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2015年3月26日 (木)

夢のシネマパラダイス588番シアター:柘榴坂の仇討

柘榴坂の仇討

Poster2_2出演:中井貴一、阿部寛、広末涼子、高嶋政宏、真飛聖、吉田栄作、藤竜也、中村吉右衛門

監督:若松節朗

(2014年・松竹・119分)WOWOW

内容:安政七年。時の大老・井伊直弼が江戸城桜田門外で水戸浪士に暗殺された。その際、警護役を務めながら主君を守れなかった彦根藩士の志村金吾は、逃亡した水戸浪士を討ち取れとの藩命を受ける。それから13年、仇討禁止令が出された明治の世になっても仇を捜し続ける日々を送る彼は、ついに浪士の最後の生き残り、佐橋十兵衛の居所を突き止める・・・。

評価★★★☆/70点

まず主人公が幕末きっての悪役イメージがある井伊直弼の忠臣というのが面白い。例えば忠臣蔵で吉良上野介の側の視点がすっぽり抜け落ちているように、井伊側の視点というのもほとんどスルーされてきたように思う。

しかし、劇中で桜田門外の変から時が経った明治になって、佐橋十兵衛(阿部寛)が「井伊様のおっしゃっていたことももっともなことだと思い至るようになり」と言うように、攘夷派など多くの反対を押し切って開国に踏み切った井伊直弼の判断は結局のところ間違っていなかったわけで、もしそうしなければアヘン戦争で西洋列強のいいように植民地にされた中国・清の二の舞になっていたことだろう。

それを思えば、井伊直弼を救国者ととらえてもよさそうなものだけど、その功を吹き飛ばしてしまうほどの評判の悪さは一体何なのだろうといえば、それは幕末の有能な志士たちを断罪に処した安政の大獄ということになる。

この直接のきっかけとなったのは、第14代徳川将軍を誰にするかという将軍継嗣問題で徳川慶福を推していた井伊ら南紀派と徳川慶喜を推す水戸斉昭(慶喜の父)ら一橋派の対立が深まっていた時に、水戸とつながりのある尊王攘夷派グループが、孝明天皇は日米修好通商条約調印(開国)に反対だったのに天皇の許可を得ずに勝手に開国したのは許せないことだと糾弾する密勅を出したことだった。

これに対し井伊は、この一件は自分の息子を将軍にしようとしている水戸斉昭の大陰謀であるとして、加担した者たちを片っ端から処分していき、一橋派や倒幕派を一掃していった。

これが世にいう安政の大獄で、特に水戸藩は水戸斉昭から藩主、家老に至るまで徹底的に目の敵にされたわけで、それを思えば水戸脱藩浪士が井伊を討った桜田門外の変は水戸にとっての仇討だったともいえるわけだ。

しかし、逆に主君の暗殺を許してしまった彦根藩士はその後13年間に渡って仇討のために生きなければならなかった・・・。

そんな今回の作品、色合いとしてはイメージされるような男の執念の復讐劇でもなければ、主君への忠義が時に生み出す不条理をとらえた武士道残酷物語でもない。

時代の激流に翻弄され取り残されても己の信念を貫こうとするサムライの美学を哀感と優しさを込めて描き出した物語だ。

ここでいうサムライの美学とは、国のあり方や姿形は変わろうとも捨ててはならぬものがあるという武士の矜持であるとともに、武士道とは死ぬことと見つけたりというある種の呪縛でもある。そして、哀感と優しさとは時代に取り残された=生き永らえてしまった者の悔悟・苦悩と、その呪縛を解き放ち新たな時代を生きていこうという希望の灯である。

時代劇としてのパンチ力には乏しいけど、どこか人の情のぬくもりに包まれた温かみのある作品になっていたと思う。

そして、その作風の決め手となっているのが、主人公・志村金吾が言う「殿のことがたまらなく好きなのです」というセリフだ。

形式ばった主君への忠義を純粋な個人的感情に昇華させることで不条理性を消し去っているのがこの映画のミソなのではないかと思う。はたしてこのような直接的なセリフを言う時代劇が今まであっただろうかと思ってしまうけど(笑)、例えば現代サラリーマンが社長のことがたまらなく好きで仕方がない、なんて言うだろうかw

いや、まぁミサンガが出てくるくらいの一風変わった時代劇だからすんなり受け入れるとしようかww

いや、受け入れてしまうだけの清らかな力がこの映画にはあったということだろう。

P.S. 飄々としたおとぼけコメディリリーフとして最強の力を発揮する阿部寛の真面目すぎる役柄は最初は違和感あったけど、最後はなんかとても良かったなぁと思えてしまったのでこれも良しとしようw

