ゼロ・ダーク・サーティ
出演:ジェシカ・チャステイン、ジェイソン・クラーク、ジョエル・エドガートン、ジェニファー・イーリー、マーク・ストロング
監督:キャスリン・ビグロー
(2012年・アメリカ・158分)WOWOW
内容:9.11のテロ以降、CIAはアルカイダの首謀者オサマ・ビンラディンを血眼になって追うも居場所をつかめずにいた。そんな中、ビンラディン捜索の前線基地であるパキスタン支局にまだ20代の女性分析官マヤが配属される。しかし、彼女の奮闘むなしく捜査は困難をきわめ、その後もテロは続発し、マヤの同僚はじめCIA局員にも多くの犠牲が出てしまう・・・。2011年5月、米海軍特殊部隊によるビンラディン暗殺をめぐる舞台裏を映画化。
評価★★★/65点
はたしてこれを見たアメリカ人はビンラディン殺害にもろ手を挙げて快哉を叫ぶのだろうか。だとするならば幻滅せざるをえない。
なぜならテロ撲滅という名の正義のもとで行われる拷問、蹂躙、殺りくはただの醜悪な報復としか見れないからだ。
あげくの果てに他人の家に上がりこんで容赦なく人を撃ち殺す一方、おびえる子供たちには大丈夫だから怖がらなくていいよと言う無神経さには開いた口がふさがらず胸くそが悪くなった。
この映画を見るかぎり、どっからどう見てもアメリカのやってることは野蛮であり、これを正当化することはできない。
毒をもって毒を制することがはたして正義といえるのか、そういう善悪の線引きをあいまいにした描き方は確信犯だとは思うのだけど、いかんせん主人公である女性局員マヤがその狭間でもがき苦しみ感情を爆発させるようなシーンが皆無なため、見てるこちら側も映画に対するスタンスを測りかねてしまってどうもすっきりしない。
その中で伝わってくるのは、ビンラディンを見つけられないという焦燥のみだが、しかし2時間半だらだらと付き合わされて気付くことは、もう一歩も引くに引けないという強迫観念に晒された主人公の姿がアルカイダの狂信的テロリストと表裏一体、何ら変わりがないということだ。アメリカもアルカイダも同じ穴のむじな・・・。
そんな中で示されるラストのマヤの気の抜けたような涙は、やられたらやり返すという血と報復の連鎖の先にあるものは喪失と虚無しかないことを明白に示した表情だったのではなかろうか。
ビンラディンを消したところで憎悪のループが閉じられることはないのは誰もが分かっているのだから・・・。
それでも続けられる対テロ戦争とジハード、そのために一体どれだけの人が犠牲にならなければならないのか・・・。否応なく虚脱
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ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
出演:トム・ハンクス、サンドラ・ブロック、トーマス・ホーン、マックス・フォン・シドー、ヴァイオラ・デイヴィス、ジョン・グッドマン、ジェフリー・ライト
監督:スティーヴン・ダルドリー
(2011年・アメリカ・129分)WOWOW
内容:2001年9月11日、あの日商談で世界貿易センタービルにいた父親からかかってきた電話に出られなかったことを悔やみ、その留守電に吹き込まれた父の声を忘れられない少年オスカー。そんなある日、彼は父の遺品の花瓶の中から一本の鍵を見つける。そして鍵が入っていた封筒には“Black”の文字が。オスカーはこの鍵に父のメッセージが託されていると確信し、Black姓の人物をしらみつぶしにあたっていくが・・・。
評価★★★☆/70点
9.11テロから10年。ようやくあの惨事を冷静に振り返り、いち家族の物語として語ることができるようになったという点で今回の映画は見るべき価値のある作品だといえる。
どんな些細なネタにも闇雲に飛びつくハリウッドでさえもこれを扱うのに10年を要したというのは、いかにアメリカにとってあの出来事が巨大な喪失と傷をもたらしたのかをうかがい知ることができる。
物語としては、父親を911で亡くし、しかもその時にかかってきた父からの電話に出ることができなかったという悲しみと罪悪感を背負った少年が、父親の遺品に残されたメッセージを探し回る過程でNY中の様々な人々と出会っていき、ポッカリと空いた心の穴を埋めていくというもの。
911自体にことさら拘泥するわけではなく、あくまで父親を亡くしたひとりの少年の視点に寄り添って親子のつながり、人と人のつながりという普遍的なテーマを描いていて、例えば少年だけが喪失に苦しんでいるわけではなく、誰もが何かしらの悲しみを抱えて生きていて、その心にあいた穴を埋めるのは人なのだということ、人はひとりでは生きていけないのだということを痛感させられる。
