰り返すんだアメリカって国は。。
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グリーン・ゾーン
出演:マット・デイモン、グレッグ・キニア、ブレンダン・グリーソン、エイミー・ライアン、ジェイソン・アイザックス
監督:ポール・グリーングラス
(2010年・米/仏/西/英・114分)WOWOW
内容:大量破壊兵器を保有しているとしてイラクに侵攻したアメリカ軍。バグダッド陥落から1ヶ月。ロイ・ミラー准尉率いる部隊は、大量破壊兵器の発見という極秘任務に就いていたが、その痕跡すら掴めずにいた。次第に、情報源への疑いを強めていくミラーだったが・・・。
評価★★★★/75点
イラクに大量破壊兵器はあったのか!?探しても探しても大量破壊兵器が見つからないのはなぜか!?
この大量破壊兵器をマクガフィンとして繰り広げられるアクションムービーの体をなしている今回の作品。
ジェイソン・ボーンシリーズを舞台をイラクに移植したような娯楽作でありながら、イラクの悲惨な状況下を社会派感覚織り交ぜて描き出した手腕はかなりのもので、そのスピーディな展開は2時間では足りないほど濃密。
事実を隠蔽してまで開戦に突っ走る国防総省(パウンドストーン)、ネオコン=国防総省と対立するCIA(マーティン・ブラウン)、政府のプロパガンダ機関になり下がるメディア(ローリー・デイン)、さらにそこに真相を握るイラク側のキーマン(アル・ラーウィ)、イラクの一市民(フレディ)を配置し、その中をスター気取りの自由人(ロイ・ミラー)が縦横無尽に駆け回ることでイラク戦争の背景を暴き出していく。
非常に単純化された構図ともいえるけど、あくまでアクションエンタメに舵を取ったスタンスの中でのバランス感覚は秀逸だ。
加えて、ポール・グリーングラスのスタイリッシュな映像もリアリティがあって抜群に良い。
即物的で人に興味のない、すなわちエモーショナルな部分に乏しい「ハート・ロッカー」よりも国家にノーを突きつけるあからさまなヒロイックを描くこちらの方が自分は好きだ。
おそらくそこには欺瞞であるとかプロパガンダであるといった揶揄がつきまとうのであろうけれども、人間対人間のむき出しのバトル(感情面であれ身体面であれ)こそ映画の真髄だと思うし、それをこそ見たい者にとっては、イラク戦争という関心事を舞台に強引にエンタメにまとめきったポール・グリーングラスの手腕を自分は買いたい。
しっかし、戦争ていうのはいかに茶番劇かってことだよね。こんなので数万人が無駄死にするなんて報われないよ・・。
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プライベート・ライアン
出演:トム・ハンクス、トム・サイズモア、エドワード・バーンズ、マット・デイモン
監督:スティーブン・スピルバーグ
(1998年・アメリカ・169分)仙台第1東宝
評価★★★★★/90点
内容:1944年、米英連合軍によるノルマンディー上陸作戦は多数の死傷者を出しながらもなんとか成功を収める。そんな中、戦渦を切り抜けたミラー大尉は、軍首脳から「ライアン2等兵を捜し出し、故郷の母親のもとへ帰国させよ」との命令を受ける。ミラーは部下を指揮して、落下傘の誤降下で行方が知れなくなったライアンを捜しに、敵地の前線へと向かうのだった。
“映画を見終わって、映画館を一歩出たときの眼前に広がる高層ビル群を前にして一瞬立ちすくんだ。あの息が詰まるようなクソ世界から、隔絶された現実世界へいきなり舞い戻ったための一種の時差ボケのような感覚だったのかもしれない。あの時の一瞬の眩暈と何ともいえない気持ちは一生忘れることはないだろう。”
それほどまでに映画の世界に入り込んでいた。
というよりは強引に入り込まされていたといえる。
冒頭30分については既に言い尽くされているが、あの揚陸艇のハッチが開けられた瞬間に自分も首根っこ引っつかまれて海中に引きずり込まれるように、突如として映画の中に入り込まざるを得なかったのだ。
なんともあざとい手法にまんまと引っかかってしまったものだ。
スピルバーグの手法のパターンについては熟知していたものを、予想を超える強烈なアッパーカットを喰らってしまった。
しかし、あの強烈な衝撃波こそ映画のリアリティそして戦争というリアリティなのかもしれない。
同年に公開され、今作と好対照をなす「シン・レッド・ライン」と合わせて、まさに20世紀、戦争の世紀を締めくくるのに相応しい映画だったと思う。
そして21世紀、戦争映画の世界標準となったことは疑う余地がない。他ジャンルの映画にまで良くも悪くも影響を与えてしまったが・・。
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ローン・サバイバー
