四十九日のレシピ
出演:永作博美、石橋蓮司、岡田将生、二階堂ふみ、原田泰造、淡路恵子
監督:タナダユキ
(2013年・日本・129分)WOWOW
内容:夫・浩之の浮気相手に子供ができてしまい、精神的に追い込まれた百合子は、離婚届を置いて実家へ戻った。ところが、実家では妻・乙美を亡くした父・良平がうなだれているばかり。さらに、その父の世話をしているという異様な出で立ちのゴスロリ少女・イモが訪ねて来て仰天。イモは生前の乙美の勤め先である更正施設の生徒で、乙美から家族の手助けをして欲しいと頼まれていたという。そして良平と百合子は、乙美が遺した「暮らしのレシピカード」に書かれていた“四十九日の大宴会”を実行しようと思い立つが・・・。
評価★★★★/80点
親が子を支えるのと同じで、みんな誰かの踏み切り板になって次の世代を前に飛ばしていく、という映画のメッセージが胸に染み渡ってくる良作。
しかしそれ以上に、子供のいない自分の人生は空白だらけなのではないかと思い悩み、人生に自信をなくしてすっかり縮こまっている百合子に、乙美さんの同僚が叱咤する「しっかりしなさい!」という言葉が1番ガツンときた。
30も半ばでいまだに独身、子供どころか結婚すら夢のまた夢の自分の人生に引け目を感じ始めてきた今日この頃、表には出してないけど内心かなり投げやりな日々を送っていて、、そんな中で不意にあの「しっかりしなさい!」」という喝をくらって、思わず泣きそうになってしまった・・
後世にバトンをつなげることが目に見える形でできるような生き方は出来ないかもしれないけど、たとえ独りでも自分だけの幸せのひな形を自信をもって提示できるような人生を歩んでいければなぁと思った。
でも、しっかりしなさい!を受けての百合子の出した答えが、ろくでなし夫とよりを戻すって、そりゃないだろー。
執念の塊みたいな不倫相手の女との修羅場が待ってるだけじゃん。その後の物語の方が気になるなw
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幸せのちから
出演:ウィル・スミス、ジェイデン・クリストファー・サイア・スミス、タンディ・ニュートン
監督:ガブリエル・ムッチーノ
(2006年・アメリカ・117分)盛岡フォーラム
評価★★★★/75点
内容:1981年のサンフランシスコ。妻リンダと5歳の息子クリストファーと暮らすクリスは精密医療機器のセールスマン。しかし不況でなかなか仕事は思うようにいかず、生活にも窮していく。ついには愛想をつかしたリンダに去られ、家賃滞納で家も追い出されてしまう。クリスはなんとか証券会社の研修生となったが、半年後に本採用となるのはたった一人だけ。最後のチャンスに賭けるクリスと息子の過酷な生活が始まった・・・。実話の映画化。ちなみに息子役はウィル・スミスの実子。
“決して幸せな映画ではないのだということを肝に銘じて見ないとダメ”
なんてったって当時自分自身が失業中でハローワーク通いしている最中に観ちゃったもんだから、もうこのクリス(ウィル・スミス)の這い上がり成功物語に完全に見入ってしまったじゃないか(笑)。
しかもこれ、成功物語といいつつも、映画の大半は路頭に迷った父子の身につまされるような厳しい境遇をイヤというほど追っていて、自分の先の見えない将来ともダブってとにかく見ていてツライものがあった。
ビルから出てくる人がみんな笑顔で幸せそうだったからという理由で証券会社の株式仲買人の道に飛び込んでいくクリス。
しかし、ビルから出てくる人の笑顔は6ヶ月間無給の研修期間を経て20人中採用1人というくらいの厳しい競争率の中で勝ち得た努力のたまものだったという事実。
そして、その裏にある採用に至らなかった19人の悲しい現実。
何をもって幸せとするのかは人それぞれだろうけど、やっぱこの映画が描くように幸せはただそこにあり与えられるものではなく、追求しないと得られないものなのかもしれないな。
そのための努力が報われるのかどうか、結果がついてくるのかは分からない先の見えない不安と怖さは厳然としてあるのだろうけど、努力しないとスタートラインにさえ立てないんだよな。
ハローワークに行って興味のある求人に応募すると、相談員がコンピューターをポンと叩いて、「今、15人応募してますね。応募でいいですか?」て言うんだけど、その時点で自分の心はほぼ折れちゃってたからなぁ(笑)。ホンマに厳しかった現実。。
でも、ちょうど良いグッドタイミングでこの映画を見られたのは結果的には良かったのかも。
ただ、綺麗ごとが全く通用しない現実の中で、もがき苦しみ走りながら努力する姿を追う人間ドラマは一本スジが通っているのだけど、「クレイマー、クレイマー」のような父と子の描写に乏しく、半年一緒に頑張った残りの19人の描写が全く無いなど、映画としてどうなんだろうこれはと思う面も否めず。
