夢のシネマパラダイス116番シアター:ザ・サウンド・オブ・ミュージカル!
ウエストサイド物語
出演:ナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ジョージ・チャキリス
監督:ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス
(1961年・アメリカ・152分)初見2003/01/10・テアトル銀座
評価★★★★/80点
内容:ブロードウェイで2年間に743回上演された大ヒットミュージカルの映画化で、ニューヨークを舞台に繰り広げられる現代版「ロミオとジュリエット」。NYのスラム街では、イタリア系の若者グループ・ジェット団と、プエルトリコ系のシャーク団が常に対立していた。ジェット団の首領リフの親友であるトニーは、ダンスパーティでマリアという少女と知り合い恋に落ちるが、彼女はなななんと宿敵シャーク団の首領ベルナルドの妹だった!トニーは両者の対立を解こうとするが、逆に火に油を注ぐ結果に・・・。アカデミー作品賞など10部門を受賞。
“若者たちの愛、灼熱の青春、苦悩、憎しみ、ダークサイドをこれほどアツく謳い上げたミュージカルが他にあろうか。何の変哲もない広場、駐車場、路地裏、壁の落書きまでもがリアルかつ効果的なミュージカルシーンを演出し、若者たちの閉塞感まで表現することに成功している。現代の地上に降り立った青春ミュージカル最初で最後の作品。これを金字塔という。”
オープニングシーン。
シミみたいな画面が5分程つづく・・・(後で分かったんだけど、このシミってマンハッタンのイラストだったのね)。
何なのこれ、いつ始まるの?とやきもきしているところにいきなりニューヨークの空撮。
あ、ヤンキースタジアムだとか思っているうちにカメラがとある一角に降り立つ。と、若者集団が指をならしながらオーバーアクション気味に歩いているではないか!
ジェット団参上!
しかも道路に白いペンキかチョークでJETSとただ書いてるだけってのがなんとも単純(ちなみにシャーク団もSHARKSと書いてあった)、、、道路標識かよっみたいな。
この冒頭には相当違和感を感じてしまった。
それは逆にいえば、今まで見てきたミュージカル映画と呼ばれる映画がいかに型や枠にはまった作り方をされているのかということでもあるのだけど。
しかもここで1つ指摘しておかなければならないことは、オイラが生きてきた80年代以降、つまりこの映画から20年後の時代、はミュージカル映画そのものが下火になってしまい、急激にその歩みを止めることになってしまったということである。
つまり自分がミュージカル映画をみる判断材料が70年代以前にしかなかったという悲しい現状があった。それゆえこの映画から20年経とうと30年経とうとこの違和感は変わらないのだ。
さらにこれまた悲しいことにこの映画の正当な後継者はいまだに現れていない。
ゆえにこの違和感は決して消えることはないと思う。
さて、ここでミュージカル映画の型、枠とは何かを考えると、それはまずセット撮影であること。ジャンルは総じてコメディ、ラブコメディ、ラブロマンスものに限られる。さらにその中のバックステージものやレビューものに限られるといったぐあい。
NYのロケーションを行ったことで有名な「踊る大紐育」はドタバタコメディだし、ミュージカルにドラマを取り入れた最初の作品といわれる「ショウボート」でさえバックステージものだし、絶対ミュージカル映画の枠から逸脱しないわけだ。
そんなところにこの「ウエストサイド物語」が斬りこんできた!