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桜田門外ノ変(2010年・東映・137分)CS

 監督:佐藤純彌

 出演:大沢たかお、長谷川京子、柄本明、生瀬勝久、永澤俊矢、西村雅彦、伊武雅刀、北大路欣也

 内容:嘉永6年(1853年)にペリーの黒船が来航して以来、井伊直弼(伊武雅刀)をはじめとする開国派と、水戸藩主・徳川斉昭(北大路欣也)を筆頭とする尊皇攘夷派の対立が激化。やがて井伊は大老になり尊王攘夷派の大量粛清“安政の大獄”に乗り出す。この暴挙を止めるには暗殺以外にないと、水戸藩を脱藩した関鉄之介(大沢たかお)ら18名の浪士が立ち上がる・・・。

評価★★☆/55点

クライマックスともいうべき井伊直弼暗殺を最初に持ってきたのは意外や意外で、それは例えていうなら忠臣蔵での吉良邸討ち入りを冒頭に持ってくるようなもので、キャラが立ち上がる前にそれをやるというのはその後のドラマによほどの力量と自信がなければならないはず。

その点、この映画は事件前の事の経緯と事件後の逃亡劇でキャラクタを描いていくのだけど、時系列が行ったり来たりで整理しづらくダラダラ感が拭えない。しかもその中で事件に関与したひとりひとりの浪士の名前・死にざま・享年を字幕をわざわざ付けて描いていくのだからたまったものではない。

結果、完全に蚊帳の外に置かれたまま眺めることしかできなかった。。

現在の国会議事堂を意味ありげに写すのもなにか説教くさくて好きになれなかったし・・。150年前の若者は命をとして日本のことを真剣に考えてたんだぞとでも言いたかったのか。

大きなお世話ですww

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最後の忠臣蔵

T0008437p出演:役所広司、佐藤浩市、桜庭ななみ、山本耕史、風吹ジュン、田中邦衛、伊武雅刀、安田成美、片岡仁左衛門

監督:杉田成道

(2010年・日本・133分)WOWOW

内容:赤穂浪士の吉良邸討ち入りから16年。四十七士の中で唯一切腹することなく生き延びた男、寺坂吉右衛門。大石内蔵助より生き証人として討ち入りの真実を後世に伝える使命を受けていた吉右衛門は、全国を渡り歩く旅の最中、討ち入り前夜に突如逃亡した親友の瀬尾孫左衛門と出くわす。裏切り者という吉右衛門の非難にも決して真相を語ろうとしない孫左衛門だったが・・・。

評価★★★★/80点

忠臣蔵というと、もうさんざん使い古されたマンネリネタでもはや見る必要もない題材だと思っていたのだけど、信頼できる役者の役所広司と佐藤浩市の共演という点だけを見所に見始めたら、これがななんと心にしみて×2

まず、四十七士を主軸に据える紋切り型のアプローチではなく、討ち入りに参加しなかった者、残された者の視点から描くというのは非常に新鮮だった。

忠義を全うし忠臣として華々しく散っていった四十七士に対し、はかなく美しい桜の花びらにも称賛されるべき美談にもなりえない生かされた者たちの苦悩や葛藤があったことは今までずっと見落としていた点だ。

その点だけでもこの映画を見た甲斐があったというものだけど、そこに武士としての生き様や親子愛、男と女の機微を織り込み、それを「北の国から」でおなじみの杉田成道監督の飾らない職人気質の演出がしっかりと映画という匠の技に昇華していて見応えも十分。

変に理屈っぽくならず、情感と心の佇まいを映像美の中にすくい上げ、語り足らない所は役者陣の抜群の演技力と貫録の存在感により推し量る、そんなそこはかとない按配が哀感と凛とした芯のある強さの同居した物語に見事にマッチしていたと思う。

忠臣蔵ものとしてだけではなく、本格時代劇として最高点をあげてもいいくらいの良作だった。

しかし、役所広司の最後の切腹シーンは凄すぎ

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47 RONIN

O0599082712712590139出演:キアヌ・リーブス、真田広之、浅野忠信、菊地凛子、柴咲コウ、赤西仁、田中泯、ケイリー=ヒロユキ・タガワ

監督:カール・リンシュ

(2013年・アメリカ・121分)WOWOW

内容:将軍綱吉が治める鎖国時代の日本。赤穂藩藩主・浅野内匠頭に命を救われた混血児カイは、浅野への忠義を誓って領地に暮らしていたが、浅野の家臣・大石内蔵助らは異形の彼を冷遇していた。そんな中、隣国の藩主・吉良上野介と妖術使いミヅキの策略で、内匠頭が将軍の面前で刃傷沙汰を起こし、切腹に追い込まれてしまう。さらに家臣たちは浪人となり追放されてしまう。一年後、大石率いる47人の赤穂浪士は、吉良への仇討ちへと立ち上がるのだったが・・・。