息子にしてみれば母親と離ればなれで決して幸せといえる状況ではないわけだし。そういう意味では100%ハッピーエンドな映画ではない。
しかし、採用を勝ち取ったときのクリスの一筋縄では出てこないような涙に素直に心打たれたし、やっとで幸せを取り戻すスタートラインに立つことができたクリスに心底拍手を送りたくなった。
決して幸せな映画ではない。というより苦しい映画です。
そして、素晴らしい映画です。
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クレイマー・クレイマー
出演:ダスティン・ホフマン、メリル・ストリ-プ、ジャスティン・ヘンリー
監督:ロバート・ベントン
(1979年・アメリカ・105分)DVD
評価★★★★/85点
内容:仕事人間テッドは、家庭を顧みず帰宅はいつも午前様。妻ジョアンナ、7歳の息子ビリーと会話を交わすことさえなくなっていた。そんなある日ビリーのために仕事を辞めて専業主婦になっていたジョアンナが、自分の生きる意味を取り戻すためという理由で荷物をまとめて一人家を出て行ってしまう。かくしてテッドとビリーの悪戦苦闘の日常生活が幕を開ける。
“結局1番かわいそうなのはいつも子供だ。”
一方的に夫の方から描いているこの映画。どうしたってジョアンナ(メリル・ストリ-プ)の方が悪者に見えてしまった。
非情な女で陰からこそこそと観察する・・。
感情移入できるわけがない。
それゆえ、ラストの涙語りもますますもって理解できん。あれだけ争っておきながら。
しかし、映画を観終わってふと思うと、ジョアンナの一連の行動もちょっとは分かる気がするのだ。
だって、あの夫テッドにも相当問題はある。
結婚生活7,8年もやっててフライパンがどこにあるのか分からないなんて末期患者なみの重症だ。
ホント仕事人間だったんだろう。よく言えば家族を養うためとも言えるけど。。
そのテッドが、ジョアンナがいなくなったことにより子供を第一に考え直していく。家族というものを見つめなおすという劇的な変化を遂げる。
一方ジョアンナも自分のために自立した生活を手に入れるが、やはり心の拠り所は自立した自分ではなく、自分の子供なのだ。
そのことに気づいた両者が争いながらも最後に和解ともとれる形で認め合ったのは救いだった。
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うさぎドロップ
出演:松山ケンイチ、香里奈、芦田愛菜、桐谷美玲、キタキマユ、綾野剛、池脇千鶴、風吹ジュン、中村梅雀
監督:SABU
(2011年・日本・114分)WOWOW
内容:27歳の会社員・河地ダイキチは、祖父の葬式で祖父の隠し子だという6歳の女の子・りんちゃんに出会う。母親の行方も分からず、困った親戚たちが施設に入れようとすったもんだしているのを見て、自分が育てると宣言してしまうダイキチ。こうしてその日から2人の共同生活が始まるのだったが・・・。
評価★★★☆/70点
苦しみや哀しみといった湿っぽさのかけらもないカラッとした軽やかさはTVドラマの域を出ないけど、愛にあふれたファミリードラマは嫌いになれない。
なにより松山ケンイチと愛菜ちゃんが良い!というかこの2人におんぶに抱っこな映画だといっても過言ではないだろう。
松ケンのカメレオン役者としてのセンスは今さら疑う余地がないけど、持って生まれた(?)ポジティブほんわかキャラがストレートに出てるこういう映画は好きだな。
あとは愛菜ちゃんだけど、こんなこといったらアレだけど色気があるんだよね(笑)。れっきとした女優さんなんだなって思った。
まぁ現実はもっと厳しいのかもしれないけど、この映画で描かれたような父性にはガチで憧れてしまうな。
あ゛あー、オイラも早くパパになりてぇーーww
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アイ・アム・サム/I am sam
出演:ショーン・ペン、ミシェル・ファイファー、ダコタ・ファニング
監督・脚本:ジェシー・ネルソン
(2001年・アメリカ・133分)シネセゾン
評価★★★/65点
内容:7歳の知能しか持たない父親サムは、一人娘のルーシーと幸せな日々を送っていた。しかし、ルーシーが7歳を迎えたある日、ソーシャルワーカーにサムは父親としての能力に欠けると判断され2人は引き離されてしまう・・・。
“下手な終わり方だったらブッ飛ばすとこだった。”
と思って身構えていたら、いちゃもんつけたくてもつけられないような巧い終わり方で逃げやがって・・・。あーー良かった。なんじゃそりゃ!