セット撮影も至るところで使われてはいるけど、それを全く気にさせないほどのロケーション撮影のリアルさと力強さ。
そして何といっても物語自体の力強さ。
冒頭の違和感は物語が進んでいくにつれ、その力強さに完全に取り込まれてしまう。
物語のベースはあくまで古典的なものだが、そこに若者たちの熱くなって破裂してしまいそうな青春の漲る力、人種差別といった現実のリアルな社会問題の重さまで取り入れることでより強固な物語にしているといえる。
この映画はミュージカル映画の枠から幾分かけ離れた所にあるといっていいと思う。
最初にこの映画は金字塔であるといったけど、孤高であるといった方が正しいかもしれない。
21世紀に入り、「ムーラン・ルージュ」「シカゴ」といった作品が少数精鋭的に現れ始めているが、それらは多分にミュージカル映画の従来の枠の中で比べられるべき作品。
孤高を持する「ウエストサイド物語」と比べられるべき映画がそろそろ出てきてほしいと願わずにいられない。
------------------------
サウンド・オブ・ミュージック
出演:ジュリー・アンドリュース、クリストファー・プラマー、リチャード・ヘイドン、エリナー・パーカー
監督:ロバート・ワイズ
(1965年・アメリカ・174分)DVD
内容:舞台は1938年のオーストリア。トラップ大佐の家へ家庭教師としてやってきた修道女マリアは、母を亡くした7人の子供たちと音楽を通じて心を通わせていく。最初は彼女をこころよく思っていなかった厳格な大佐も、やがてマリアへ感謝の意を表すようになり、、、。アカデミー作品賞、監督賞など5部門を受賞し、ミュージカル映画史に金字塔を打ち立てた、ロバート・ワイズの名作。
評価★★★★/85点
下界で繰り広げられる軽快なステップと歌声、それを見下ろす壮大という言葉を超越した荘厳さでそびえ立つアルプスの峻嶺。
規律と厳格を重んじるトラップ大佐と、同じことを重んじる修道院のはみ出し娘でおてんばかつ天真爛漫な修道女マリア。
これらのコントラストが見事な調和へといざなわれていく妙なる調べに、心も弾み引き込まれていくのだ。
それに加えて、自由を侵食してくるナチスの影というものが、実話ならではの重さを与えており、良くバランスの取れている作品であるといえる。
------------------------
シカゴ
出演:レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、リチャード・ギア、クイーン・ラティファ
監督:ロブ・マーシャル
(2002年・アメリカ・113分)プラゼール
評価★★★/65点
内容:1920年代のシカゴ。人気スターのヴェルマ・ケリーのような輝くスターになることを夢見る主婦ロキシー・ハートは、愛人を殺害したかどでたちまち刑務所送りになってしまう。しかし、今まで女性弁護で一度も負けたことのない悪徳弁護士ビリーが颯爽と現れ、事は思いもよらぬ急展開をみせていく・・・。ボブ・フォッシーの名作ミュージカルを映画化し、アカデミー作品賞など6部門を受賞。
“絶滅危惧種「凡庸」ミュージカル復活ののろし!?”
ミュージカル、ミュージカル、ミュージカル。
それはオイラにとっては完全に遺物だった。
サウンド・オブ・ミュージック、ウエスト・サイド物語、王様と私、ジーン・ケリー、アステア、、、、全部オイラが生まれるずっと前の映画たち。
いったいオイラが生まれてからミュージカル映画と呼べる映画は何本世に出たのだろう。
少なくとも公開と同時に観れたのは、1996年の「世界中がアイ・ラブ・ユー」が最初だ。その後メジャーと呼べるものは同年の「エビータ」「ムーラン・ルージュ」くらいか。あとはケネス・ブラナーの「恋の骨折り損」といった小品や一応「ダンサー・イン・ザ・ダーク」も入れておくか。
それでも思いつくかぎりたった数本である。「コーラスライン」といった80年代の作品を入れても微増にしかならないはずだ。
そして、そのたった数本の中に「シカゴ」が加わった。
結論からいうと、“凡庸”シカゴより、“オマージュ”世界中がアイ・ラブ・ユーの方が個人的には好きだということ。
といってもここでちょっと個人的に断っておきたいことを述べておこう。
それはミュージカル映画の個人的な評価がまるで固定相場制のごとくほとんど変わらないということである。
ほとんどのミュージカル映画にオイラは★3っつを付けていると思う。
なぜか。。
その最大要因は、とってつけたような似たり寄ったりのシナリオとストーリー展開にある。