評価★★/40点

日本人の心を象徴するものとして300年以上語り継がれてきた古典をグッダグダのゴッチャゴチャに換骨奪胎し、全く別物の異界ファンタジーに錬成してしまうハリウッドのたくましき創造力には逆に感服してしまうけど、その豪腕から放たれた産物があらぬ方向へ飛んで行ってしまう大暴投では何の意味もない。

忠臣蔵を抜きにしても、この中華風ロードオブザリングwは全くもってツマラない。

物語の素地としては例えば、とある国の大臣が悪女と組んだ強欲な宰相に貶められて失脚して命を絶ち、忠義を誓う銃士たちは仇をとり不穏な陰謀を阻止するためにetc..と三銃士やあるいはディズニー的な西洋のおとぎ話の方に近いものを感じるけど、古くから培われてきた鉄板フォーマットをもってしても共感・感情移入ポイントがひとつもないというのは、いかにシナリオがひどいかが分かるってもんだ・・・。

なによりキャラクターの掘り下げが全くなってないのは致命的。

主人公が悪者をやっつけたにもかかわらず自害して果てるという、欧米文化ではありえない結末は野心的ではあっただけに、そこにたどり着くまでの過程とキャラクターはもっと丁寧に描いてしかるべきだったはず。

製作費に200億近くかけるよりシナリオの推敲に200時間かけろw!って話。

あとは、さっき中華風LOTRと書いたようにファンタジー造形の相当な部分でこのサーガの影響を色濃く受けてるように感じたけど、やはりここでも世界観の構築があまりにもお粗末なために映画の中に入っていけない。

プラス200時間かけてもう一度白紙からやり直せって話

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花よりもなほ

061124_hanayorimonaho出演:岡田准一、宮沢りえ、古田新太、浅野忠信、香川照之、國村隼、原田芳雄、加瀬亮

監督・脚本:是枝裕和

(2006年・松竹・127分)盛岡名劇

評価★★★☆/70点

内容:元禄15年、徳川綱吉の時代。武士である青木宗左衛門(岡田准一)は、父の仇・金沢十兵衛(浅野忠信)を討つために信州松本から江戸に出てきたが、一向に仇を見つけられず、貧乏長屋に腰を据え、寺子屋を開くまでになっていた。おまけに向かいに住む美しい未亡人、おさえ(宮沢りえ)に恋心を抱いてしまう始末。が、切腹させられた浅野内匠頭の仇を討つべく動き出した赤穂浪士たちが長屋に潜伏し、宗左衛門が吉良の密偵ではないかと疑いをかけ始め・・・。

“嘘をつくのが大の苦手な是枝裕和が挑んだ「大江戸エンターテイメント!」、、が、やっぱり嘘つけない性分なんですな、この人・・・。”

元禄江戸の下流社会の底辺で生きる社会的弱者たちののどかで平和な超楽天生活を軸に、“武士道”をバッサリ斬り捨て、“庶民道”を大らかに謳い上げる今回の作品。

監督長編5作目にして時代劇という作られた世界の中で、どのように是枝監督は立ち回るのか、と思っていたが、物語の構図的には悪人が1人も出てこなくて、ただ市井の日常を見つめるだけという、定型的な時代劇の枠からはみ出た一風変わった「誰も知らない」時代劇という色合いが濃くなっている。

赤穂浪士の仇討ちというオーソドックスな時代劇ネタを180度裏っ返してスクリーン上に焼き付けてしまうという大胆さにもさすが是枝監督だなと唸ってしまう。

しかし、ドキュメンタリータッチの是枝節ならではの弊害もなかったわけではない。

それは、この映画を桜の花びらに例えていうならば、ライトアップして見せることもせず、そよ風を吹きつけたりすることもせず、「フォレスト・ガンプ」のオープニングに出てくる羽毛のごとくヒラヒラ舞わせることもせず、触れることさえしない・・・。5メートル離れた所からただ優しく見つめるだけなのだ。

悪くいえば起伏がなくて平坦といったかんじなのだが、是枝監督のこの映画に対する距離感というのが、各登場人物との距離感にもろに反映されてしまっていて、あと一歩踏み込んでいけないもどかしさというのは、映画を観ている間中ずっと感じてしまった。役者陣が魅力的だっただけになおさら。。

定型的な時代劇という枠からはみ出してはいるものの、作られた世界という借り物の中で一定の距離を置いた是枝監督のスタンスというのが逆に定型化してしまっているのが垣間見えちゃって、ちょっと鼻に付いたかな。。

なんつうか、たぶんこの監督、嘘つくのが下手なんだろうね。対象が人であればなおさら苦手というか。それが距離感として映画に出ちゃってるんだもん。

もっと吹っ切れて対象に迫っていけるような赤裸々な嘘をついてもらわないと、物語世界としては脆弱だと思う。特に時代劇では。せっかくの魅力的な設定が生きないわな。

まぁ、ただそうはいっても、“武士道”というのを嘘として描いてしまう是枝監督のこの独特な視点というのは嫌いにはなれないし、心魅かれてしまう自分もいて、なんというか観終ってホント複雑な気持ちになっちゃいますた・・・。