表情と身ぶりだけで感情を伝える言葉を話せない老人、実は少年のために秘かに先回りしてサポートしていた母親など、大人たちが言葉ではなく行動で示すことで愛と絆を形にしていくのも共感ポイントだったし、人の優しさや家族の愛を感じられる佳作だったと思う。
世の中が苦手でありながら理屈だけはのべつ幕なしに出てくる傍若無人な主観と、細かなことまで数値でデータ化する緻密な客観が入り混じったオスカー少年は、どっからどう見ても面倒で、たとえ彼がウチを訪ねてきても軽くあしらってしまう自信があるけどw、少年から手紙が送られてきたら思わず笑顔がこぼれてしまうのだろうな
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11’09’’01/セプテンバー11(2002年・仏・134分)スカパー
監督:サミラ・マフマルバル、クロード・ルル-シュ、ユーセフ・シャヒ-ン、ダニス・タノヴィッチ、イドリッサ・ウェドラオゴ、ケン・ローチ、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、アモス・ギタイ、ミラ・ナイ-ル、ショーン・ペン、今村昌平
内容:2001年9月11日、アメリカで起きた同時多発テロ事件を、世界各国を代表する11人の監督が11分9秒1フレームという共通の時間枠にそれぞれの文化、立場を背景に描く。
評価★★★★/80点
“人の個性ほど素晴らしいものはない。どれとして同じものはなく、全てがダイヤの原石のように輝いている。しかし、時としてその原石が一瞬にして砕け散ってしまうことがある、、、この世の中”
サミラ・マフマルバフはイラン映画らしく“子供”。クロード・ルルーシュはやはり“男と女”。ケン・ローチはやっぱり“移民”。そして今村昌平は意地でも“エロ”。
麻生久美子の太股をさする必要があんのかい?と思いつつ、しかし、それでいいのだ。
表現するという行為が本当に素晴らしいものだということが、11人の監督の内面的、主観的な個性に触れてみてあらためて分かった。
1つのテーマを取り上げるにしたって全く異なるアプローチと思考が繰り広げられるのだから。
そしてより多角的な視点で物事を考えることができる。
大学で歴史を学んでいた自分としてはこの点は重要です。
大本営発表を鵜呑みにしてはいけない。例えば、日本書紀1つ採ったって当時の政権が自分たちのいいように書いているわけで、他の中国の史書等と対照してみなければならない。
9.11テロでも、いや最近の世界情勢の中ではますますもってそのことの重要さを感じてしまう。地球の裏側の情報が一瞬にして分かる今の時代だからこそ。
しかし恐ろしいことに、素晴らしい個性が国家という名のもとに1つの枠組みの中に埋没し、ときに排除されてしまうというとんでもないことが起こってしまう。
マジでヤバイことだ。そうならないことを切に願います。
個人的にはイドリッサ・ウェドラオゴの“掴め!2500万ドル”が面白かったな。ショーン・ペンはそう来たかぁ、と思わず唸ってしまいました。
Posted at 2006.09.11
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ワールド・トレード・センター
出演:ニコラス・ケイジ、マイケル・ペーニャ、マギー・ギレンホール、マリア・ベロ、スティーブン・ドーフ
監督:オリバー・ストーン
(2006年・アメリカ・129分)2006/10/15・MOVIX仙台
評価★★★/65点
内容:2001年9月11日の早朝。いつものように家を出て署へと向かう港湾警察のマクローリン巡査部長。ところが、ありきたりな日常は突然破られた。世界貿易センタービルに旅客機が激突する大惨事が発生、港湾警察官たちに緊急招集がかけられた。現場へと急行したマクローリンは、4人の警官とともにビル内に入る。しかし、その直後、大音響とともにビル全体が崩れ始め・・・。9.11同時多発テロの際、崩落したビルの瓦礫の中から生還した2人の港湾警察官の実話をもとに映画化。
“いっそのことカーンズ軍曹を主人公にすれば・・・”
2001年9月11日火曜日。
オイラはPM7:30頃に仕事から帰宅し、シャワーを浴びてPM8:00から日テレ「踊るさんま御殿」を見ながら夕食をとる。PM9:00からTBSのバラエティ「ガチンコ!」を見る。優勝者は日本武道館で歌えるという企画“アイドル学院”をやっていて、学院生をケチョンケチョンのメッタ打ちにする歌唱指導の鬼教師に戦々恐々としながら見たのを覚えている。
そして、PM9:54、今日のトップニュースを見ようとニュースステーションにチャンネルを合わせる、、、と、どこぞやの高層ビルの上の方から白い煙がたなびくように出ている映像が映し出されている。
久米宏は夏休み中でいなくて、渡辺真理だったかがアメリカCNNからの中継だということを言っていて、オイラは真っ先に「タワーリング・インフェルノ」(1974)を思い出しちゃったりしたのだけど、ま、すぐに消化する火災だろと思ったし、国内ニュースに切り換わったので、土曜日に録っていたケビン・コスナーの「ポストマン」を見ようとビデオをセット。
