太平洋戦争の記憶シリーズ第1回:真珠湾攻撃
去年リリースされたサザンオールスターズの復活シングル「ピースとハイライト」で、“教科書は現代史をやる前に時間切れ、そこが一番知りたいのに何でそうなっちゃうの?”という歌詞があって、もの凄く共感したんだけど、ことに明治維新からの新政府成立以降~昭和20年の終戦までの約80年間ってほとんど知らないことだらけなんだよね。
で、最近は小説映画ともに心に残った永遠の0に触れたことと、満州からの帰還者である父方の祖母が亡くなったことが重なって、シベリアに抑留されていた祖父ともに日本に無事帰ってこなければ自分はこの世にいなかったんだなぁと感慨を抱いたことから、あの戦争の時代と日本の近現代史について知りたいと強く思っていたわけで。
そんな矢先にアシェット・ジャパンの太平洋戦争の記憶シリーズが刊行されるということで、CM見て購読を即決!
一触即発状態の日韓・日中関係であったり、集団的自衛権や憲法改正の問題であったり、一歩間違えたらヤバイんちゃう!?というきな臭い雰囲気が鈍感な自分の肌感覚にも伝わってくるような世の中になってるし、永遠の0でも指摘されてたように戦争を経験した世代があと10年もすればいなくなってしまう中で、これは本当にタイムリーな企画だと思う。
ということで、毎号ごとに簡単な要約と思ったことについて更新していきたいと思います。
と、意気込んでいたんだけど、、ウチに届いてかな~り経ってからようやっと創刊号読み始めました
で、創刊号はいきなりの真珠湾攻撃だったんだけど、何が1番驚いたって当時の新聞が疑義や批判など一切ない戦争翼賛と推進一色に染め上げられてたこと。
当時の新聞が大本営発表の媒体と化していたことは話には聞いてたけど、実際に見てみるとやっぱりビックリした。だってあの朝日がだよ(笑)。
神国は永久に不滅である!とか、聖戦なんていう言葉まで出てきて、まさに官民国家一体となって突き進むという、またそれを新聞が率先してやっていくわけだから、まさに洗脳の格好の道具だったんだね。。だって、新聞各社共同主催の“米英撃滅国民大会”の告知記事まであるんだから。
そんな風潮の中で戦争反対なんて唱えたらそりゃ非国民として袋叩きに遭うわなぁ
軍国主義の恐ろしさをまざまざと実感できた気がする。
でも、A級戦犯の筆頭として挙げられることが多い東條英機って日米開戦のわずか2ヶ月前に首相に就任していたとは意外だった。しかもその1ヶ月前に御前会議で事実上日米戦が決まっていたということで、ある意味では貧乏くじを引いちゃったってことなのだろうか。
読売新聞は東條内閣について、日中戦争開始から4年で7回も内閣がコロコロ代わる中、ついに現役の軍人を首班とし、政治と軍事が完全なる融合を果たした“弾丸内閣”“死なばもろとも内閣”として突進していかなければならないと豪語している。
死なばもろともって、なんかスゴイ表現・・
ただその東條も首相任命の際に天皇から日米戦争回避の意思を伝えられ、それを実現すべく動いたというのだけど、時すでに遅しだったのか・・。
って、天皇の意思は戦争回避で、東條の前にも日米交渉は水面下で続けられていたみたいだけど、それがことごとくご破算に終わってしまい、結局開戦に至ってしまったというのは、、歴史にifもしもがあればと思ってしまう。。
特に開戦8ヶ月前に出された「日米諒解案」(昭和16年4月)を受諾していれば、、歴史はどう動いていたんだろうか。
開戦について朝日新聞は、世界の警察権を一手にするがごとき大それた口をきき、思い上がっている米英に責任はあるとし、特に蒋介石率いる重慶政府(日中戦争の相手)を助けていることに我々日本は堪忍袋の緒が切れたのだとブチ切れている。
いや、そもそも中国に攻め込んだのは日本じゃんって話なんだけど(笑)。
その重慶への救援輸送路を断つために仏印に進駐した(昭和16年7月末)日本に対し米英が経済制裁でもって応えたことが最大の転換点だったとも思えるんだけど、これだって日米諒解案を受けてればどうなったか分かんないよね・・。なんだかなぁ。。
なんか、ホントのA級戦犯って、日米諒解案を蹴った松岡洋右じゃん!と今回の創刊号を見て思ったw
さて、話は打って変わってここからは新聞アラカルト~~
当時の新聞を見て気になったことやビックリしたことを挙げていきたいと思います
まず気になったのが、朝日新聞の真珠湾攻撃の一面記事で、戦果を伝える記事の発信元がリオデジャネイロ特電とかブエノスアイレス特電になってることで、なんでまたブラジルとアルゼンチンなんだろ??
これって要するに、敵国であるアメリカの情報を伝えられる一番近い国、しかも新聞社が特派員を送れる国が南米にしかなかったってことなのかな?
で、同じ一面を見ると、中米のニカラグアとコスタリカも対日参戦してるんだよね。これも初耳だったんだけど、そうなるとやはり日系人の多いブラジルやアルゼンチンにしか契約できる通信社がなかったということなのかもね。
他には、やっぱり新聞の下部に掲載される出版・求人・案内広告欄が目を引いた。
防空壕の施工設計とか今じゃ考えられないのもあったりしてw
あと“求妻”“求縁”って嫁さん募集広告があったのはビックリした。
そして、何より今回の新聞で最も目が点になったのが、昭和5年の新聞の海外ニュース記事。ベルリンに住む22歳のヘルバート・ハッセという男性が女性の着物を着ないと気分が悪くなると訴え、それが認められて名前をヘルタ・ハーセ嬢に変えて市内の病院で看護婦として働くことが許された、、って昭和5年にすでに性同一性障害が認知されてたってマジすごくない??て思ったんだけど。
いやぁ~大昔の新聞って面白いww!
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