この映画が好きか嫌いか、と訊かれたらやっぱ好きって答えちゃうもん。そういう是枝ワールドの魅力は消えてないんだけど。。。

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忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994年・松竹・106分)WOWOW

 監督・脚本:深作欣二

 出演:佐藤浩市、高岡早紀、津川雅彦、荻野目慶子、渡辺えり子

 内容:鶴屋南北による狂言「東海道四谷怪談」に、もともと設定にあった「忠臣蔵」の物語を大きく組み込んで古典ドラマを再構築した異色時代劇。元禄14年、浪人に身をやつした赤穂藩士は主君の仇・吉良への仇討ちの時を待っていた。湯女のお岩と暮らす伊右衛門は、ある時、吉良家臣の娘・お梅に見初められる。仲間の脱藩で心を揺らしていた彼は、意を翻してお梅と一緒になってしまった。お岩は毒殺され、さらに伊右衛門は赤穂藩家老暗殺の命を受ける・・・。

評価★★☆/50点

オープニングテーマ曲にカール・オルフの“カルミナ・ブラーナ”が鳴り響いた時点で、ん?大丈夫なのかこの映画?と訝ってしまったが、、、いろんな意味でオカシイ映画だった。オカシイといっても可笑しくて思わず吹き出してしまうという方ね・・(笑)。

お岩さんの顔より渡辺えり子の顔の方にウギャーーッてなったのはともかく、佐藤浩市の白塗りの顔には爆笑!

志村けんのバカ殿さまでも十分通用するやろ。しかも、これだけ豪華なメンツで・・・。

美巨乳が強烈なインパクトを残した高岡早紀のもだえ苦しむ姿の体当たり演技は評価されてしかるべきなのかもしれないけど、それもチャイニーズ・ゴーストストーリーばりのサイキックパワー炸裂で雲散霧消。妖しさもなにもあったもんじゃない。いったい何を描きたかったのかサッパリ・・。

小林正樹や溝口健二といった往年の名監督の怪談映画を意識している節もチラホラ見受けられたけど、まぁ深作欣二の作風とは相容れない要素だからなぁ。

そういう点ではよく出来てる方なのかも!?

、、だからって、日本アカデミー作品賞獲っちゃうというのはいかがなものか・・・。

2015年3月12日 (木)

夢のシネマパラダイス369番シアター:私はココで生きていく!

みなさん、さようなら

Minasan_poster_600出演:濱田岳、倉科カナ、永山絢斗、波瑠、ナオミ・オルテガ、田中圭、ベンガル、大塚寧々

監督・脚本:中村義洋

(2012年・日本・120分)WOWOW

内容:1981年。マンモス団地に暮らす中学1年の悟は突然、「一生、団地の中だけで生きていく!」と宣言し、敷地から出ずに学校へも行かなくなった。しかし、規則正しい生活に努め、夜には団地のパトロールも欠かさない。そんな悟は16歳で団地内のケーキ屋に就職、その後恋人もでき、順風満帆な団地生活が続くかと思われたが、その間にも107人いた団地の同級生は次々と団地を去って行った・・・。

評価★★★/65点

団地の中から外に出ないで一生を生きていくと決めた主人公という奇想天外な設定には、社会問題となっている引きこもりやモラトリアムからの自立、また朽ちゆく団地そのものに豊かさを次世代につなげることができずに停滞化していく日本の現状を重ねたりといった様々なメタファーを見出すことが可能ではある。

いや、それどころか“団地”を別なワードに置き換えれば、自分の殻を打ち破ってその世界から外に出ることがいかに難しいことかというのは容易に理解ができることだ。

なのに、どこかでだからどうしたと冷めた視線で見てしまったのは、脱力コメディのノリとセットになるべき不条理性がなかったのと、団地から出ない理由がトラウマにあると明らかにされた途端、永遠につづく日常という寓話性がなくなって、ただのグダグダな物語になっちゃったかんじで面白くなかったからだ。

まぁ、そもそも寓話として見るにしても下系が過ぎてダメなんだけどねw

でも、12歳から30歳までをフツーに演じられる濱田岳はやはり凄いと思う。

ところで最近、“普通であること”を求めるフレーズを様々な映画で見聞きすることが多くなった。今回も倉科カナが涙ながらに普通でいたいと願っていて、あっ!また来たなと思ったけど、現在の閉塞的な社会状況と何か影響し合ってるのかね。。

