夢のシネマパラダイス583番シアター:永遠の0
永遠の0
出演:岡田准一、三浦春馬、井上真央、濱田岳、新井浩文、染谷将太、三浦貴大、上田竜也、吹石一恵、風吹ジュン、田中泯、山本學、平幹二朗、橋爪功、夏八木勲
監督・脚本:山崎貴
(2013年・東宝・144分)2014/02/03・盛岡フォーラム
内容:司法試験に落ちてブラブラしている青年、佐伯健太郎。祖母・松乃の葬儀の日、今の祖父・賢一郎とは血のつながりがなく、宮部久蔵という実の祖父が別にいたことを知る。そして健太郎はフリーライターの姉とともに太平洋戦争で特攻で戦死したという宮部久蔵のことを調べ始める。しかし、かつての戦友たちはみな口を揃えて宮部を海軍一の臆病者や、誰よりも生き残ることに執着した腰抜けだったと非難するのだった・・・。
評価★★★★★/95点
先日、寝たきりだった祖母が亡くなった。享年91歳。
何度も峠を乗り越え、その小さい身体からは想像できないほどの強靭な生命力に家族みんなが驚いたものだが、関東大震災のあった年に生まれ、激動の大正・昭和を生き抜いてきたたくましさは変わらず宿りつづけていたのだろう。
そして葬儀の際、家族親戚の間で話題にのぼったのが祖母の満州からの帰還だった。
祖母は戦時中満州に開拓団として渡り、祖父と結婚。しかし、終戦と同時に祖父はシベリアに抑留され、祖母は生まれたばかりの赤ん坊を抱え日本への逃避行を余儀なくされた。
1年半後、日本の親戚の家の軒先に娘を連れてひょこっと現れた時はまるで乞食と変わらない身なりになっていたという。
飢え、寒さ、病気、自決、ソ連軍や現地人の襲撃などで、日本が満州に送り込んだ開拓移民など36万人のうち10数万人が日本の地を踏むことなく命を落とした満州引き揚げ。
そんな想像を絶する苛酷な惨状の中、乳飲み子を決して手放すことなく生き抜いた祖母は、その1年半の逃避行についてほとんど語ることはなかったという。
一方、祖父はシベリアで5年もの抑留生活を経て日本に帰還。
その数年後に父親が生まれ、さらに27年後に自分が生まれた。
そして、その意味するところを30数年生きてきた中で今回この映画を見て初めてハッと気付かされた。
祖父と祖母があの時代を生き抜かなければ、今ここに自分はいないのだということ、そして祖父と祖母の命はいうまでもなく、回りまわって自分の命が多くの尊い犠牲の上に立っているのだということに。
そして、「あの時代、一人一人にそんな物語があった。皆それを胸に秘めて何事もなかったかのように生きている。それが戦争で生き残るということなんだ。」という健太郎の祖父の言葉が胸に突き刺さった。
自分の場合、祖父の手の人差指がなかったことが自分にも分かる戦争の傷跡だったけど、祖父と祖母は孫の自分の前ではたしかに何事もなかったように生きているように見えた。
はたして2人の間で満州での話が出たことはあったのだろうか。だとしたらそれは懐かしい話だったのだろうか、それとも悲しい話だったのだろうか・・・。
今はもうその2人もこの世にはいない。
60年世代が違うと字も読めなくなると映画の中でボヤいていたごとく、60年世代が違うと戦争の悲惨な話の10分の1も実際身に染みていないほど戦争体験者と孫世代の自分とは“雲泥万里の隔たり”があるのだと思う。
しかし、それでも命を引き継いだ者としてしなければならないのは、「それを無駄にしないこと」であり、「物語をつづけること」なのだと映画から教えてもらった。
そういう意味では人生観を一変させるような一生涯の映画になったけど、小説を読んで初めて泣いたくらいの素晴らしい原作をよくぞここまで映像化してくれたなと感謝してもしきれない思いだ。
その上で映画のクオリティを高めたのは原作の持つ物語の強度はもちろんだけど、VFX/CG技術の果たした貢献度は非常に高かったと思う。
宮部機が敵戦艦に向かって海面すれすれを疾空するオープニングシーンから一瞬で映画の世界に入り込んでいけたように、作られた偽物ではなく、本当にあの時代にタイムスリップしたようなリアルな感覚を味わわせてくれた。
監督が自分の演出に酔っているのが明け透けに分かるほどの演出のクドさに乗れるかどうかは若干問題だけど(笑)、本当に素晴らしい映画であるとともに、戦争は絶対にダメだと強く心に刻んだ。
P.S.
