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2009年1月14日 (水)

夢のシネマパラダイス11番シアター:世界の黒澤シネマスタイルズvol.5

赤ひげ

Kurop23 出演:三船敏郎、加山雄三、山崎努、団令子、桑野みゆき、香川京子、内藤洋子

監督・脚本:黒澤明

(1965年・東宝・185分)NHK-BS

評価★★★★★/95点

内容:江戸の小石川療養所の医師、赤ひげの破天荒だが慈愛にあふれる生き様を、あるエリート青年医師の目を通して描くヒューマニズム巨編。「病気の原因は社会の貧困と無知によるもので、これには治療法がない」というのが口癖の赤ひげだが、それでも人の命を救うため黙々と働き続ける。その姿に、最初は彼に反発していた青年医師だが、次第にエリート意識を捨てて敬意を抱くようになる。黒澤絶頂期の大力作。

“映画の8割は人間の悲しみと不幸で溢れている。しかし、映画を観終わった後は自分の心の中が希望と嬉しさと幸せであふれ返っている。この映画を通して自分も赤ひげ先生に心を診断されたようだ。”

身体を診断するのと同時に心も診断してしまう赤ひげ。

しかし、忘れてはならないのは、例えばおとよにしても彼女の悲しみ、傷、不幸はいくら赤ひげの手にかかっても完全に消し去ることはできないということだ。

家族もなく、12歳で売春させられていたおとよの悲しみと傷は一生消えることはない。

同じことは毒を飲んで一家心中したがなんとか生き残った小ねずみにもいえる。

家族で親兄弟話し合って死ぬことに決めたというのはあまりにもむごく残酷だ。

これらがいわば赤ひげの言うところの貧困と無知に対する闘い、貧困と無知が起こらなければ病気など起こらないということにつながるのだが、一方ではおとよ自身、小ねずみ(長坊だっけか)自身自分の力で生きていかなければならない。多少癒えはしても消え去ることはない悲しみと傷を背負って生きていかなければならない。

その自分自身で生きる力を取り戻す手助けを赤ひげ、そして保本は施していくわけだ。

そしてそこで重要なのがいかに相手と心を通わせ合うかということになるわけだが、この映画では保本の変化と成長を通してその過程を描いていく。

この映画の白眉はまさにここにあると思う。

長崎に留学していたエリート新人である保本。彼は療養所に来るまでは最新の西洋医学書にのみ頼ろうとしていたわけだが、赤ひげやおとよと接していくうちにだんだん変化をみせ、しまいには口調まで赤ひげと同じになっていく。

そこまでに至る描写が実に素晴らしい。

特に印象的なのが、蒔絵師のジイさんの臨終シーンから目を背け、ただ醜悪なものとしてしか見られなかった保本が、病人の人生における内に秘めた悲しみや不幸を知った時、臨終シーンが赤ひげの言っていたとおり荘厳に見えてくるところだ。

それはなにも病人に対する保本の同情がそのように見させたのではないだろう。

その病人がとてつもなく大きな悲しみ、不幸を抱いていてもなお生きていく力を今までしっかり持っていたという真の強さを認識したときに荘厳に見えたのだと思う。

だからこそ病人の苦痛や死のすさまじさから目をそらしてはいけないのだと赤ひげは言うのだと思う。

これはなにか現代にも通じるものがあると思う。

おとよの世話疲れから、また赤ひげに言わせれば“世の中”を急激に見たための知恵熱でぶっ倒れた保本。

そう、現代の世の中もいつも人間の不幸で覆われているではないか。

そして人生は喜びよりも悩み、苦しみの方が圧倒的に多い。それでもしかししっかり地に足をつけて生きていかなければならない。

別々のシーンで赤ひげと保本は同じことを言う。「わしは実にイヤなやつだ。下劣な男だ。」「わたしは実にダメなやつなんです。わたしは下劣なやつです。」と。しかしそれを分かっているからこそ、それでも療養所で医者として生きていく赤ひげとその決心をする保本。

この映画は時代劇という枠をかる~く超越してしまっている。

考えてみればこの映画、刀が出てこない。チャンバラシーンもない。赤ひげは素手で闘う。療養所のオバさんたちは刀のかわりに大根1本で女郎の頭をぶっ叩く。

相手は死なない。

医者も看護師も人を殺すことなどできるはずがないのだ。

だから刀など必要なかった。必要なのは言葉であり、現実を直視する目であり、無知と闘う頭であり、強さと優しさを併せ持つ心である。ようするにいっぱしの人間なのだ。

そして彼らは命の尊さ、真の力強さを知っている。

今の医者はどうだか知らないけど・・・(笑)。

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Kurop27 出演:仲代達矢、植木等、隆大介、原田美枝子、ピーター、寺尾聰、根津甚八

監督・脚本:黒澤明

(1985年・日/仏・162分)NHK-BS

内容:シェイクスピアの「リア王」を下敷きに、3本の矢の逸話で知られる毛利元就の3人の息子の物語を組み合わせて描いた戦国絵巻。70歳になる一文字家の領主・秀虎は、ある日、3人の息子に家督を譲り、城を1つずつ与えて引退すると告げた。真っ直ぐな性格の三男・三郎は父の弱気を批判し、その場で秀虎に追放される。一方、長男・太郎の正室・楓の方は、親兄弟を秀虎に滅ぼされ、略奪された形で嫁になったことから、長男を軽んじた秀虎の態度に不満を覚えていた・・・。