そして、ビデオ画面に切り換えると、偶然にもNHKに合わさっていて、ニュース10でもビルの映像が映し出されている。へぇ~、NHKでもトップに持ってくるてことはけっこうな大火災なんだぁと意外に思ってしまった。
そしてテレビ画面を一応2分割して「ポストマン」を見ようとした、、、次の瞬間。
画面右から何かが飛んでくるのが見えた、気がした。
あ、カラスだ。え?アメリカにカラスっているのか?アメリカといえば鷲だろ、、のわりにはデカイ鳥だなぁ、とその間わずかゼロコンマ数秒の間に頭を駆け巡ったことまでもが鮮明な記憶として残っている。
しかし、その直後に巨大な火柱があがったことで、飛行機だーーーッ!とようやく認識できたのだった。
それからは誰しもが知っている通りの映画やフィクションをはるかに凌駕したショッキングな現実が刻まれていくことになる。おそらく今まで生きてきた中で、最も重く深く脳裏に刻まれた事件映像となった。
高3のときの阪神大震災や中1のときの湾岸戦争も衝撃だったが、リアルタイムで目撃してしまったという点では、やはりこの9.11同時多発テロはそれまでの自分の既成概念や常識をブチ破ってしまうくらいの衝撃を与えたという意味でも一生涯忘れえない事件となった。
さて、映画以上に映画的だった9.11同時多発テロの映画化をすると知った時、オイラはネタ尽きハリウッドのことだから9.11に飛びつくのも当たり前かと思いつつ、たいした作品にはならないだろう、というか果たして9.11を映画化することにいったいどういう意義があるのだろうという疑問を抱いてしまった。
スローモーションのように脳裏深くに刻まれた衝撃的な映像の数々を超える緊張感を生み出すのは不可能ではないかと思ったし、また、その映像を再現し、リピートすることに果たしてどんな意味があるというのか、とも思ってしまった。
例えば、9.11後に数々の関連番組が放送されたが、ちょうど事件の1年後に放送された日テレの特番「カメラはビルの中にいた」で映し出されたビル内部の映像は記憶に新しい。
ボコン、ボコンと落下してくる人間が天井にブチ当たる音はあまりにも生々しかった。
そこでやはり思うのは、はたしてこれを映画化することに何かテーマを見出し得るのだろうかということであり、さらにいえば映画という虚構をはるかに超えた現実を、映画が超えることなどできようはずがないではないかということだ。
せいぜいテレビの再現映像止まりが関の山であり、あとはそこにどのようなテーマをふりかけるかでどのくらいプラスアルファになるかといったところなのだろうけど多くは望めないだろう、と。
しかし、その中で唯一の興味といえたのは、監督が社会派の御大オリバー・ストーンだということだった。数々のセンセーションを巻き起こしてきたオリバー・ストーンが9.11をどのように料理するのだろうか。
スピルバーグやイーストウッドあたりなら安定地点に軟着陸できそうなかんじはするけど、オリバー・ストーンと9.11となるといやでも何かアブない匂いが漂ってきてしまう。
そして、出来上がった作品を観てみると、、、情熱の塊のようなオリバー・ストーンの作風とは対極にあるような非常に冷静かつ地味な筆致にまずは驚く。
朝日昇るNYの街並みの静かな目覚めを優しく描き出し、あの大惨事をことさら大仰に映像として描き立てることなどせず、瓦礫の下に閉じ込められた港湾局警察官とその家族、そして救助に駆けつけた人々の姿を淡々と映すのみ。
そこには何かを暴きたててやろうというような変な気概はなかった。
そこにあるのは、様々な人種と国籍が集うアメリカが受けた深い傷と深い鎮魂のまなざし、ただそれだけだった。
例えば誰しもの記憶に刻み込まれてしまっている数々の衝撃的なニュース映像の再現をこの映画は全くといっていいほど避けているが、単なるハリウッドテイストのディザスタームービーに陥らせたくないという思いがよく伝わってくる演出意図ではある。この映画は観客のエンタメ欲を刺激して満足させるような映画になってはならないのだという思い。
その中で、激突の瞬間をマンハッタンの上空を横切る機影として表現したことをはじめとして、オリバー・ストーンの演出には文句の付けようがなく、演出意図としてはけっして間違っていない作品に仕上がっていることはたしかだ。
しかし、そう理解した上で、イチャモンをつければやはりどこかで物足りなさを感じてしまうのも事実なわけで。。
なにか傷物に触るような当たり障りのないかんじで、オリバー・ストーンでさえもこのように描かざるをえなかったという意味では、アメリカが受けた深い傷はいまだに癒えていないのだということだけはよく分かったが、ある意味ただそれだけで、悪くいえば面白くもなんともない映画だな、と。
