ダラス・バイヤーズクラブ
出演:マシュー・マコノヒー、ジャレッド・レト、ジェニファー・ガーナー、デニス・オヘア、スティーヴ・ザーン
監督:ジャン=マルク・ヴァレ
(2013年・アメリカ・117分)WOWOW
内容:1985年、テキサス州ダラス。酒・女・ドラッグとやりたい放題の日々を送るマッチョな電気技師ロン・ウッドルーフ。ある日、体調を崩した彼は、突然医者からエイズと診断され余命30日と宣告される。最初はゲイ野郎がかかる病気になんで俺がとブチ切れるロンだったが、図書館で猛勉強し、エイズに対する認識を改める。そして、アメリカでは認可された治療薬が少ないことを知り、有効な未承認薬を求めて病院を脱走、一路メキシコへと向かうが・・・。
評価★★★★/80点
アカデミー主演&助演男優賞W受賞というトピックがなければ正直手が伸びなかったであろう作品だったけど、純粋に見てよかったと思える良作だったと思う。
よくアカデミー賞では体重を極端に増減させる身体を張ったいわゆるデニーロアプローチが評価されて演技賞を獲りやすいといわれる。
しかし、今回はそういう見た目の役作りを超えたところにあるロン・ウッドルーフというジャンキー人間の内面が生み出すリアルな実存感こそが役者魂の真の力量なのだということをあらためて実感させてくれた。
その内面とは、露骨な人間性とただでは転ばない生命力といえるけど、このまま死んでたまるかと生への執念に燃えて行動あるのみの主人公のタフネスキャラが、難病ものにありがちな情緒に訴えるお涙頂戴の同情スタイルではない作劇を生んでいることも大きい。
それは、バリバリの差別主義者が一転して差別される側に回ってしまう、あるいはバリバリの保守派が一転して権力に立ち向かっていく立場の逆転劇の面白さにも表れているけど、当の本人はそれを全く意に介さないばかりか自分が反体制なことにも無自覚なところが変にクサくなくて良い。
とにかく、生きるためなら何だってやってやるという負けん気の強さが反骨精神として昇華されているのだ。いや、世界を股にかける商魂たくましさといった方がいいかw
余命30日のはずが7年も生き延びたんだからホントすごいよね。自分同じ状況になったら20日ともたないだろうな
しかし、このてのアメリカ映画でいつも悪役になり下がる医療・製薬業界の言い分てのも聞いてみたいな。
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50/50 フィフティ・フィフティ
出演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット、セス・ローゲン、アナ・ケンドリック、ブライス・ダラス・ハワード、アンジェリカ・ヒューストン
監督:ジョナサン・レヴィン
(2011年・アメリカ・100分)WOWOW
内容:シアトルのラジオ局で働く27歳の青年アダムに突然下されたガン宣告。5年後の生存率は50%だという。闘病生活に入るアダムに対し、彼を取り巻く環境は一変。恋人のレイチェルはじめ腫れ物を触るような気遣いに居心地の悪さを感じてしまうアダムだったが、能天気な悪友カイルだけはそれまでと変わらない態度で接してくれた。そんなカイルや少々頼りない新米セラピストのキャサリンのサポートを受けながら病気に立ち向かおうとするが・・・。
評価★★★/65点
このての闘病映画のシリアスなセオリーをことごとく外してくる作劇には意表をつかれるが、なにか腰の据わりの悪さが感じられてしまっていまひとつついて行けなかったかも・・。
27歳にしては極めて冷静沈着な主人公の病気に対するどこか他人事な距離感しかり、下ネタ全開でガンを出汁にナンパしまくるデリカシーのない親友のウザイ距離感しかり、ガンだと告白するやその重荷に耐えられず浮気に走ってしまう彼女の献身からは程遠い距離感しかり、なにか自分の中でカチリとハマってこなくてイマイチだった。
それはつまるところ死に対する切実な恐怖感が感じられないということに繋がってくるんだけど、“死”と相対するものとして“性”ばっかり描かれてもねぇ
まぁ、アナ・ケンドリック演じる新米セラピストと主人公の距離感は絶妙だったとは思うけど、痴呆症の父を抱える家族との距離感とか病気療養仲間との交流とかそっちの方をもうちょっと突っ込んで描いてほしかったかなと。
こう整理してくると、そっかぁこの映画は人と人、生と死という微妙な“距離感”を描いた映画だったんだなとちょい納得。。
ひと昔前だったら、ジム・キャリーが主人公だったらよかったんじゃないかなって思ったんだけど。
でも、音楽の使い方だけは特筆に良かった♪