特に3,40年代ものはその印象が強いと感じる。
いわゆるバックステージものとかミュージカル・ラブコメディが雨後のタケノコのごとく吐き出された時代。
はっきりいってストーリーなんかどうでもよくミュージカルナンバーとダンスが前面に出る作品たち。
ドラマ性が重視されている作品もないわけではないが、要はほとんど似たり寄ったり、“凡庸”なのだ。
だから自分の中での評価も変わりようがないわけで。
「シカゴ」にしてもバックステージものの流れをくんでいるし、「世界中がアイ・ラブ・ユー」にしてもラブコメというように決してミュージカル映画の型からはみ出してはいない。
しかも両者とも吹き替えなしで役者本人が歌いダンスを披露している。
では、評価の変わりようがほとんどない中、なぜ“凡庸”シカゴで、“オマージュ”世界中がアイ・ラブ・ユーなのかというと、それはつまり“遊び心のない”シカゴと“遊び心のある”世界中が~というふうに言い換えて表すことができると思う。
そう、「シカゴ」には遊び心がない。
たしかに映像はスタイリッシュかつパワフル。キャサリン・ゼタ・ジョーンズをはじめとする役者陣もさすが。
なのだが、あまりにも王道を行きすぎている。
舞台となった1920年代という時代性も合わせて、ここまで本格的なミュージカル映画はおそらく何十年ぶりではないかと思われるが、この本格的という言葉、聞こえはよいが、ことミュージカル映画にかぎってはそれは個人的には凡庸であるということと同義語をなす。
王道の中の王道、それは凡庸の中の凡庸とでもいえばいいか。
ストーリーははっきりいってどうでもいいとしても、徹底して舞台上でのパフォーマンスにこだわるあたり、正直閉塞感を覚えずにはいられなかった。
しかもいちいち曲紹介を付けてドラマ場面とミュージカル場面を区切るんだもん。。今の観客にはそっちの方が分かりやすいのかもしれないけど、どうも狭っ苦しいというか固っ苦しい。そうでなくとも檻の中だし・・・。
犯罪大都市シカゴの街並みの雑踏の中でいきなり歌い出すなんてことをしないんだよねぇこの映画。その雑踏集団まで踊り出しちゃうみたいな、そんな思い切った開放感もあってよかったと思うのだけど。
ま、ミュージカル映画というジャンルは、“凡庸”なのにアクション映画なんかとは違って、人それぞれの見方や楽しみ方ができてしまうジャンルだからね、ま、いいんじゃないスか。って何がやねん・・・(笑)。
あ、あと“オマージュ”世界中がアイ・ラブ・ユーについては、遊び心がある映画だと考えております。
現代のNYとパリという舞台に往年のミュージカル映画を甦らせたことが端的にそれを表しているのではないだろうか。そこに意義があるのだし、だからこそ“オマージュ”なのです。
一方「シカゴ」はというと、これは過去から現代というミュージカル映画史の流れの中だけで甦らせた、再現したというしかない。
スタイリッシュな味付けという新しい遺伝子を有してはいるが、あくまでもオーソドックスな形式は徹底して継承している。まさに正統派の王道すなわち=“凡庸”なのです。
------------------------
ムーラン・ルージュ(2001年・アメリカ・128分)ジョイシネマ
監督・脚本:バズ・ラーマン
出演:ニコール・キッドマン、ユアン・マクレガー、ジョン・レグイザモ、リチャード・ロクスバーグ
評価★★★☆/70点
内容:19世紀末のパリ、ナイトクラブ“ムーラン・ルージュ”には毎夜大勢の男女が集っていたが、経営状態は火の車。オーナーは資産家からのカンパを目当てに、女優を目指すサティーンをショウの主役に抜擢。しかし、彼女は舞台作家の青年と恋に落ち・・・。バズ・ラーマン監督の麻薬的なスピード感に溢れるミュージカル。
“オイラは自信をもってここに告白する。ジドラー、侯爵と一緒に「Like a Virgin♪」を熱唱したことを。”
ちょっと自分好みのアレンジではなかったのが玉に瑕だったけど(やっぱ断然「レオン」のN.ポートマンバージョンだろ)、自分から歌っちゃうようなハイテンションで臨まないとこのミュージカル映画にはついて行けん。。
20世紀FOXのロゴマークのしゃれた登場の仕方とパリの街をすり抜けていくカメラの長回し、そしてクリスチャンが高らかに“サウンド・オブ・ミュージック♪”を歌うに至る冒頭は、ホントつかみはOKてなかんじで、ワオー良いんじゃないのこの映画はと思っちゃいましたよ。TVCMなどでもお馴染みの“サウンド・オブ・ミュージック♪”、意気揚々とオイラも口ずさんでしまった。
