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2015年12月21日 (月)

太平洋戦争の記憶シリーズ第9号:天皇機関説問題

歴史の授業で30秒くらい習って聞いたことがある程度の天皇機関説問題。しかし実はこれが日本を戦争に突っ走らせる一つの要素になったのだということはほとんど知らなかった。

では、そもそも天皇機関説問題とは何なのかというと、天皇の権力はどこまで及び、主権者は誰にあるのかという問題で、天皇の権力が国家および憲法の上に位置するというのが天皇主権説で、反対に天皇の権力は国家の下に位置するというのが天皇機関説だ。

つまり天皇主権説は、天皇は国家そのもので統治権は天皇にあり、意のままに国を動かすことができるという考え。

対する天皇機関説は、国家は議会・政府・憲法・国民など様々な機関からなる組織であり、天皇はその中で最高機関だが、あくまで一機関にすぎない。なので統治権は君主一身の利益のためではなく、全国家の利益のために実現するものなのでその権利は国家にあるとする考え。

いわば前者が絶対君主制で後者が立憲君主制といえるのだけど、しかし自分が学校で習った教科書には、大日本帝国憲法では天皇に主権があると定められ、と堂々と書いてあった記憶があり、今まで天皇主権説があの時代の常識だとおぼろげに思っていた。要するに天皇が政治に容易に参加あるいは介入できると思っていた。

が、どうやらそうではなかったらしい。

天皇機関説の方が学説の主流として定着していて、現実の政治も天皇を輔弼する(天皇が委任する)内閣が行政を、議会が立法を担う議院内閣制だったわけで、天皇が超法規的に憲法や法律を無視して行動したり介入することはほとんど出来なかったという。やれることといえば政府から上奏されてきたものに裁可のハンコを押すことだけ。要するに天皇は政治に容易に参加できるわけではなかった。

じゃあ、現実は天皇機関説/立憲君主制で動いていたのに、なぜ天皇主権説/絶対君主制との論争問題が生じたのかといえば、明治憲法第1条に「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」と天皇を絶対視しているのに、第4条では「天皇は国の元首にして統治権を総覧し、この憲法の条規によりこれを行う(天皇は国の元首だが、この憲法に従う)」と天皇の権力を制限していて、ここに矛盾が生じていることが大きい。

そして1番大きなポイントは、軍部が台頭してくる中で、「天皇は陸海軍を統帥す」とする憲法第11条を天皇主権説で解釈すれば、軍事に関する軍部の行動は政府にも議会にも干渉されずに独立して行うことができる(統帥権の独立)ので、軍部にとって天皇機関説は邪魔だったというわけだ。

さらに、昭和に入って政党政治が財閥や政治利権など特権階級にゴマをすって民衆から離れたところに向かっていき、1932年の五・一五事件でついに自滅。

そんな中で天皇絶対主義の思想が台頭。天皇親政による国家改造論が出てきて、1935年、議会で天皇機関説がやり玉に挙げられ、天皇機関説は反逆思想として排撃され葬り去られてしまう。そして1936年の二・二六事件で天皇絶対主義の国体論が大勢を占め、天皇機関説/立憲君主制による政治体制は骨抜きになってしまい、野放し状態になった軍部が実権を握り、誰にも止められない暴走が始まってしまうわけだ(政治体制が骨抜きになったといっても、内部行政は変わらず天皇機関説的な政治手続きで行われていた。要するに天皇という機関を軍部が押さえ込むことにより、軍部以外が天皇を利用できないようにした。まさに「君臨すれども統治せず」である)。

そして戦争が激化するにつれ、天皇絶対主義の思想は天皇のために命を捧げるという天皇忠誠の極致、一億玉砕の精神論へと昇華していき、その成れの果てが特攻である・・・。

歴史は繰り返すというけど、こうならないためには立憲主義による政党政治がしっかり機能していなければならないのだと思う。

さて、次は新聞記事で興味深かったところを。

まずは終戦詔書を受けての8月15日の朝日新聞の“再生の道は苛烈”という記事から。

“かつて敗戦の歴史を持たない国民にとって、それがなお現実感をもって迫ってこないのは無理もない。しかし日本国民にとって真の危険はこの時、この所に存する。情勢の見通しはどんなに厳しくても厳しすぎるということはない。敵が我々に骨の髄まで敗戦感を味わわせると提言してきた事実、また彼らが憎悪と復讐に燃えている事実を別としても、本州・四国・九州・北海道と若干の島嶼をもってしかも不具化された工業をもって、いかにして国民を養い、賠償を支払うべきかの一点を考えただけでも、我々の生は難く死は易しという言葉の意味を身に染みて感ずるのも決して遠い将来ではあるまい。

しかし、聖断すでに下った以上、国民の行くべき道はただ一つ。事ここに至ったについては、軍官民それぞれ言い分もあろう。だが今はいたずらに批判し、相互を傷つけるべき時期ではない。国内相克は分割統治という米英得意の戦法をわが国民に対して適用可能ならしめる事態をも発生せしめるかもしれないからである。現在は全国民が陛下の赤子たる本分に生き、かばい合う時ではないか。冷静と秩序の維持、これなくしては来るべき最も苛烈なる段階を切り抜けることは不可能であろう。