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フィラデルフィア
出演:トム・ハンクス、デンゼル・ワシントン、ジェイソン・ロバーズ
監督:ジョナサン・デミ
(1993年・アメリカ・125分)NHK-BS
評価★★★☆/75点
内容:フィラデルフィアの一流法律会社に勤めるアンドリューは、エイズと宣告され、それが原因で解雇されてしまう。不当な差別に怒ったアンドリューは訴訟を決意するが、次々と弁護を断られ、以前に敵同士として渡り合った弁護士ミラーを訪ねる。
“「これは映画ではないのです。ドラマティックな証言があるわけでもない。これは事実なのです。」byジョー・ミラー、、、、たしかにそうなのかもしれない。社会の偏見の冷徹な事実が厳然としてあることを改めて考えさせられる。そして自分も偏見に加わっている1人なのだと・・・。”
原告側、被告側の冒頭陳述が陪審員に向かって語られるシーンでは陪審員の姿は写さず、カメラに向かって、つまり映画を観る側に語りかける形をとっている。観客にしっかりと考えてもらいたいということの映画の意思表示なのだろう。
であるからD.ワシントン扮するミラーの言葉は特に意味があるものだと思ったのだ。
実際ドラマティックな証言もなかったし、ドラマティックな新証拠もなかったし、評決の決め手もはっきりいって弱い。
見るからにただ痛々しいアンディの姿と、訴えられた事務所連中の仏頂面が際立っていくばかりなのだ。
しかし、この映画では、それで十分なのだと思う。
見ごたえのある裁判劇よりもこの裁判の根底にあるエイズ患者や同性愛者への偏見、差別という核心を突いて観る側に訴えかける、あるいは問いかけることがこの映画の目的意識だと観ていて感じた。
この映画は観る側の見識や考え方を問い、自ら考えさせることを目的とした映画なのだと思う。
かくいう自分もそういう意味では考えさせられてしまった。
同性愛者は大っ嫌いだ!とジョーは断言していたが、そこまでの嫌悪感は個人的にはないものの、やはり同性愛者に対する偏見や差別意識は自分の中にあるんだなぁと、この映画を観て気付かされたのは事実だ。
普段の生活でもゲイがTVに出てくればほとんど笑いの対象になってるし、それを見て自分もバカにしたように笑って見ちゃってるし。。そういう目で見てることが当たり前になってた自分になんかハッと気付かされたというか。
例えば、トム・ハンクス扮するアンディが10歳くらいの少年だったらどうだったか。
この場合まず同性愛者ということはないだろうから、輸血による感染だろう。
すると真っ先に思い浮かぶのが「マイ・フレンド・フォーエバー」だ。
実はこの作品で描かれた2人の少年の物語には、なりふり構わず大泣きしたクチなのだ。
なのに同性愛を扱っているこの映画では全然泣けない・・・。
もちろん両作の目的意識というのは全く別のベクトルを向いてるけど、どこかに自業自得じゃんという薄ら冷めた気持ちが自分の中にあるのだと思う。。
今回の映画を観てもあまりそういう気持ちが劇的に変わっていないことに、なんかそれでいいのかよ自分!と思っちゃう。
でも何日か経ったらそういうことも忘れちゃって、また笑ってテレビ見ちゃうんだろうな・・。う~ん、、なんだかなぁ・・・。
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ちゃんと伝える(2009年・日本・108分)NHK-BS
監督・脚本:園子温
出演:AKIRA、伊藤歩、高岡蒼甫、高橋惠子、吹越満、でんでん、奥田瑛二
内容:地元タウン誌の編集部に勤める史郎の父親がガンで入院した。高校サッカー部の鬼コーチとして自分にもスパルタ指導を施していた父との間にわだかまりを抱えていた史郎だったが、父の余命がわずかであることを知り、毎日のように病室に足を運ぶようになる。そして、退院したら一緒に湖に釣りに行こうと約束するまでに2人の関係は修復する。ところがその矢先、史郎自身がガンを告知されてしまい・・・。
評価★★★☆/70点
噴出&暴走しすぎて受け止めきれないほどの自意識の塊を常に画面所狭しと投げつける園子温にしては珍しく穏やかなヒューマンドラマになっていて、身構えて見た自分にとっては良い意味で拍子抜け。肩の力を抜いて優しいまなざしで家族の物語を見ることができた。
このての難病ものにありがちな感動の押し売りになっていないところもさすが園子温だと思わせるつくりになっていて良い。
自分自身、思ったことを口に出すタイプではないので、共感ポイントも多くてなかなか身に染みるものがあったかも。
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