、、、が、この冒頭はジェットコースターでいうところの最初の上り坂にすぎなかったわけで、緑色の妖精が現れてからサティーンがブランコから落ちるまでまさに急転直下で息つくひまもなし。
正直どころじゃなくマジでビックリしたけどね、ここの演出は。
パティ・ラベルの“レディ・マーマレード♪”がこうなっちゃうんだぁ・・・と、まあ巧いっちゃあ巧い使い方ではあったけど。
でも、ジェットコースター嫌いな人がいるように、ここで一歩引いちゃう人もいるのだろうけど、ここで引いちゃうと一巻の終りというのがこの映画のなんともイヤらしいところ。
ここで引いちゃうと映画に入っていくのはほぼ不可能だからね。
この映画は、この急転直下の勢いそのままでラストまでイッちゃうわけだから。
ジェットコースター乗ったが最後、途中乗車も途中下車もできない!ラストまでとにかく付き合うしかないわけで。
つまりこの映画って途中乗車できないばかりか、途中下車もできないんだよね。そういうパワーというか最後まで見せきる力というのはある。なんとも性質が悪いというかイヤらしい映画です・・・(笑)。
かくいうオイラも“レディ・マーマレード♪”の倍速シーンが出てきたときはさすがに、、、これもありなの?と引いてしまったわけで。
だからなんか映画に入り込めずに傍から見ているようなかんじになってしまった。
緩急が全く無いから、もうどうにもならんですよ、このジェットコースター「ムーラン・ルージュ号」に一度乗っちゃうと。
たださっきも言ったように、最後まで見せきる力ずくのパワーというのはホントすごいものがあるとは思う。
別にストーリーが凄いというわけでは決してなくて、はっきりいって全然乗りきれないちゃちいストーリーなのだけど、それをも強引な力技で押し通してしまうようなもの凄いパワーがこの映画にはある。
それはいわばこの映画の作り手のパワーだと思うのだけど、このパワーが尋常じゃないなと(笑)。
アドレナリン注射か何か打ってるんちゃうのと思うくらい全くテンション下げずに映画を作っているかんじ。それがスクリーンに狂おしいほど現れてる。
まあ中盤以降はさすがに息切れしてきて冒頭の勢いの余力の助けを借りて惰性走行のようなかんじになってるけど、それでももの凄いハイテンション。
この点に関してはバズ・ラーマンをはじめとする映画の作り手たちに頭の下がる思いだわ。
とにかくオレたちゃこういう映画つくったゼ!!テメーら、しかと観やがれ!ついてこれねえ奴は関係ねえ!ついてこれる奴だけ勝手について来い!みたいな、はっきりいって独善的ともいえるような映画の作り手の自己主張の声が聞こえてくるようでしかたがない。
しかも、結果としてついて来れない奴らまでもろとも根こそぎ引き連れていくという凄まじさ。
最近こういう映画にはあまりお目にかかれない。
なんだか分からないけど、とにかく凄い映画だなとは真っ先に思った。
今思い返してみると、「蒲田行進曲」とテンションとかアツさがすごくかぶるなぁとふと思ってしまった・・w
------------------------
シェルブールの雨傘(1964年・フランス・91分)NHK-BS
監督・脚本:ジャック・ドゥミー
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ニーノ・カステルヌオーヴォ、マルク・ミシェル
内容:雨傘屋の娘ジュヌビエーヴは、ガレージで働くギイと結婚を約束していたが、ある日、ギイに召集令状が届く。その夜、2人は結ばれ彼女はギイの子供を身ごもった。しかし、戦争に行ったギイからは何の音沙汰もなく、諦めた彼女は宝石商のもとに嫁いでいくが・・・。すべての台詞をオペラ形式でそのまま歌わせるという大胆さが売りのミュージカル。カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。
評価★★/45点
“カトリーヌ・ドヌーヴのドツボにハマる美しさのみに引きずられて観た90分。。”
全編ミュージカル調である必然性のあるシナリオなのかがまずは理解不能だし、カトリーヌ・ドヌーヴ扮するジュヌビエーヴが戦地から帰ってこない最愛の恋人ギイに見切りをつけて宝石商のもとに嫁いでいくくだりも底が浅い。
ていうかギイの子をお腹に宿していながらそれかよ(笑)。カワイイ顔してある意味スゴイ女だぞ・・・。
例えば、ナタリー・ウッドのような苦悩と苦悶に引き裂かれ苛まれるような姿の1つや2つは見せてくれてもよかったんでないかい?