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夜を賭けて

Xjbmamxqu 出演:山本太郎、ユー・ヒョンギョン、山田純大、樹木希林、李麗仙、清川虹子、唐十郎、奥田瑛二、風吹ジュン

監督:金守珍

(2002年・日本・133分)シネ・アミューズ

評価★★★★/80点

内容:1958年、大阪。かつて東洋一を誇った兵器工場跡地近辺に朝鮮人部落があった。ある日、その住人のヨドギ婆が、工場跡地から鉄クズを掘り起こして大金を得た。その噂は瞬く間に集落の住人たちに広まっていく。そんな時、かつて集落に住んでいた金義夫が帰ってきた。義夫たちも鉄クズ盗みを始め、そのうち彼らは“アパッチ”と呼ばれるようになる。しかし、鉄クズは国有財産のため、警察の取り締まりは日々厳しくなっていき・・・。

“今ではもはやアナクロとなってしまったアツさを画面に甦らせようと、モノづくりの情熱を賭けてジタバタドタバタ懸命に悪戦苦闘している姿に好感を覚えずにはいられない。”

アツさ、アツいことが表舞台を大手を振って歩けたのはひと昔もふた昔も前のこと。今それを直球で描こうというのは恥ずかしいとされる時代である。

さらに、そのアツさを描けたとしてもそれが直球であればあるほどコメディにしかならなくなってしまうというジレンマを抱えてしまう。

アツいことはもうすでに時代遅れのお寒いものなのだ。

がしかし、その点でこの映画を観ると、危うさはあるがギリギリ成功している映画だといえるのではないだろうか。

下手をするとドタバタ喜劇に陥ってしまう一歩手前でしっかりと地に足をつけ現実を直視している映画だといえると思う。

だが、下手をするとと述べたように、あくまでも危うさは抱えている。

ひと昔前ふた昔前のアツい映画にはなんといっても“鬱陶しさ”があった。

それはベットリとしたむさ苦しさであり、焼けつくような匂いであり、どす黒い汚さであり、それらがみなぎる生へとつながっていく。

みなぎる生とはつまり“人間”である。

この映画には、その“鬱陶しさ”がない。

ゆえにこの映画のアツさとは、湿度がない汗をかかないアツさなのだ。

言葉を変えれば軽い。重い剛速球ではなく軽い直球といったところか。

そういう意味ではやはり今の時代を反映してスマートなのだが、今の時代ではここまでが限界だろう。

しかもこれを在日ではないフツーの日本人だけで描けたかどうか。

たぶん無理。

アツさがまだちゃんと生きている朝鮮半島の血、そしてそれを受け継いできた在日の人たちの力がなければ今こういう映画を作り上げるというのは難しいだろう。

日本の役者陣もそれに応えてよく頑張ったと思うけどね。

うん、良い映画だ。

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ホテル・ハイビスカス

Cpdgdxuyyz 出演:蔵下穂波、照屋政雄、余貴美子、平良とみ、ネスミス

監督:中江裕司

(2002年・日本・92分)DVD

評価★★★/65点

内容:沖縄の名護にある家族経営の宿「ホテル・ハイビスカス」(ちなみに客室はたった1室)。三線とビリヤードが得意な父ちゃん、働き者で美人のチヨコ母ちゃん、黒人とのハーフのケンジ兄にぃ、白人とのハーフのサチコ姉ねぇ、そしていつもくわえタバコのおばぁ。小学3年の美恵子はこんな“インタァナソナル”な家族に囲まれ楽しい毎日を過ごしていた。。。

“ま、ようするに何が言いたいかっていうと、、、沖縄はエエところだっちゅうことサァ!それが分かればエエ。”

「男はつらいよハイビスカスの花」で沖縄の魅力にとりつかれた自分の飛行機初体験が沖縄だった。

車走らせてると、どこまで続いてるんだと思うくらいフェンスが延々と巡らされてて、不思議に思って後で尋ねたら米軍基地のフェンスだと地元のおじいが教えてくれたっけ。

重い歴史を今も変わらず背負っているところではあるんだけど、それも含めてほんとエエ所なんだよね。

ヨーシ、洗剤1年分ホテル・ハイビスカスに贈呈ダァッ!!新しい洗濯機も入ったみたいだしネ。

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永遠のアフリカ(2000年・アメリカ・114分)NHK-BS

 監督:ヒュー・ハドソン

 出演:キム・ベイシンガー、バンサン・ペレーズ、エバ・マリー・セイント

 内容:イタリアの上流階級で優雅な生活を送るクーキーは、ある日、恋人のパウロからアフリカで生活したときの話を聞く。幼いころからアフリカに憧れていた彼女は、母親の反対を押し切りパウロと一人息子の3人でアフリカへと旅立つ。

評価★★★/65点

学生時代、ケニアの留学生がこんな事言ってたな。

アフリカのほとんどの人たちは日本と同じで、動物園に行かないとキリンやゾウやライオンを見ることはできないと。

まぁ考えてみりゃそうだよな(笑)。

でもアフリカのイメージってどうしてもこの映画に出てくる大自然そのものだしねぇ・・・。

まだオイラには遠くて遠いところなんだなアフリカって。そんなことを考えさせられたりもしました。

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アンジェラの灰(1999年・アメリカ・145分)NHK-BS

