夢のシネマパラダイス566番シアター:アバター
アバター
出演:サム・ワーシントン、ゾーイ・サルダナ、シガニー・ウィーバー、スティーヴン・ラング、ミシェル・ロドリゲス、ジョヴァンニ・リビシ
監督・脚本:ジェームズ・キャメロン
(2009年・アメリカ・162分)2010/02/14・盛岡フォーラム
内容:2154年。戦傷で下半身不随となった元海兵隊員ジェイクは、「アバター・プロジェクト」にスカウトされる。それは地球から5光年彼方の衛星パンドラで、莫大な利益をもたらす鉱物資源を採掘する事業で、先住民ナヴィと人間のDNAをかけ合わせた肉体“アバター”をつくり、星の有毒な大気の環境で活動するというものだった。アバターを介して身体の自由を取り戻したジェイクは、さっそくパンドラの森へと足を踏み入れていくが・・・。
評価★★★★★/90点
ジェームズ・キャメロン12年ぶりの新作に当初オイラの触手はほとんど動くことはなかった。
はたしてこの12年間、どれほどのビッグバジェット映画に煮え湯を飲まされてきたことか・・・。
リメイクと続編企画しかまかり通らない現在のハリウッドにおいて、この12年間、はたしてオリジナル脚本で2時間40分超の映画があっただろうか・・・。
2時間42分のSF超大作、、、、身構えないはずはなかろう。
しかも、そこに3Dという気がかりな要素が。。
以前「スパイ・キッズ3D」(2003)で目だけ疲れておちゃらけレベルのまがい物を見せられた経験があったので、しかも今回は2時間42分、、、身構えないはずはなかろう。。
しかし、、そこのアータ、いやそこで身構えてるオレ、今までジェームズ・キャメロンに裏切られたことがあっただろうか!?
いや、ないではないか!一度たりとて裏切られたことなどないではないかーっ
、、、が、あくまでも慎重なオイラは、先遣隊としてうちの両親を劇場に派遣して報告を待つことにした(笑)。
そして彼らの報告にオイラは驚愕することになる。
なんと山田洋次しか見ないあの堅物親父が、もう1回見てもいいとのたまっているではないか!しかもその内容を一言で表わすとするならば、ラピュタとナウシカを足して2で割ったようなかんじ、、、ってなんじゃそりゃっ!
その時にようやっとオイラはこの映画を見に行く決心をしたのだった。チャンチャン、、ってオイッ!
いや、まぁとにかくそんな経緯で見に行ったわけ。
そしたっけばもう、、、完敗ですわ。ジェームズ・キャメロンに完敗して乾杯!もうね、一言で言うならば、エライもん見ちゃったなと。
映画を見終わった後の疲労感といったらハンパなかったんだけど、それは夢を見ている途中で突然起こされたときの倦怠感に似ていて、時が経つにつれその夢の記憶の断片がフラッシュバックのようによみがえってきて、もう一度この夢を見たい、どうしてもこの夢を見たい、メガネの上にメガネをかけなければ見れない夢をもう一度見たい(笑)という欲求に駆られてしまうのですw。
サイレントからトーキーへ、モノクロからカラーへという革命を経てきた映画界にあって、今回の映画が2Dから3Dへという第3の革命のエポックメイキングになることは間違いなく、それを間近で目の当たりにすることができたオイラは、本当に地球に生まれてよかったーーって叫びたい気分ですわな。
たしかに親が指摘してた通り、ナウシカやラピュタ、はたまたもののけ姫を想起させることには違いなく、未来少年コナンに出てくるギガントに似た飛行戦艦が率いる艦隊にイクラン(青い翼竜)が一斉に襲いかかるシーンなんて、ナウシカで蟲の群れが装甲コルベットに襲いかかる場面そのものだし。
しかし、それらを二番煎じと揶揄する隙を与えないほど、完璧に構築されたパンドラのグレート・ネイチャーはまさに“ニュー・ワールド”と呼ぶにふさわしく、その圧倒的なビジョンの前では様々な既視感でそれを補うことが逆に快感となってしまうくらいだ。
人間を含めた全ての生態系が脳内神経の網の目のごとくつながっているアニミズム的世界観、髪の毛の先端から伸びる神経繊維で異生物とコミュニケートするシステム、DNAレベルで肉体を融合し神経レベルで意識をつなげる特殊生命体アバター、それらすべてのディテールが神秘と驚愕のイマジネーションにあふれており、しかもその世界観を視覚的に捉えたランドスケープやキャラクターデザインはまさに異次元レベルで見る者に迫ってくる。
さらに突き詰めていうならば、生命、精神、肉体、絆、様々なつながりが重層的に連なり多元的なネットワークを形成するこの映画において、メガネをかけてこの映画を見る行為自体がすでにそのつながりの中に内包されているわけで、その点でみてもこの映画はよく出来ているし稀有な作品だといえる。
また、シナリオはかなり古典的なノウハウに彩られており、それこそ「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990)そのものというかんじなのだけど、「タイタニック」(1997)で実証済みのように、古典と最新テクノロジーをまな板の上に乗せて料理することにかけては右に出る者がいない稀代の錬金術師キャメロンの手にかかればお手のもの。
様々なメタファー(例えば自国アメリカに対する批判、9.11テロを連想させる大樹の倒壊etc..)を織り込み、さらにこれまでに何度も語られてきたであろう既存の映画たちにまでつながりをもたせたその手腕は、古典のもつ限界性をいともたやすく凌駕してしまっている。
そして最新テクノロジーで忘れてはならない3D。
3Dというと前記の「スパイキッズ3D」や、ディズニーランドにあるような、アッと驚いたりのけ反ったりするようなサプライズ的な飛び出すものしか見たことがなかったので、まさかそれだけで2時間40分引っ張るわけじゃないよなとかなり不安だったのだけど、全くの杞憂でありますた。
だって、サプライズ的なもので1番驚いたのは映画上映前の予告編で、たしか「アリス・イン・ワンダーランド」の予告編だったと思うけど、槍が飛び出してきたときだったもんww。
それとは打って変わって、本編の3Dは、前に飛び出すのではなく後ろに引っ込む奥行きの深さに重点が置かれていて、そのレベルたるやフィクションをリアリティに昇華させるところにまで達している。
オープニングの船内シーンでつかみはOK!どころかこんな映像見たことないと思わせ、一気に映画の中に引きずり込んでしまうほどの吸引力を持っているのだ。
そして、なんといっても見せ方が上手いんだこの監督。キャメロンの辞書に“省略”という言葉はないのではないかと思うくらいきっちり見せきらないと気がすまない性質なのだろうけど、例えばこの映画の中で1番印象的なシーンに主人公ジェイクが初めてアバターとリンクした時に、興奮のあまり周りの制止をきかずに外に飛び出して走り抜けるシーンがある。
身長3メートルのナヴィと人間の身長差があらわになる恐怖と、下半身不随のジェイクが体の自由を得た歓喜がものの見事に表現されている。そして、土の感触を確かめるように大地をしっかりと踏みしめるデカイ足がアップで映し出され、至福の感動とともに、空からやって来た人間(スカイピープル)と大地に根を下ろして生きるナヴィとの対比をも暗示している。
“土に根を下ろし、風と共に生きよう、種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう”
ラピュタの名言が思い出されるなww。
これはホントにエライもんを見てしまったぞ。。
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