夢のシネマパラダイス585番シアター:おおかみこどもの雨と雪
おおかみこどもの雨と雪
声の出演:宮崎あおい、大沢たかお、黒木華、西井幸人、染谷将太、谷村美月、麻生久美子、菅原文太
監督・脚本:細田守
(2012年・東宝・117分)DVD
内容:都内の大学に通っていたわたしの母親・花は、学内でもぐりの学生だった父と出会い恋に落ちた。父は自分が二ホンオオカミと人間との間にできた末裔“おおかみおとこ”であることを打ち明けたが、母の気持ちは変わらなかった。やがて一緒に暮らし始めた2人の間には、雪の日に生まれたわたし・雪と、雨の日に生まれた弟の雨という2人の“おおかみこども”を授かった。しかし、雨が生まれて間もないある日、父親が突然亡くなった。そして母はわたしたちを一人で育てていくと決め、遠い田舎の農村に移り住んだのだった・・・。
評価★★★★/75点
母が好きになった人はオオカミ男でした、という突拍子もない一言から幕を開ける今回の作品。
ところが、人と獣が混じり合うというのは「トワイライト」のようなアメリカンファンタジーなら何の抵抗もなく見られるのだけど、ことこれが日本となると若干のアレルギーを催してしまうのはなぜだろう・・。
って考えると、手塚治虫がさんざん描いてきた異形と変身の系譜、あるいは今村昌平がイヤというくらい暴き立てた日本に深く根付く土着の自然信仰(オオカミの場合は山神信仰といっていいかもしれない)と近代化の間にはびこる差別、そしてなにより両者の作品に潜む特異なエロスの匂いを想起してしまうからかもしれない。
要は、差別という言葉を用いたように、ジブリ的な人と自然の対立の構図とは異なるもっと生々しい現実=タブーを避けては通れないということだ。
母が好きになった人はオオカミ男でした、という開巻宣言にはそういう命題が否応なく含まれてくるわけで、そこを見せられる怖さみたいなものを違和感というかアレルギーとして感じてしまうのかもしれない。
が、、フタを開けてみたら、それはほぼ杞憂に終わった
避けては通れない要素をさわりだけなぞってはいるものの、純然たる母性愛讃歌に特化することで、そういう描写を周到に回避しているのが本作の特徴といえるだろう。
まず、異形への恐れという点では、雪の変身シーンを見れば分かるように非常に漫画チックで愛嬌のあるものになっていてグロテスクさを排除しているし、花と彼氏が結ばれるくだりでも狼男と交わることに花は何ら逡巡することなく受け入れていることから異形というキーワードはかなり薄められているといってよい。
また、差別という点でも花の親や友達を登場させず、人里離れたド田舎に早々引っ込むことで差別に対し無自覚なマジョリティを排除しているし、それどころか人目を避けて引っ越してきたのにいつの間にか周りの人達にお世話になっていると花が言うように、外部との交流を前提としない村社会に簡単に受け入れられていて、もはやただの「北の国から」状態ww
そしてエロについては、ファミリー向けアニメをして排除されるのは当然なこととはいえ、狼男とのベッドシーンを描くこと自体すでにチャレンジャーだと思うけど、そのシーンで男の姿をオオカミの影として描いたことまでがギリギリのラインだったか。
ということで、何もそこまで難しく考えることはない。
“その程度の”作品なのだ(笑)。
しかし、その程度であることに失望よりも安心感の方が大いに上回ったのが正直なところで。。
自分はこの程度で良かったと思う
ただ、この映画のビジュアルポスターで両手に雪と雨を抱いてすっくと立っている花の力強い母としてのイメージを劇中の花から感じられなかったのは唯一の失望ポイントで、やっぱ結局線の細い10代少女キャラから抜け出せてないじゃんっていう思いは強く持った。
その点では宮崎あおいの声もいただけない。可愛すぎる宮崎あおいとしか聞こえないことがその違和感を増幅させてしまっているからだ。
清純な良き妻をイヤというほど演じてきても、なぜかほとんどの作品で子を育てる強き母親にはなれずじまいの宮崎あおいとダブって見えてしまうのは痛い。
まぁ、演出力は図抜けているし、背景画の細密さとかも良いし、一筋縄ではいかない作家性も出してきて、ポスト宮崎駿となれる存在に確かになってきたとは言えるのかもしれない。今後が楽しみである。
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