 監督:アラン・パーカー

 出演:エミリー・ワトソン、ロバート・カーライル、マイケル・リッジ、ジョー・ブリーン

 内容:1930年代アイルランドの街リムリック。マラキとアンジェラは5人の子供に恵まれていたが、マラキは仕事もなく、失業手当すら酒代に使ってしまうダメ親父。アンジェラはそんな夫の尻を叩く毎日だが、ひとりまたひとりと子供たちが天国へ旅立っていってしまう。そんな中、長男のフランクは自由の国アメリカへ行くことを夢見ながら毎日を懸命に生きていく。。

評価★★★☆/70点

“「わたしは神を信じますがここまでの仕打ちが続くとさすがに疑わざるを得ません。」、、、ってなんでお前が言えんねん!このゴキブリ糞親父!”

神さまがお手上げなのは、お前の飲んだくれとバカ気位の高さと果て無き性欲だろがボケ(笑)。

そのせいでアンジェラは真っ白に燃えつきて灰になりましたとさ、、と思ったら灰になったのは金貸し強欲ババァだったというオチ。。

神さまはお手上げです、ハイ。

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マグノリアの花たち(1989年・アメリカ・116分)WOWOW

 監督:ハーバート・ロス

 出演:サリー・フィールド、ジュリア・ロバーツ、シャーリー・マクレーン、ドリー・パートン

 内容:アメリカ南部の小さな町を舞台に、6人の女性たちの愛と友情を映し出していく。シェルビーの結婚式の日、トルーヴィーの美容院には常連客が集まっていた。シェルビーの母マリン、町長の未亡人で温厚なクレリー、金持ちの未亡人で偏屈なウィザーたちだ。半年後のクリスマスの日、シェルビーは妊娠を発表したがマリンは素直に喜べない。シェルビーは糖尿病で、子供を産んではいけない体だったのだ・・・。

評価★★★/60点

“あの女性陣にとっては、ロットを頭に巻いてただダベッていることが実は何よりも1番幸せなひとときなのかもね。”

井戸端会議してるときの奥さま方の目って爛々と光り輝いてるもんな・・・。

ま、男のオレには何がおもろいのかよく分からんが(笑)。。。

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ケス

198 出演:デヴィッド・ブラッドレイ、リン・ペリー、コリン・ウェランド、フレディ・フレッチャー

監督:ケネス・ローチ

(1969年・イギリス・112分)1996/07/26・シネ・アミューズ

評価★★★★/80点

内容:イングランド北部ヨークシャー地方の寂れた炭坑町バーンズリーに住むビリー・キャスパーは年の離れた兄とケンカが絶えず、学校でもチビでおとなしい地味な少年。ある日、ビリーは修道院跡でハヤブサの巣を見つけ、巣からヒナを持ち帰り、そのヒナをケスと名付けて飼育を始める。ケスの調教は日ごとに成果を見せていくが、ひょんなことから悲劇が起きてしまう・・・。ハヤブサと戯れることだけが生きがいの労働者階級の少年の姿を、叙情性と冷酷さが同居する鮮やかなタッチで描き出した秀作。

“味も素っ気もない風景、味も素っ気もない日常、何の飾り気もない描写。しかしこれらもバイタリティーにあふれた子供たちの手にかかれば味のある色が付くのです。”

体育の授業でサッカーやってる場面が1番ウケる。

子供相手にマジになってる負けず嫌いの先公。しかもマンUの背番号9のユニ着てるんだもんなぁ。授業じゃねえよあれは(笑)。

ボビー・チャールトンに憧れるビールっ腹のオヤジ。ああいうオヤジ今でもいるんだよね。スカパーでプレミアリーグ見てるとああいうオヤジだらけだもん。

でも苛酷な環境の厳しい映画の中での何とも微笑ましいシーンだったね。

2015年3月 6日 (金)

夢のシネマパラダイス586番シアター:北のカナリアたち

北のカナリアたち

Poster出演:吉永小百合、柴田恭兵、仲村トオル、森山未來、満島ひかり、勝地涼、宮崎あおい、小池栄子、松田龍平、里見浩太朗

監督:阪本順治

(2012年・東映・122分)CS

内容:北海道の離島に赴任した小学校教師の川島はるは、島の分校で6人の生徒を受け持つことになった。合唱を通じて生徒たちと心を通わせていくが、ある日、悲惨な事故が彼らを襲う。そしてこれが原因で、はるは島を追われるように去っていった。20年後、教師を辞め東京で暮らすはるのもとにその時の教え子の一人が殺人事件を起こしたとの知らせが届く。はるは真相を知るため、かつての生徒たちとの再会を決意し、北へと向かう・・・。