個人的にはこのお話、悲劇的に終わるのではないかと途中からほぼ確信をもっていただけに、良い意味で裏切られたなと。
そう思った理由は、ひとえに中途半端さからくる不安定要素という言葉につきる。
そもそも7歳まで育てるってだけでもスゴイことなのに、8歳越えると父親より知能が進むからって父子を引き離す事自体全く正当性がないw
何度も言うようだけど7歳まで育ててるんでっせ。しかもスタバで働いとるやん。
さらにマズイことに娘のルーシーが賢すぎなんだよね。レストランでちゃんと注文も取れるし、サムがどこかスローだということもしっかり理解しちゃってるし、それゆえサムより賢くなったら嫌だからという理由で勉強することを怖れ、本を読めないフリをして・・・。
こりゃ100%グレることはないよww
そういうルーシーに対してサムは、「本を読みなさい。これは命令だ。ルーシーが読められればそれでパパは幸せなんだよ。だって父親なんだから。」とはっきり言うとるやん。
フツーこれで終わりだよこの話は。
、、ところがだ、そこにまったくもって理不尽な形で児童福祉局とやらが入り込んでくる。
はぁ~??みたいな。理由付けがあまりにも薄すぎる、弱すぎる。
例えばサムの不注意でルーシーのことを怪我させちゃったとか事故に遭わせちゃったとかさ、そういうことを描いてもらわないと強い動機付けもへったくれもあったもんじゃない。
はっきりいって身障者で描く必要性はこの映画にはまったくゼロ、無い!こういうのを感動の押・し・つ・けというのです。カメラの不安定さもあざとく見えてしまうよこれじゃ。
果ては子供を誘拐したなときたもんだ。フザケンなよ~と言い知れぬムカツキ度が沸々と煮えたぎってくる。リタみたいにどこか蹴っ飛ばしたい気分になったぞ。。
たしかに社会というのは理不尽なものだけども、この映画はそれを真正面から描いているわけでもないし。外の社会との境界を描くのであれば、サムとルーシーが一緒に公園に行けることになった時、バスの中でルーシーが新しい住所に逃げて一緒に暮らそうよ云々と言っているけど、あの時に逃げてロードムービーっぽくしていればおそらく描けたっしょ。まあ結局戻って、子供を誘拐したなとかなんとかハゲの検事が言うわけだ。
どうも理不尽な社会の厳しさを描くにもあいまいだし、はっきりいってこの理不尽さは社会の理不尽さというよりも映画の中だけにしか通用しない、この映画が設定した理不尽さであると感じるわけで、そこに怒りを覚えるしそんなリアリティとの乖離の中でショーン・ペンとかルーシーちゃんが一生懸命に頑張って演じてもなかなか映画の中に入っていくことができない。
さらにその理不尽を掲げる当の児童福祉局などの公的機関も決して悪く描かれているわけではなし、絶対的な権力をふりかざすでもなしで、理不尽さだけが浮いてしまっているわけで。すっごい中途半端。
一体どこにこのやり場のない怒りをぶつければいいかといえば、もうこの理不尽さを設定した映画自体がイヤだ!となるしかないでしょ
自分の場合はその一歩手前でなんとか観続けたけど、映画の中途半端さにやり場のなさというか拠り所の無さも加わって、さらにカメラのブレも手伝って不安定要素が自然と増幅してくる。
それがなんとも言い知れぬ不安感に変わっていく。そしてこれは悲しい終わり方か、と思ってしまう。そこでまたムカツキ度が増す。こんな理不尽で中途半端な映画でしかも救いのない現実的な終わり方かよ、と。
と思って身構えていたら、なにっ、近くのアパートに越してきた!?
ここから映画は外の社会との闘いから、個人の究極の内面である“愛”に向かって急旋回してしまう。
たちの悪い映画自体のねじれ現象!
あっ、そう、逃げるのね、自分が設定した理不尽から映画自体が逃避しちゃうわけね、とこちらの戦闘意欲燃やすのもアホに思えてきてラスト。
“絆”かい。そこに落ち着くわけかい。
そっかあ、要するにただの良いお話として観ればよかったのかなぁ。そりゃそうだよな、アメリカ映画だもんな。身障者というだけでなんか勝手に想像していた自分がバカなだけで、そう思っていること自体差別なのかなぁ、とかなんとか思っちゃいました。
でもこれ観てて真っ先に「ダンサー・イン・ザ・ダ-ク」思い浮かべたからなあ・・・。
次観るときはもっと気楽な気分で臨もうww
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