ま、ジュヌビエーヴが16歳という設定だからそこらへんは若気の至りってやつで軽く考えちゃうのかもしれないけど、、ってなんじゃそりゃ。
とにかくあれだな、耳にいちいち引っかかるフランス語のミュージカルはオイラには合わないってことだな。ウン。
------------------------
ダンサー・イン・ザ・ダーク
出演:ビョーク、カトリーヌ・ドヌーブ、デビッド・モース、ピーター・ストーメア
監督・脚本:ラース・フォン・トリアー
(2000年・デンマーク・140分)ワーナーみなとみらい
評価★★★★/80点
内容:女手ひとつで息子を育てるセルマ。だが、彼女は病のために視力を失いつつあった。同じ運命の息子を救うために必死に働くセルマだったが、ある日大事な手術代が盗まれてしまう。カンヌでパルムドールと主演女優賞をW受賞。
“映画を観る側の逃げ場所がどこにも無い。あるとすればそれは観る側の現実世界しかない。ファンタジーたりえない現実世界に逃避させてしまうような映画を観るのも良い経験値かもしれないが。。ただその中でもこの映画は完全にたちの悪いボスキャラ。2度は戦いたくない・・・。”
さすがに2度目観る気にはなれません。。
しかし、ミュージカルをセルマの現実逃避の道具に使うとは盲点をついてきたなあというかんじ。
ミュージカル映画の持つ普遍性と常識を逆手にとってメスを入れ・・・こんなん出ましたぁ、、ってか。にしたってとんでもないもんが出てきちゃったなあ。
今までいわば歌って踊ってハッピーエンドというミュージカル映画の持つテーマに逃避してきた観客が逆に現実世界に逃げ帰らなければならないような掟破りのシロモノ。もうこれ以上落ちるところもないとこまで落ちるとはこのことよ。
そこに何か意味を見出すとするならば、アメリカ、そしてハリウッドが独自に生み出したミュージカルとミュージカル映画を、異国人のラース・フォン・トリアーがこれまたエキゾチック漂うビョークを据えて撮ったという点か。そう考えると、アメリカを舞台にしたのも頷ける。
よくアメリカ映画で描かれる日本ってどこかオカシかったり抜けてたりすることがあるけど、これもそうだったりして・・・。んなこたあないか。にしてもブレ幅が凄すぎるよな。
ま、後にも先にもオンリーワンには違いないということで★4つあげちゃうけど。。
------------------------
プロデューサーズ(2005年・アメリカ・134分)盛岡フォーラム
監督:スーザン・ストローマン
出演:ネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック、ユマ・サーマン、ウィル・フェレル
内容:1959年NY。かつてはブロードウェイで名声を極めたものの今やすっかり落ち目のプロデューサー・マックスと、ショウビズ界に憧れる異様に気弱な会計士レオ・ブルーム。彼らは大コケ確実のショウを作って、初日で打ち切って出資金を丸ごと持ち逃げするという計画を立て、史上最低のミュージカルを作るべく動き出すが・・・。メル・ブルックス監督による1968年のコメディを2001年にブロードウェイでミュージカル化し、トニー賞史上最多の12部門を獲得した舞台を、映画版として完全リメイク。
評価★★★/60点
“全編ハイテンションでつづく西川のりおのノリにやや疲れる。。お口直ししたい気分。。”
西川のりお&ルー大柴&竹中直人を2時間以上見つづけるのはツライものがあるのと同じようなかんじ(笑)。