また、ぶっちゃけオリバー・ストーンである意味もないような・・・。人間ドラマのエモーショナルな部分をうまく引き出せる監督はオリバー・ストーンよりも他にいるだろみたいな。ちょっと畑違いというか。。
だって、あのオリバー・ストーンがキリストの光臨を描くなんて、どう考えたって異常だよ(笑)。
オリバー・ストーンが描きたいのは、どちらかといえばカーンズ軍曹の方だろ。怪しいというよりちょっとアブない元海兵隊員・・。ラストに、イラクに志願して戦った、とポツンと字幕で示されたのがまたなにか気味が悪くなっちゃったのだけど、オリバー・ストーンが監督するんだったら、この謎のカーンズ軍曹を主人公にすればよかったんじゃないかなとも思ってしまう。
10年後、また9.11が映画化されたらどんなふうになるのだろうか・・・。
Posted at 2006.10.17
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ユナイテッド93
出演:ハリド・アブダラ、ポリー・アダムス、オパル・アラディン、ルイス・アルサマリ、リチャード・ベキンス
監督・脚本:ポール・グリーングラス
(2006年・アメリカ・111分)WOWOW
評価★★★/65点
内容:2001年9月11日早朝、ニューアーク空港を飛び立ったサンフランシスコ行きのユナイテッド航空93便。しかしその頃、地上の管制センターでは針路を外れた旅客機数機がワールド・トレード・センターと国防総省ペンタゴンに激突したことが伝わる。そして、93便はハイジャックされた・・・。ターゲット(ホワイトハウスか連邦議事堂といわれている)に到着することなく、ペンシルベニア州郊外に墜落、全員が死亡した93便の乗客たちの緊迫した様子を描き出すノンフィクション・サスペンス。
“あれから5年・・・。”
リアルタイムで目撃してしまった9.11同時多発テロ事件の生々しい惨劇は、いまだに脳裏に焼きついて離れない。
あの日の夕食は何だったかだとか、あの夜見ていたTV番組だとか今でもはっきりと覚えている。そして、22時3分に目の前で起こったことも。
まるで永遠に時を止められてしまったかのようなあの衝撃は一生忘れることはないだろう。
そして約3千人にのぼる犠牲者の遺族の方々にとっては、いまだにあの9月11日から歩みを進められない人々も多いであろうことは想像に難くない。
一方で9.11後、急速に保守化したアメリカの常軌を逸した暴走は、アフガン、イラクで繰り広げられた対テロ戦争という名の報復により10万人ともいわれる犠牲者を出している。
9.11から始まった負の連鎖は今なお世界に大きな傷跡を残しつづけているのだ。
そのことを鑑みるに、いくらあれから5年経って冷静さを取り戻そうとも、9.11を物語ることにおいてフィクションや創作が入り込む余地など一寸もないことは明らかだろう。
それゆえエンタメ帝国ハリウッドと9.11がはたして結びつくのかという疑問は、オリバー・ストーンの「ワールド・トレード・センター」を見ても感じてしまったし、9.11を物語り描くことにおいてのテーマと意義は、ことさら大仰に傷を暴き立て掘り返すことなどではなく、ただ“真実”と“鎮魂”しかないのだということも不気味なほど冷静なオリバー・ストーンの姿勢と演出を目の当たりにして感じた。
9.11に対して陰謀論なども取りざたされる中で、“真実”と“鎮魂”を描くフィクションや創作たりえない物語を撮るには、今作のようなドラマ性や作り手の意思・主張を排除した疑似ドキュメンタリーになるのは当然の帰結だっただろうと思う。
ハッピーエンドではないと分かっている物語を手持ちカメラのブレのみが揺り動かし、リアルな感情を引き出していく。今までありそうでなかった斬新かつよく出来た演出だと思う。
が、、、一個の映画として見るには「ワールド・トレード・センター」同様、物足りなさを感じてしまったのもたしかだ。
アメリカとアメリカ映画がいつかは踏み越えていかなければならない9.11というテキストに5年経って手を付けたという意味では、映画としてどうこうというよりもメモリアルな作品としての意味合いの方が強いのかもしれない。
唯一この映画でメッセージ性を出したと思われるシーンが、飛行機内で神に必死で祈りを捧げるキリスト教徒とイスラム教徒が同じフレーム内に収まっているシーンだと思うが、それを見てなんともやり切れない複雑な悲しい気持ちになってしまった。
神って、、祈りって、、何のためにあるんだろう。。人殺しをするためにあるものでは決してないはずなのに・・・。
こんな悲しい映画が作られなくて済むような世の中になってほしいものです。。
Posted at 2007.06.15
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