評価★★★/60点

吉永小百合の精一杯の若作りに最大級の賛辞を送りたいとはいえ、どう見てもこれは無理がある。

40代から60代を演じるのであれば、やはり40代前後の女優を当てるべきだ。

また年齢的なことだけではなく、湊かなえの作風にも吉永小百合はそもそも合っていないのは自明の理。

人の心に巣食う悪意や暗部をあぶり出すシリアスミステリーの中で一人だけ聖女か皇后さまが紛れ込んでいる、いやそれこそタチの悪いことに中心に座っているので、肝心のおどろおどろしさが消臭されて生ぬるくなってしまっているのだ。

教師という聖職者としての顔は出せても女という業を背負ったひとりの人間としての顔を表すには吉永小百合は聖人君子すぎる。

おかげでこんな清廉な「二十四の瞳」そのものを見せられてしまったわけだ・・。

吉永小百合ではなく寺島しのぶとか夏川結衣あたりに演らせていたらかなりの良作になっていたのではないかと思うと残念でならない。

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ミスティック・リバー

Mysticriver2703出演:ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコン、ローレンス・フィッシュバーン

監督:クリント・イーストウッド

(2003年・アメリカ・138分)MOVIX仙台

評価★★★☆/70点

内容:ボストンの貧困地区で幼なじみのジミー、ショーン、デイブは少年時代よく一緒に遊んでいた。しかしある日、デイブが目の前で見知らぬ大人たちに連れ去られてしまう。数日後、デイブは無事保護されたが、それ以来3人が会うことはなくなっていった。それから25年後、ジミーの19歳の娘が殺される事件が起きる。刑事となっていたショーンはこの事件を担当することになるが・・・。アカデミー賞では主演男優・助演男優賞を受賞。

“川の流れのように”

穏やかで淡々とした流れに見えても川面のごとき人間の内面は常に揺らいでいる。

その微妙な変化と定めないたゆたいは、静謐な流れの中に潜むモンスターとの葛藤でもあり、その物言わぬモンスターが浮かび上がってきたとき、人間の何たるかが否応なくさらされていく。

そしてその異様さは無言のうちに重く、そして冷たく観る者に迫ってくるのだ。

と、ここまでは正確無比なイーストウッドの演出力が威力を発揮するのだが、あえて言えば細かなところまで正確かつ堅実で硬すぎるくらいのイーストウッドの演出が、かえって観てるこちら側までもカチカチの型に嵌めさせてしまった気がしてならない。

そのため、個人的には余韻を引きずるほどの緊迫感を感じさせる一歩手前でどうしても立ち止まってしまわざるをえなかった。

要するに、映画としてはまさに素晴らしいつくりなのだけど、あまりにも完璧に映画映画しちゃってるなぁという、そのことが作品世界に没入していくことを阻害しちゃったというか。

悪く言えばあざとさ!?

そこまで悪くは言いたくはないのだけど、演出に少し冒険があってもよかったかな。。

ただ、役者陣の大仕事の素晴らしさは言うに及ばず、事件を主眼には置かずに三者三様の人間模様を展開させるための単なるきっかけとして置いた点などには非常に好感がもてるわけで、やはりなんだかんだいってイーストウッドとこの映画を称えたい気持ちの方が強いのもたしかなのであります。

太平洋戦争の記憶シリーズ第6号:連合艦隊司令長官山本五十六

今回は連合艦隊司令長官山本五十六についてお勉強。

まず連合艦隊司令長官とは、海軍組織の最高官・海軍大臣、海軍作戦を司る軍令部総長とならぶ海軍三長官のひとつで、海軍の実戦部隊を率いる現場最高指揮官。

Isoroku_yamamotoその中で昭和14(1939)年から戦死した昭和18(1943)年までその任に就いていたのが山本五十六だ。

名前だけは有名で知っていたけど、どんな人かはほとんど知らなかったので、日米開戦や日独伊三国同盟に反対していたことや、真珠湾攻撃の作戦立案をしたこととか初めて知ることばかりで勉強になった。

経歴としては明治34(1901)年、17歳で海軍兵学校に入校。その4年後には日露戦争で少尉候補生として日本海海戦に参加。その際、砲弾の炸裂を食らい、左手の人差し指と中指を失くした。

大正8(1919)年、36歳の時に海軍駐米武官としてハーバード大へ語学留学。2年の滞在中に油田や工業地帯などをくまなく視察し、アメリカの圧倒的な国力を肌で感じたという。中でも航空機の発達には度肝を抜かれ、石油や自動車とともにその重要性を見出した。