唯一、違和感を感じたといえるのは、健太郎が合コンの席で友人から「特攻と自爆テロは同じ」「特攻隊員は軍国主義に洗脳された狂信的愛国者」「国のために命を捨てるというのはある種ヘンなヒロイズム」と茶化されて激怒するシーンだ。
正直、個人的には“自爆テロ”“洗脳”という指摘には共感するところがある。敵兵器に突っ込む特攻と一般市民を巻き添えにする自爆テロは厳密には違うのだろうけど、やはりその本質的なところでは通底するものがあると思うからだ。
景浦が言うところの「十死零生というこんなの作戦とは呼べない」ような狂気の沙汰を選択する以外に手段がないところまで追い詰められた状況、そして将来有望な学徒を半ば強制的に駆り立て、皇国に殉じて命を散らせば軍神に祭り上げる軍国主義の思想教育は、イスラム過激派のそれと何ら変わりがないではないか。
もちろんこの場合、特攻隊員に何ら非はない。それを命じた軍部、戦争を煽り立てた新聞、戦争を継続すること以外に策を講じなかった無能な政治家こそ糾弾されるべきだからだ。
そこまで踏み込めていればこの映画は100点満点だった。
あと、あるテレビ番組で元特攻隊員の証言で大変印象に残ったのが、出撃前夜の死を目前にした隊員たちの姿だった。兵舎ではみんな眠らず目をギラつかせながら鬼気迫る異様な雰囲気だったというが、夜が明けて出撃の朝を迎えるとそれがウソのように穏やかで朗らかな笑顔に変わっていたという。
それはまさに「死にに行く覚悟を決めた人間の目ではなく、ようやく家族のもとに帰れると安堵するような目をしていた」という景浦の言葉につながる。
出撃前夜の隊員たちのそういう姿を描いたシーンもあればよかったのになと少し思った。
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ホタル
出演:高倉健、田中裕子、夏八木勲、原田龍二、中井貴一、井川比佐志
監督:降旗康男
(2001年・東映・114分)NHK-BS
評価★★★☆/70点
内容:鹿児島の小さな港町で漁師をして静かに暮らす元特攻隊員の山岡秀治(高倉健)と腎臓を患っている妻の知子(田中裕子)。時代が昭和から平成に変わったある日、同じ元特攻隊員だった藤枝洋二(井川比佐志)の自殺の報せが届く。時を同じくして、金山という朝鮮籍の特攻隊員の遺品を故郷の韓国に届けに行って欲しいと頼まれた山岡は、ある決意を胸に妻を連れて海を渡るのだった・・・。
“桜島のぽっぽや”
北海道の“ぽっぽや”ならぬ南の国の“ぽっぽや”を彷彿とさせる夫婦愛を縦軸に、そして昭和天皇崩御による昭和という激動の時代の終焉を横軸にとり、過去の戦争による癒しきれない傷と悔恨、特攻から生きて帰ってきてしまったことによる複雑な様々な思い、戦争に翻弄された朝鮮人の特攻兵、そして夫婦の絆のドラマが淡々と綴られていく。
、、のだが、他愛のない純粋な夫婦愛が前面に出てきてしまい、根底にあるべき大事なテーマが裏に隠れて埋没してしまったような、そんな物足りなさは正直感じてしまう。
例えば、高倉健が朝鮮半島に渡って謝罪するというのは、ものスゴッ画期的なことだと思うんだけど、そこに至るまでの過程がやや平板に過ぎて現実感に迫ってくるものが乏しいというか、、、健さんと田中裕子の存在感だけでなんとか立脚していたかんじで、ちょっと残念だったかな。。
そういう意味ではすごい不器用な映画。高倉健だけに・・。
ただ、こういう過去の戦争を語っていこうとする真摯な映画はもっと多く作られていくべきだとは思った。
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俺は、君のためにこそ死ににいく(2007年・東映・140分)WOWOW
監督:新城卓
出演:岸惠子、徳重聡、窪塚洋介、筒井道隆、多部未華子
内容:太平洋戦争末期、鹿児島の知覧飛行場から敵艦目指して片道燃料で飛び立っていく特攻隊の若者たちの儚い青春模様を、彼らから母のように慕われていた富谷食堂の女主人・鳥濱トメの視点で描く。ちなみに製作総指揮・脚本を手がけたのは石原慎太郎。
評価★★★/55点
“葛藤を描けない戦争映画ほど怪しいものはない。”
石原慎太郎が岸惠子を迎えるにあたって、あまりにも無難なところに軟着陸しちゃったなという印象。
歯に衣着せぬ暴言でおなじみの石原慎太郎としてはかなり控え目なかんじで、それがかえって映画として芯にまとまりと力強さがない印象を与えてしまっている。
また、食堂のお母さん・鳥濱トメの視点を一応借りてはいるものの、視点としてはかなり俯瞰的で、事象を細めに切り取ってただエピソードを羅列しているだけというかんじで、なかなか人物に入り込んでいくことができない。
そういう点では群像劇にすらなっていない散漫さばかりが目につき、なんというかもっと人物を絞って寄り添って描いていってもらいたかった。
つまるところ、葛藤を描けない戦争映画ほど怪しいものはないのだから。