出演:マーク・ウォルバーグ、テイラー・キッチュ、エミール・ハーシュ、ベン・フォスター、エリック・バナ、アレクサンダー・ルドウィグ
監督・脚本:ピーター・バーグ
(2013年・アメリカ・121分)WOWOW
内容:2005年、アフガニスタン。米海軍特殊部隊ネイビーシールズの4名が、タリバン指導者の暗殺任務“レッド・ウィング作戦”遂行のためアフガン山岳地帯に降下する。衛星電話さえ繋がりにくい孤立状況の中、タリバンの秘密基地を発見したまでは良かったものの、4人は運悪く現地の非戦闘員と遭遇。その処遇をめぐる苦渋の判断が4人を絶体絶命の状況に陥らせてしまう・・・。
評価★★★/65点
映画の構成力、映像の筆致はともにレベルが高い。特に冒頭4分弱で「フルメタル・ジャケット」の前半1時間分、殺人兵器養成合宿と同等のインパクトを与えるに足る実際の訓練風景がもたらす画力と巧さには唸ってしまう。これにより、その後の一見するとあり得なさすぎな転落に次ぐ転落劇に説得力が与えられている。
しかし、25年前だったらスタローンのランボー1人で敵を根絶やしにできたのだろうけどw、永久に終わらない泥沼の戦いを続けている現在では、そういう絵空事を娯楽アクションに転化する余裕はなくなっているらしい。
それどころか敵に追い立てられ、蜂の巣のなぶり殺し状態を延々見せられるに至っては感情移入することすらままならない。つまりは敵を狩る側にいたアメリカが、狩られる側に身を置くことになってしまった立場の逆転をまざまざと見せつけられるわけだ。
しかし、例え敵地の戦場で作戦が失敗し、いかなる代償を払おうとも、それは武勇伝という美談になり、変わらずアメリカは正義であり続け、これからも自由を守るために戦うのだ!と星条旗をなびかせながら決意を新たにする英雄気取りの正当化視点にはいささか違和感を覚える。
例えば、アメリカにタリバンが潜入し、米司令官を暗殺するべく隠密作戦を実行中、牧場のカウボーイと出くわすも人道的観点から解放。ところがそれがきっかけで米軍に察知され撃退されてしまう。あるいは、北朝鮮工作員が日本人を拉致するために潜入するも見つかって自衛隊にボコボコにされる。
このタリバン&工作員と今回のネイビーシールズは何が違う!?根っこは同じ自業自得な話ではないのか。
それでも他国に土足で踏み込むことを是とするアメリカの正義はやはりどこか違うだろ、と思ってしまう。
25年前、アフガンでランボーはタリバンと手を組みソ連軍と戦った。しかし今ではそのタリバンと戦うはめに陥り、反タリバン勢力と手を組んでいる。25年後、その構図はどうなっているのやら・・・。
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ブラックホーク・ダウン
出演:ジョシュ・ハートネット、ユアン・マクレガー、トム・サイズモア、エリック・バナ
監督:リドリー・スコット
(2001年・アメリカ・145分)MOVIX仙台
評価★★☆/45点
内容:1993年、内戦が続くソマリアの秩序を維持するために、米軍は武装勢力アイディード派の幹部捕獲作戦を敢行。作戦は1時間で完了するはずだったが、戦闘ヘリ“ブラックホーク”が民兵によって撃墜され、戦いは泥沼に陥ってしまう・・・。
“アメリカ一極支配の終焉”
オープニングでこの映画は事実に基づくと前置きする通り、実話ベースの映画ではあるのだけど、人物の掘り下げを敢えてすることもなく、ゆえに名前と顔も一致しないから見る側に感情の付け入る隙を与えず、淡々と戦闘を描き、淡々と死を描く。そして死は単なる客観的事実でしかないという感情度外視の描き方がハンパなく、見終わっても何も感じなかったのが逆に怖いくらいの作品だった。
作品世界との距離を縮める要素を持たないノースタンスの描写は、好意的にみれば観客側に委ねる作りともいえるけど、悪くいえば主義主張のない単なる逃げとも受け取れるわけで、どうも今回は後者の感が強かったような・・。
まじめな話、自分でもなんでだろうと思うくらい冷めて見てる自分がいて、、と、ふとこの映画を見ている自分の顔って、統合作戦本部のサム・シェパードの作戦指示を上空500フィートを旋回するヘリから伝える上官の無機質でのっぺりとした顔と同じであることに気付く。
それはつまり、テレビのニュース映像を通して戦争の断片にしか過ぎない成り行きをただ見ているだけのあまりにも遠すぎる距離感といってよい。要はこの距離感というのは、まさに映画の作り手側の意図するところであり、作り手側と映画自体との距離感でもあるのだろう。
しかし、先述したことに戻るけど、肝心の作り手側が最初からほっぽり出してるだけじゃんともいえるわけで、そこに何か意味を見出すというのはかなり難しいところではあると思う。
