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2012年5月21日 (月)

岩手沿岸被災地巡り:田老~陸前高田(2012/05/20)

あの大震災から1年2ヶ月。昨年同じ時期くらいに宮古などを見てきたのだけど、今回は家族と田老~陸前高田まで一気に見てまいりました。日帰りで380km走破です

まぁ自分は運転手として引っ張られたわけだけどw、前回は写真撮るとかいう気持ちには到底なれず1枚も撮らなかったんだけど、今回はちょっと撮ってきたので載せます。

で、、出発が朝6時って聞いたときは絶句したんだけど、そうじゃないと陸前高田までは見れないよってことで渋々起きて運転・・。

で、宮古に8時着。

Dscn8408

←オイラが住んでたアパート

宮古市の西が丘2丁目15-2-404

ここに小4~中1まで4年間住んでたんだねぇ。宮古に来るたびに必ず寄ってしまう懐かしの地。今までの人生で1番穏やかで幸せな日々を過ごした場所。

何のケガレもない思い出の宮古はやっぱイイすわ。

さて、西が丘を出たあと宮古市内中心部にある魚菜市場へ。新鮮な海の幸たちの匂いに囲まれてノスタルジーに浸りました。でも買ったのは団子餅w

あと、市場の中に特設コーナーが設けられていて、そこに有名人の応援色紙が60枚くらいズラーッと貼ってあってちょっと感動!

Dscn8413_2 ←浄土ヶ浜入口。9時前に着いたこともあってまだ人はまばらだったけど、遊覧船も再開してたみたい。

磯と潮の香りが心地良く、あ~やっぱ海ってイイなぁと思ったけど、その海がとんでもない災禍を招いてしまったわけだ・・。

田老に向けて北に向かうときに鍬ヶ崎地区があって、そこは津波で全滅していて何もない状況で、さらに田老に着いて暫し絶句。

Photo_5 ←無残にも破壊された田老の防潮堤。画面手前が海で、向こう側が防潮堤に守られるはずだった田老の町になる。

で、あるべき高さの防潮堤ラインを画像に引いてみました。

田老には防潮堤が2つあったんだけど、うち1つが水門を残して跡形もなく破壊されていた。階段の鉄製の欄干もぐんにゃり変形していて、津波の凄まじさを実感。ていうかコンクリートの壁を根こそぎ持ってく津波の威力ってどんだけなんだよ・・。

Dscn8419 ←この水門から出た光景。向こうに田老観光ホテルが見え、3階まで津波が来たことが分かる。また、その後ろにある山も津波が届いた所は木が枯れている。

水門から400mくらい離れてると思うんだけど、あそこまで津波が行っちゃうのかよ・・。

画面左側は住宅地があったようだけど、一面なにもない状況だった。

Dscn8422_2 ←2つ目の防潮堤の上から見た田老の街並み、、といってもほとんど何もない。

でも、防潮堤の下に降りると分かるんだけど、津波が来るかどうかなんて下からじゃ全く分からないんだよね。

画面左側の小高い所に無傷で残っている役場があるんだけど、そこからも海は見えなかったから、津波が防潮堤を乗り越えてきて初めて津波来たって認識できるような状況だったんだろう。逃げ遅れた人々にとっては時すでに遅しだったのか・・。

田老を出たあと宮古に戻って一路南下。10時半くらいに山田、11時過ぎに大槌に着く。

Dscn8437

←親父と大槌町役場。

町長はじめ多くの方が亡くなりました。時計は15時20分くらいを指しているのだろうか。津波が襲ってきた時間か・・。

山田、大槌はほとんど壊滅で、ガレキとお墓しかない悲惨な状況。墓地って山の中腹とか高い所にあるから家々は無くなってもお墓だけは残ってるんだよねぇ。皮肉なものだよね・・。

そして釜石、大船渡は市内中心部は一見すると大きな被害はないように見え、建物もかなり残っていたけど、釜石の市中心部に行く途中に鵜住居地区と両石地区ってのがあってそこは家々が何もない状況だった。

しかし、最も衝撃を受けたのが陸前高田。14時着。

Dscn8442 ←正面が4階建ての陸前高田市役所。その向こうにマイヤショッピングセンター。画面左が市役所と面と向かってある3階建ての市民会館。市役所と市民会館入口には献花台がありお線香が立てられていて、千羽鶴もかけられていた。合掌。

市役所の4階に逃げた人は助かって、市民会館に逃げた人は亡くなったというのをテレビでやってたっけ・・。

田老や大槌も悲惨だったけど、規模でいったら陸前高田が最悪で、この市役所、市民会館、マイヤ、あと市民会館の後方にある4階建てくらいの県立高田病院といったデカイ鉄筋建て以外は何もない状況。あとはガレキの山、山、山。

Dscn8443 ←上の写真を撮った立ち位置からさらに左を向いて撮影。市民会館を横から写したものだ。画面右が市民会館入口の方となる。建物のほとんどが崩壊していることが分かる。画面奥にガレキの山。さらに奥に県立高田病院。

県立病院にも行ってみたが4階まで水没した爪あとは凄まじく廃墟と化していた。市役所にしろ病院にしろ、建物の中はまったく手つかずの状態で片付けられていない状況。市役所の中なんて車の残骸や高田松原の松の木と思われるものまで入り込んでいるくらいヒドイ・・。

Dscn8444 ←同じ立ち位置からさらに左に旋回。ガレキの山しかない。その奥に見える水っぽいのは水田だったんだろうけどもう使われていない状況。さらに奥に建物が見え、さらにその奥が高田松原の海。奇跡の一本松は正面にあると思うんだけどガレキのせいで見えない。

1年以上経ってこれですよ。このガレキを片付けないかぎりは何も進まないよねってことを実感。

変な異臭というのはもうほとんど感じなかったけど、夏場になるとまたハエとか多くなるのかなぁ。県立病院の周りは病院の独特な異臭がして蚊だか変な虫が飛び回ってたけど・・。

全国の皆さんのお力添えを頂かないと処理できません。

さらに左を向いて撮ったのが次の写真。

Dscn8445

←向こうは海岸線がずっと続いてます。ご覧の通り街並みも何もなくなってしまった状況。でかい建物はポツポツ残ってるんだけども。

海からここまでかなり離れてるのが分かるわけで、1km以上はあると思うんだけど、まさか津波が来るとは思わないよね。でも市役所の4階以外は全てが水没したわけだから・・。恐ろしすぎる。

Dscn8449 ←奇跡の一本松。高田松原の端にあったんだね。画面左側に高田松原の砂浜が延々とあったんだけど、数万本の松とともに消え去ってしまいました。

一本松の向こう正面に建物の残骸があるけど、この建物が守ってくれたのかな。

あの建物と松の間にも海水が浸水してて、でかい水たまりができてて、この松もすでに枯れてる状態なんだとか。

でも、そう簡単に倒れるようにも思えなかったんだけど、どうするんだろう。なんとか保存してほしい。

で、15時くらいに陸前高田を出て、一路盛岡へ帰りました。

復興するのに10年はかかるといわれてるけど、現実はもっと厳しいのかも。まずはガレキ処理だよねぇ・・。

また1年後、行きたいと思います。1年後、どうなってるんだろ・・。

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