夢のシネマパラダイス459番シアター:手紙
手紙
出演:山田孝之、玉山鉄二、沢尻エリカ、吹石一恵、吹越満、風間杜夫、杉浦直樹
監督:生野慈朗
(2006年・日本・121分)DVD
評価★★★★/80点
内容:川崎のリサイクル工場で働く青年、直貴(山田孝之)。よく話しかけてくる食堂の配膳係・由美子(エリカ様)とも打ち解けることなく、人目を避けて生きる彼にはある秘密があった。兄の剛志(玉山鉄二)が弟の学費目当てに強盗殺人を犯してしまい、無期懲役で服役しているのだ。そのためお笑い芸人になる夢を捨てた直貴は、家と職を転々とし、恋人(吹石一恵)との結婚話も破談していた。そんな直貴のもとに剛志は毎月手紙を送っていたが・・・。
“120分間の深イイ話”
不意に襲ってくる涙というのは自分ではどうにも制御のきかないもので、とめどなく流れてくる涙にただただ身を任せることしかできない・・・。今回はまさにそんな映画体験を味わわせてくれた。
観ている間、これは泣かないだろうなとタカをくくっていたら、残り3分で全部持っていきやがった・・・。
こういう劇的な映画体験は、「マイ・フレンド・フォーエバー」(1995)以来かもしれない。あの時も、これは泣くような映画じゃないなと思って見てたら、エッ、そう来たかぁ~と不意打ちくらってドツボにハマって涙腺決壊だったからなぁ・・・。
それはさておき、弟の学費目当てに殺人を犯してしまった兄・剛志と、犯罪者の家族というレッテルと呪縛からどこまでも逃れられない弟・直貴の絶望と救いが描かれていく今回の映画。
演出はかなりステレオタイプの単調なリフレインの連続で、テレビドラマの総集編といったかんじのベタ演出なのだけど、その地味な積み重ねが残り3分で一気に結実しちまった・・・。
その中で、手紙というアイテムをダイアローグではなく、完全にモノローグとして捉えているのがこの映画のミソで、いわば自分を見つめ直す作業として手紙を書く行為というのが位置付けられている。
それは例えば被害者の遺族のところに何通も送られてくる剛志の手紙をみれば分かる通り、被害者遺族にとってはその手紙はダイアローグになりうるはずはないわけで、その中で被害者の息子(吹越満)がこの手紙は彼(剛志)にとっての般若心経と同じものだと言うのはかなり印象に残る言葉だ。
しかし、加害者と被害者というダイアローグにはなりえない隔絶された関係はまだしも、犯罪者の家族と社会との間でさえダイアローグになりえない厳しい現実があり、それが兄と弟の隔絶―ダイアローグの拒絶―へとつながっていく絶望的な様はなんとも重く暗く沈痛だ。
そして、手紙を書く行為が、自分自身の赦しのための行為として埋没していたと気付かされた兄・剛志の絶望が、刑務所に慰問にやって来た弟の漫才を借りた言葉により救われるラストは、祈りと赦しと理解の入り混じった単なる泣かせを超えた重みのあるシーンだった。
これには思わず号泣・・・。
まるでゲリラ豪雨に襲われたかのように涙腺決壊・・・。小田和正は余計だったけど、このラストには不意打ちをくらっちゃったわな。
そして、役者がまた泣かせるんだよねぇ。まるで昼ドラのようなステレオタイプの役割しか与えられていないベタな演出の中で、それを補ってあまりある奮闘を役者陣は見せてくれて、映画の中にグイグイ引っ張ってくれたと思う。
ラストの玉山鉄二には完全にやられちゃったけど、なんといってもピカ一は沢尻エリカ。
手紙を単なるモノローグには終わらせまいとする関西仕込みの勇気と、直貴を一途に支えていく健気な嫁さん姿をなんとも器用に演じて説得力をもたせていたと思う。
最恐のガン飛ばしシカト女エリカ様はあまり好きにはなれないけど、様々な役を演じ分けるカメレオン女優としての力量はさすがだなと思うわ。
とにかく、セカチュー以降、難病や純愛をパッケージにした見え見えの泣かせの大安売りが跋扈している日本映画にあって、それらとは一線を画する重みのある考えさせられる映画だったと思う。真摯な涙を流させていただきますた。。
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