ただ、奇しくもアメリカ同時多発テロ事件と同じ年に映画が公開されたというのは時代性を捉えた作品であることもたしかで、世界の警察として秩序保持のために他人の揉め事に率先して首を突っ込んだあげく敢え無く自滅するアメリカの限界を赤裸々に描き出しているという点で見る価値はあるのかも。
それはまるでスズメバチの巣を突っついて返り討ちに遭う大バカ者といったかんじだけどw、映画のラストで「他人の戦争に飛び入り参加するなんて戦争中毒なのか?それとも英雄のつもりなのか?」という問いに対し、「仲間のために戦う。それだけだ」という主人公の答えが全然本質的な答えになっていないところがアメリカの矛盾を露呈させていて面白かった。
ところで、以前ピュリツァー賞写真展が開催されて足を運んだことがあって、ちょうどこの映画で描かれていた出来事を撮った写真が1993年だったかのピュリツァー賞を受賞していた。死んでいる米兵の遺体が裸にされて群衆に引きずり回されている写真だった。たった数枚の写真だけで、2時間半という長尺を割くこの映画を凌駕してしまう真実がそこにはあった。
もちろん様々なメディアや媒体ツールを通して考えなければならない問題ではあるけど、この映画を見ちゃうと、なにも映画がノンフィクションと同じ土俵に立ってそのマネ、模倣をしたって何の意味もないとも思ってしまう。
だって、どう頑張ったって虚構にしかすぎないのだから。
だから映画には作り手の主観が入って当然だと思うし、何も逃げることはない。英雄に描きたかったら描けばいいじゃんってだけのこと。あるいは批判的に描きたかったら描けばいいじゃんってだけのこと。
そしてノンフィクションとはまた違ったより多角的な視点から物事を考えたり捉えたりすることができるのではないかなと。
それでいいと思うんだよね映画って。映画というのはそういう一歩踏み込んだ自由な表現の媒体であるべきだと思うから。そこに踏み込めないというのはまた最初に戻っちゃうけど映画としてどうなんだろうと、自分は思ってしまう。
この映画にはもっとわがままに描いてもらいたかったけど、わずか10年かそこら前の話を描くにはまだ時期尚早だったということか・・・。
(*)ソマリア内戦について
一応2000年には国連の監視の下に暫定政権が樹立されはしたが、いまだに中央政権は確立されておらず、文字通りの無政府状態と言ってよい状態が続いている。2006年あたりからは隣国エチオピア軍をも巻き込んだ紛争が活発化し、つい先日にはアメリカ軍がアルカイダ掃討と銘打って空爆を行った。
個人的にはいわゆるソマリア内戦に関していえば、第三者が介入しなくてはならない、そうじゃないと解決しない問題だったと思う。たとえそれがアメリカであろうとも。
ソマリアにも十分すぎるほどの非はあることを忘れてはならない。特に問題の解決手段を武器と殺戮にしか求めないやり方には。
もちろんその武器を与えてやったのは冷戦時代のアメリカ、そして旧ソ連だったわけだけど・・・。しかも解決手段を同じ武器でもって介入するというアメリカのやり方もいかがなものか。難しい問題です。
19世紀のアフリカ全土にわたる植民地化時代、列強諸国のいいように民族が分断され、国境線が引かれ(話によると地図上に定規で線を引いて国境線が決められたという)、そのいいかげんなツケが今アフリカで多発する紛争という悲劇に結びついているのは言うまでもない。
そのツケから顔をそらして無関心を装う西欧諸国にも問題ありありなのだ。
しかるにこの映画はそんなこと1つも・・・。映画までもが顔をそらしてどないすんねん。一歩間違えるとただのエイリアン映画でっせ。
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遠すぎた橋(1977年・イギリス・175分)NHK-BS
監督:リチャード・アッテンボロー
出演:ロバート・レッドフォード、ジーン・ハックマン、ジェームズ・カーン
内容:第二次世界大戦のノルマンディ上陸作戦から3ヵ月後の1944年9月、連合軍が企てた史上空前の空陸共同作戦、マーケットガーデン作戦が失敗に終わるまでを豪華スター共演で見せる戦争スペクタクル。
評価★★★/60点
いよいよダラけてきた頃に、最後の切り札レッドフォード登板というなんとも贅沢な使い方。
しかし、その効果もなくダラけたまま終了。。
ドイツ軍側からも描写するという斬新な試みをしているが、大風呂敷広げすぎて、戦争と人間の愚かさ、残酷さを描くには程遠いシロモノとなってしまった。
でも、壮大なスペクタクルとして見た場合、落下傘部隊の降下シーンなど見るべき価値はある、、かな。
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