夢のシネマパラダイス145番シアター:蟲師
監督・脚本:大友克洋
(2006年・日本・131分)2007/04/03・盛岡フォーラム
評価★★☆/50点
内容:100年前の日本。そこには動物でも植物でもない妖しき生き物“蟲”がいた。ときに蟲は人間に取り憑き不可解な自然現象を引き起こす。そして蟲の姿を見ることができる者は蟲師と呼ばれ、蟲に取り憑かれた人々を癒す能力を持っていた。そんな蟲師の一人であるギンコは、雪深い山の庄屋で4本の角が生えた少女と出会う・・・。
“オイラは貞子を見に来たんじゃないやい!”
ぬい(江角マキコ)の成れの果てが井戸から出てきた貞子そのものじゃないか。なんだあれは。。
原作マンガを読んだことない人がこれ見たら、ホラーマンガだと絶対に誤解しちゃうよ。最悪。そんなんじゃないのに。
映像化するにあたって視覚的にインパクトを出さないとダメだとかいう制約があったのか知らんが、そんなん蟲師には必要ないっちゅうの。ホントに原作読んだんだろうな大友は。。
しかも、ぬいとギンコの関係をストーリーの主眼に置くことからして解せないというか、ギンコが何者かってのははっきりいってどうでもいいことで(笑)、そこの描写はボカしちゃってもよかったと思うんだけど。
なんか全てに答えを出そうとして、かえってドツボにハマッてしまってわけが分かんなくなっちゃってるような・・・。あげくの果てに貞子だし。ガックリ。。
蟲師を一言で言い表すなら、日本昔ばなしにファンタジーをふりかけたような世界観の中で、人と蟲が織り成す悪役の出てこない悲劇と、あまりにもか細く消え入りそうな人と人とのつながり、人と自然とのつながりの再生を描いているといえると思うのだけど、そういう点では父と子、母と子、夫と妻といった家族の物語を軸にして描かないと良さが伝わりにくいと思うんだよね。
だからギンコはぶっちゃけ狂言回し的な立ち位置でいいんだよ。なのにそれを主軸にもってくるから中途半端な尻切れトンボになっちゃうんだ。
その点でこの映画は、ストーリーの構成にかなり難があると言わざるをえない。
映像面は蟲師の世界観を崩さないかなりの出来だっただけに、かっなり残念な映画になってしまったと思う。残念
ちなみにアニメ版の方は最っ高の出来です。
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