戦いにおいて敗れたりとはいえ、いやしくも我に自由なる魂ある以上、いかなる敵も我々を奴隷とすることはできないのだ。国体を護持し得るか否かは、敵の保障にかかるのではなく、実に日本国民の魂の持ち方いかんにかかる。特攻魂に端的に現れた七生報国の烈々たる気迫は、我々がこれを祖先より受け継いだものであるが、これは永劫に子孫に伝えねばならない。日本国民が果たしていつの日にか再生しうるかは、一に日本国民の魂がこの試練によっていかに鍛えられるかによって決まるのである。”

また、社説では、、

“おそらく今後幾年か、はたまた幾十年か並々ならぬ苦難の時代が続くことをあらかじめ覚悟してかからなければならない。しかし挙国一致、国体の護持を計り、神州の不滅を信じて冷静に事に当たるならば苦難の彼方に洋々たる前途が開け行くのである。

加えるに、被抑圧民族の解放、搾取なく隷従なき民族国家の再建を目指した大東亜宣言の真髄も、また我が国軍独自の特攻隊精神の発揮も、ともに大東亜戦争の経過中における栄誉ある収穫というべきであり、これらの精神こそは大戦の結末の如何に関わらず、永遠に特筆せらるべき我が国民性の美果としなければならない。かくてこれらの精神が新たなる国際情勢と新たなる国内情勢の下に、新装をもって生成していく時、未来はすでに我らのものといってよい。

一億の臣子、意義深き大詔を拝して覚えるところの感慨は筆舌につくしがたいものがあり、あるはただ自省自責の念慮のみである。君国の直面する事態について同胞相哭し、そして大君と天地神明とに対する申し訳なさで一杯である。一億同胞の新たなる努力も、ともにこの反省と悔悟とを越えて生まれ出るものでなければならない。”

まず印象として、反省してるようでしていないというか、要は天皇に対してこんなことになってすみませんでしたということであって、アジアなど外向けに対する反省じゃないし、なによりこの戦争は結果負けただけであって、理念や精神は正しかったと、栄誉あることだったとまで断言しているのは、戦争が終わったその日ということはあれど、全くもってあの軍国主義史観から脱していないことが見て取れる。

そして、8月15日から半月後の9月2日。米軍艦ミズーリで降伏文書に調印し、これをもって完全に終戦したわけだけど、その翌日の毎日新聞の社説を見てみる。

“さきに時局収拾に関する大詔が渙発されてから半月、停戦協定はきわめて平穏理に成立した。同協定は、帝国が連合国に対し完全に敗北した事実を政府の名において確認し、帝国に課せられた降伏条件を忠実に履行すべきことを確約した降伏文書である。我ら国民の感情としてはこれを正視するに忍びないものであるが、我らの祖国を再建するためには、冷静に大胆に敗戦と降伏の現実を直視し、これに対処するために最善の努力を払わねばならない。

日本および日本国民の行く手には物心両面においてまことに忍び難いような苦難が待ち構えているものと覚悟せねばならない。だが我らは文字通り石にかじりついてもこの苦難を克服せねばならない。日本及び日本国民の名誉にかけて連合国に対する降伏条件を完全に履行するばかりではなく、敗戦日本を世界最高の理想国家として再建するために、国民の全力を余すところなく傾注しなければならない。国体を護持し、正義と平和とを基盤として新日本の平和建設に邁進せねばならない。

我らはいかにその政治体制を改善し、いかに精神文化の向上を図り、いかに科学水準を上昇せしめるか。日本及び日本国民の進むべき道は一点の疑いを入れる余地がない。降伏条文の調印完了という事実は、かえって日本及び日本国民の平和建設への努力に拍車をかけるであろう。ただ、この平和建設への努力は、政府並びに一般指導層の明察と勇断とを必要とし、国民の努力はあくまで組織的かつ能率的なものに仕組まれねばならない。

国民の準備はできている。平和建設に対する政府当局の最善の努力を重ねて希求してやまない。”

半月で随分と印象が変わっていることに驚いてしまう。

「平和国家建設」、「日本及び日本国民」などそれまであまり使われてこなかった語句が頻繁に使われているし、政治体制を変えなければならない、つまり軍国主義から脱しなければならないと暗に言っていることは興味深い。ただ、国体護持、つまり皇室の安全と存続の保証だけは絶対守るべしという論は変わっておらず、天皇という存在がいかに絶対的だったのかが見て取れる。

さて、最後は新聞アラカルトコーナー♪

今回は、昭和10年2月26日の紙面に載っていた、乳美容液レートフードを絶賛発売中の平尾賛平商店さんの懸賞広告です。

“父のひげそり後に、母の隠し化粧に、姉のお化粧下地に、妹の通学整容料などなど用途の広い一瓶一家の重宝として有名な美容液の名は何でしょう?”というクイズの答えをハガキに書いて送ると、その中から抽選で豪華な賞品が当たるというもの。

1等賞が50名様で、ビクター名曲レコード(ベートーベンの「運命」または松永和風長唄)、子供服(年齢に合わせて調進)、腕時計、お召銘仙(平織の絹織物)、パーレットカメラ、お化粧セットから希望の品を。

2等賞が100名様で、ハイキング用具、パラソル、ランドセル、万年筆、初夏用ショール、置時計から希望の品を。

3等が1000名様で、安全カミソリ。4等が13850名様で、チョコレート。

何とも大盤振る舞いだね(笑)。しかも答案はお一人で何通でもお出しください。多いほど当選確率も多くなりますだってww昔からこんなことやってたんだね

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