その先見性が昭和10年に海軍航空本部長に就いた際に、零戦の開発など航空戦力強化に臨み、航空部隊による真珠湾攻撃の戦果につながっていく。

さて、昭和に入ると、海軍内部ではワシントン軍縮会議(大正10年)における米英10:日本6という戦艦保有率を順守するべきだという条約派(国際協調派)と、そんなの反古にするべきだという艦隊派(対米強硬派)の間で対立が深まるが、昭和6年の満州事変と昭和8年の国際連盟脱退で条約派は粛清されていく。

そんな中、昭和9(1934)年に第2次ロンドン軍縮会議に全権代表として出席した山本。粘り強い交渉に臨むも、10:6の軍備不平等が改められなければワシントン条約を破棄すべしという艦隊派の突き上げを食らい、条約維持という山本の真意とは裏腹に条約破棄が決まってしまう。

この時、アメリカの工業力を実際に見て知っていた山本は、「この条約は日本を3に縛っているのではない。米英を5に縛っているのだ。これをご破算にして建艦競争となれば10:6どころか10:1になってしまう・・」と危惧したという。

そして、昭和13年に陸軍主導による日独伊三国同盟締結の動きが出ると、米英仏が対日経済制裁を課してきたら日本に対抗策はないとして山本は猛烈に反対する。そしてなにより同盟締結となれば対米戦争が避けられない中、国力の差を痛感していた山本は、アメリカと戦争すれば東京は3度は丸焼けになるだろうと一大凶事であるとしてこれにも反対していた。

そんな中で、昭和14年に連合艦隊司令長官に就任するが、その2日後にドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発。昭和15年には日独伊三国同盟が締結され、いよいよ日本はアメリカとの戦争の道へと突き進んでいくことになり、山本も司令長官として対米戦争計画に着手せざるをえなくなった。

総力戦では絶対に負けると読んでいた山本は、半年か1年は戦えるが2年3年となれば分からないとし、短期決戦で講和へ持ち込む連続決戦主義をうたい、開戦約1年前の昭和16年1月には開戦と同時に全航空兵力をもって敵戦力を叩くという真珠湾攻撃の作戦を立案していた。

昭和16年10月の親友・堀悌吉にあてた手紙にはこうある。

“大勢はすでに最悪の場合に陥りたりと認む。今さら誰がよいの悪いのと言ったところで始まらぬ話なり。個人としての意見(対米戦争反対)と正確に正反対の決意を固め、その方向に一途邁進の外なき現在の立場は誠に変なものなり。これも運命というものか。”

昭和16年12月8日、真珠湾攻撃によりアメリカと開戦。

その直後の昭和17年1月の手紙では真珠湾で米空母を撃滅できなかったことを悔やんでいる。

“英米も日本を少し馬鹿にしすぎたるも、彼らにすれば飼い犬にちょっと手を噛まれたくらいに考え、ことに米としてはそろそろ本格的対日作戦に取りかかる本心らしく、日本国内の軽薄なる浮かれ騒ぎは誠に外聞悪きことにて、この様にては東京の一撃にてたちまち縮み上がるのではないかと心配に絶えない。まだまだ真珠湾の勝利では到底安心できない。せめてあの時、空母の3隻くらいも沈めておけばと残念に存じおり候・・・。”

また、同じ1月の手紙では、東京に“爆弾の雨”が降るであろうと日本本土への空襲をすでに予想している。実際、昭和17年4月には東京・川崎などが空襲に遭ってしまう。

そして山本の危惧した予想通り、開戦半年で形勢は逆転。昭和17年6月にミッドウェー海戦で大敗し、8月にはガダルカナル島の戦いで敗退。

同年10月の本土への手紙では、精神論ばかりでしっかりと分析反省をしない仲良しこよしグループ日本軍の隠ぺい体質を批判している。

“こちらはなかなか手がかかって簡単にはいかない。米があれだけの犠牲を払って腰を据えたものをちょっとやそっとで明け渡すはずがないのはずっと前から予想していたので、こちらもよほどの準備と覚悟と犠牲がいると思って意見も出したが、みんな土壇場までは希望的楽観家だから、幸せ者ぞろいのわけだ。”

さらに昭和18年1月の手紙。

“この先は油にしろ食料にしろもっと真面目に考えなければなるまい。艦隊もそれに応ずるような作戦にしなければジリ貧どころかゲリ貧になってしまうだろう。”

そして昭和18年4月、南方戦線視察に赴いていた山本は座乗機が米軍機に撃墜され帰らぬ人となった。

アメリカとの戦争に反対するも最前線に立たなければならなかった葛藤はいかばかりだったか興味深いところだけど、もし終戦時に生き残っていても真珠湾攻撃の首謀者ということで東京裁判ではA級戦犯になったんだろうかね。

“大国といえども戦いを好めば必ず滅ぶ。平和といえども戦いを忘れれば危うい”

山本五十六が残した名言だけど、なんとも含蓄のある言葉だ。

今の日本はどっちだろう・・

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