評価★★★★/75点

体裁としては、「蜘蛛巣城」(1957)のカラー版というかんじで、原田美枝子が山田五十鈴、仲代達矢が三船敏郎、盲目の野村萬斎が怪かしの妖婆といったふうにリンクしている。

また、映画のつくりも「蜘蛛巣城」と同じく演劇・舞台を意識した様式美で彩られており、アカデミー賞を受賞したワダ・エミの黄・赤・青・白を人物に当てはめて使った装飾衣装から、どこまでも果てしないロングショットに至るまでかなり徹底していて、むしろ「蜘蛛巣城」よりも静と死に深くこだわった作品になっているように思う。

黒澤映画の醍醐味が動と生にあることは誰も異論はないだろうが、このいつの世も繰り返される人間の悪行、そして安らぎよりも悲しみと苦しみを奪い合う人の世への無常観漂うレクイエムを自覚した今回の作品は、まさに壮大な舞台劇を見ている錯覚に陥ってしまう。

しかし、この壮観さがハンパないんだわ(笑)。

向こうの山の尾根に敵軍がズラリと並んでいるシーンや、燃えさかる城から仲代達矢が出てくるシーンなど、80年代死に体にあった日本映画界にあって巨匠黒澤の底力を見せつけられたような、そんなスゲェ映画だった。

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(1990年・日/米・121分)NHK-BS

 監督・脚本:黒澤明

 出演:寺尾聰、倍賞美津子、原田美枝子、いかりや長介、マーティン・スコセッシ、笠智衆

 内容:夢をモチーフにした8話の短編から成るオムニバスドラマ。日照り雨の日に狐の嫁入りを見てしまった5歳の“私”が主人公の第1話「日照り雨」を皮切りに、次第に成長していく私が見た「桃畑」、「雪あらし」、「トンネル」、「鴉」、「赤富士」、「鬼哭」、「水車のある村」の計8話から成る夢を、様々なスタイルで描きながら、文明社会への批判と自然とのかかわりの重要さが語られる。

評価★★★/60点

黒澤明の頭の中はいったいどうなってるのかと覗いてみたら、テリー・ギリアムやティム・バートン、デヴィッド・リンチ、クローネンバーグなどの混沌とした世界とは似ても似つかない理路整然とした夢で、あれれ、、てかんじ。。

しかもオチもなんにもないんだもん。ただの説教臭いメッセージの羅列になっちゃっててイマイチ楽しめず。

まぁ、このとき御年80歳のお爺さんだったことを考えると、こういう作りになるのもしゃあないのかなぁ。

でも、手榴弾くくりつけた犬=“犬死に”の暗喩とか、どぎつい赤富士と放射能汚染、動き出すゴッホの絵など随所に印象的な造型の具現化が見られるのもたしかで、これはこれでお見事な映画なのかもしれない。

ただ、1スジ(シナリオ)2ヌキ(映像)3ドウサ(演技)を重視するオイラとしては、2ヌキだけの映画ってのはどうもイマイチ、、ねぇ、、複雑。。。

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まあだだよ(1993年・東宝・134分)NHK-BS

 監督・脚本:黒澤明

 出演:松村達雄、香川京子、井川比佐志、所ジョージ、油井昌由樹、寺尾聰

 内容:随筆家・内田百閒とその門下生たちとの心の触れ合いを様々なエピソードで綴った黒澤明の遺作。昭和18年の春、百閒先生は作家活動に専念するため旧制高校を去ることを教え子たちに告げた。生徒たちは「仰げば尊し」を歌って敬愛する先生を送る。しかし退職後も先生と門下生の交流は続いていくのだった。

評価★★☆/50点

“正直、、「もういいよ。」って早く言ってほしかった・・・(笑)。”

夏目漱石門下の随筆家・内田百閒とその門下生との交流を、人情味オンリーで描ききった作品で、所ジョージや、若かりし頃から黒澤映画に出続けている香川京子の好演などほほ笑ましく見ていられる映画ではある。

、、、のだが、逆にこれが黒澤映画だと思って見ると途端にツマラなくなってしまうわけで・・・。

往年のダイナミックさもなければ「夢」などの絵画的美しさも見受けられず、社会風刺もなければゲージツ的でもない、そういう損得勘定の一切皆無な映画の中で、善人100%の師弟関係とドンチャン騒ぎ、、、正直気持ち悪い、、もとい、こっ恥ずかしい。。

ツッコミ役のいない映画見るのがこれほどツライものだとは思わなかったわ・・・。

だからぁ、北海道から鹿児島まで各駅を暗誦してるオッサンに誰かツッコんでやれよ(笑)。気になってしかたなかった。

でも、先生だけは最後までちゃんと聞いてるんだよな。

優しい映画だ。しかも度を越した優しい映画だ・・・。ダウンタウンの松っちゃんが提供する優しさライセンスを無条件で差し上げたい気分です。

ようするに、、、映画としてイマイチ。。

でもでも、オイラにとっての映画のお師匠は黒澤先生にほかならず、これからも黒澤映画を見続けていこうと考えておるわけであります。黒澤映画ほど素晴らしい映画体験をすることはできないのだから。

オイラにとって黒澤明は「まあだだよ」なんだよね。

まだまだです。

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