そのため、特攻隊員が軍神と人間との間で宙ぶらりんになっている様相を呈している中で、「靖国で待ってるぜ!」なんざ連発されても、はたしてその意味するところは、“理不尽な犬死にという悲劇”なのか、それとも“「あなた」ではなく「君」のために儚く散っていった美談(美しい日本人の姿)”なのか、かなり意図的に曖昧にされているかんじでかえって不気味だし、バックにいる石原慎太郎がどうこうは別にしても映画としての重心の弱さにもつながっていて、なんとか岸惠子がつないでいたからいいものの、映画としての出来ははっきりいって悪いと言わざるをえない。
もっとバシッと、右なら右、左なら左と舵を切ってほしかったような、、、立ち位置はまるで違えど石原慎太郎が朝日新聞のような切り抜け方をしてどないすんねん(笑)。
(追記)
これをWOWOWで見たちょうどその日に民放で「千の風になってスペシャル 戦場のなでしこ隊」というスペシャルドラマがあって、おもわず見入ってしまった。
特攻隊員たちの身の回りの世話をするなでしこ隊については、映画の中でも鳥濱トメ(岸惠子)の次女(多部未華子)がその一員として描かれているけど、TVドラマの方は、なでしこ隊のリーダーだった前田笙子さん(当時15歳)の視点から、彼女がつけていた日記や、まだ御生存の方々の証言を交えて描いた証言ドラマで、映画の中でも「智恵子、会いたい。話がしたい、無性に、、、」という手紙の引用でちらっと出てきた穴澤少尉などにスポットを当てていた。
250キロの爆弾と片道燃料で敵艦に体当たりしていく特攻隊員たちの軍神などではない若者の本当の姿と23日間で106人もの若者を見送った彼女たちの苦痛と嘆きがよく伝わってくるドラマだった。
エピソードというエピソードを満タンに詰めこんで絨毯爆撃してしまった映画とピンポイントに絞って描いたTVドラマ。こりゃ映画の完全な負けだわ・・・。
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月光の夏(1993年・日本・112分)NHK-BS
監督:神山征二郎
出演:滝田裕介、田中実、渡辺美佐子、永野典勝、仲代達矢、若村麻由美、石野真子、内藤武敏、田村高廣、山本圭
内容:昭和20年夏。佐賀の鳥栖国民学校に、出撃を明日に控えた2人の特攻隊員が最後にグランドピアノを弾きたいとやって来る。2人は音楽の夢を断ち切るために、ベートーベンのピアノソナタ“月光”を弾き、もう1人は子どもたちの歌う“海ゆかば”を演奏して死出の旅に旅立っていった。そして戦後、廃棄処分が決まったピアノの保存運動で、その演奏に立ち会った女性教師が語ったエピソードが大きな反響を呼ぶ・・・。
評価★★★☆/70点
特攻隊員は戦時中は軍神と崇められたものの、戦後は手のひらを返したように戦犯となじられ社会復帰もままならなかった・・・。
NHKBSで放送された「零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~」を見て初めて知ったことだけど、死ぬも地獄、生き残るも地獄という特攻隊員の背負った悲劇には胸が締めつけられる思いがした。
十死零生という死ぬことしか許されない戦争の狂気そのもののような馬鹿げた不条理を飲み込んで死にに行かなければならない精神性、そして戦後そこから解放されて残ったのは、喜びではなく自分だけ生き残ってしまったという罪悪感だった・・・。
特攻隊員のそんな思いを推し量ることは今の平和な世の中でグウタラ生きている自分には到底理解しうるものではないくらい想像を絶するものだったとしかいえないけど、まさに「永遠の0」で山本学が言っていたように特攻に行った者と行かなかった者との間には雲泥万里の差があるのだろう。
そういった中で今回の映画は、特攻で生き残った者の苦悩がメインに描かれていて、永遠の0とはまた違った視点で見れたし、特攻出撃前夜のシーンがしっかり描かれていたのも印象的だった。
そしてなにより生きて帰ってきた特攻隊員を世間から隔離した振武寮なる収監施設があったというのを映画を見て初めて知って衝撃を受けた。
こんな非合理な仕打ちがあっていいものだろうか。軍国主義の恐ろしさをまざまざと見せつけられた思いがする。
あと驚いたのが特攻する際の心得を記したマニュアル本みたいなものがあったということ。
眼は開けたままで突っ込め!とか、人生25年!最後の神力を振りしぼれ!とか、、人生25年って・・・。
また、特攻作戦の最後の方は飛行機が足りないため援護機もなしに出撃していったということも初めて知って、しばし絶句。ただでさえ敵艦に近づくことすらままならないのに、、これではホントに無駄死にではないか・・。
戦争は本当に国を狂わせるだけだ!
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