3人揃ってツクツクボーシツクツクボーシ!ツッタカター、ラッタッター!ビックリ、クリクリ、クリックリー♪、、って疲れるわなぁ・・・。
ミュージカルシーンは硬軟織り交ぜられ、往年のミュージカルとユーモアたっぷりのキワモノミュージカルが手際よくまとめられていたので良かったのだけど、やはりブラック満載の笑いの部分でチョット・・・。
唯一、“ウーラ”・サーマンのゴージャスさと、ウィル・フェレルのヘンテコ訛り英語はツボにハマッた。
------------------------
エビータ
出演:マドンナ、アントニオ・バンデラス、ジョナサン・プライス、ジミー・ネイル
監督・脚本:アラン・パーカー
(1996年・アメリカ・135分)CS
内容:記録的なロングランを重ねた同名舞台の映画化作品で、アルゼンチンの歴史を変えた伝説の女性エヴァ・ペロンの生涯を描くミュージカル映画。
評価★★★/65点
たしか映画公開7年後にVideoで初めてこの映画を観たのだけど、しかしなぜかサントラだけは映画公開数ヵ月後にソッコーで買ってたんだよな。。
マドンナが“エビータ”というニューアルバムをリリースすると雑誌かなんかで見て、まさか映画のサントラとは露知らずに買っちゃったんだっけ。
買ってはじめて、えっ、これってエビータっていう映画なの?とビックリというか買って後悔というか。。
しかし、それから6,7年も経ちゃあイヤでも口ずさめるまで聴いちゃってるからね(笑)。
おかげで映画観ながら自分でリズム取りながら口ずさんじゃってたわな。次にかかる曲も分かっちゃうし。
映画を鑑賞するというよりマドンナのアルバム“エビータ”のプロモを見てたという感覚だった・・・。
だから内容は・・・ようするに・・・エヴァ・ペロンはすごかったってことでしょww??
------------------------
クリスマス・キャロル(1970年・イギリス・111分)NHK-BS
監督:ロナルド・ニーム
出演:アルバート・フィニー、アレック・ギネス、イーディス・エヴァンス、ケネス・モア
評価★★★☆/70点
内容:クリスマス・イブの晩、意地悪な老人スクルージのもとに、死んだ共同経営者マーレイの亡霊が現れる。その亡霊はスクルージに、過去、現在、未来の幽霊を紹介し、スクルージの行く末を見させるが・・・。チャールズ・ディケンズの同名小説のミュージカル映画化。
“自分の良心はこう叫んでいる。「素晴らしきかな、人生!」一方でダークサイドでは「地獄に落ちると分かりゃ誰だって改心するがな」と冷ややかな視線を浴びせている自分がいる・・・。”
しかし、それでいいのだ。人間ってそんなもんだろ。良い部分もあれば闇だって必ずある。
それが人間ってもんだ。
その意味で見ればこの映画はよく描けていると思う。
至極善人である男が主人公の「素晴らしき哉、人生!」よりもケチケチマンが主人公のこの映画の方が妙なリアルさがある。
良心のままに行動し続けることの難しさは誰だって実感がわくからだ。
でも、実は簡単なことなんだよね。要は実行に移せるかどうか。自分に正直になれるかどうか。
しがらみなんて吹き飛ばせ!せめてクリスマスくらいはみんな良いサンタクロースになろうや。
そう思わせてくれました。
« 夢のシネマパラダイス41番シアター:往年名作劇場12番館 | トップページ | レアル・マドリー狂想曲第77番:2011-12シーズン序盤戦 »
« 夢のシネマパラダイス41番シアター:往年名作劇場12番館 | トップページ | レアル・マドリー狂想曲第77番:2011-12シーズン序盤戦 »
コメント