夢のシネマパラダイス552番シアター:エミリー・ローズ
出演:ローラ・リニー、トム・ウィルキンソン、キャンベル・スコット、ジェニファー・カーペンター
監督:スコット・デリクソン
(2005年・アメリカ・120分)2006/03/26・仙台フォーラム
内容:19歳の女子大生エミリー・ローズが悪魔祓いによって死亡したとして、神父のムーアが過失致死罪で起訴された。エミリーは精神病で薬の服用をやめさせたことが原因だと主張する検察側に対し、敏腕女性弁護士のエリンは、ムーアの真摯な主張をもとに悪魔の存在を証明していく。はたしてエミリーの死は精神病による錯乱のせいなのか、それとも悪魔に取り憑かれたせいなのか・・・。1970年代に西ドイツで起こった事件をもとに描いたオカルト・ホラー。
評価★★★★/75点
この映画を観ていて、1999年に千葉県で起きたミイラ遺体事件をふと思い出してしまった。
この事件は、千葉県成田市のホテルで男性のミイラ化した遺体が発見された事件で、遺体のそばにはこの男性の妻子が普通に付き添っていたという、なんとも不可思議な事件だった。
が、実はこの男性、インドのサイババの生まれ変わりだとほざく元税理士が主宰する宗教団体「ライフスペース」に家族ともども参加していたのだ。
そしてこの男性が脳内出血で入院していたところを「ライフスペース」のメンバーや男性の家族が病院から連れ出し、成田市内のホテルで宗教的療法を行っていたが、後日死亡、、、したのだが、その後4ヶ月間遺体は放置され、ミイラ化していった。いや、彼らに言わせれば、まだ治療中だが順調に回復しており生きている、と信じ込んでいた・・・。
この事件で、「ライフスペース」主宰者や男性の妻子など計10人が逮捕。検察は現代医療を打ち切れば男性が死亡することは分かりきっていたはずで、容疑者らが重病人である男性に必要な保護をせずに死なせた疑いがあるとして殺人罪で起訴した。
2001年には男性の長男などに執行猶予つきの有罪が言い渡された。
翌年には、主宰者に懲役15年の実刑判決が下されたが、控訴し、結局2005年に最高裁は懲役7年に減刑して刑を確定させた。
なぜ減刑になったのかについて最高裁は、男性を病院から連れ出した時点での殺意は無かったとし、これは不作為による殺人であり悪質性は低いとした。
これが大まかな事件の経過だ。
ここで問題になるのは、男性の家族はあくまで治療と完全に信じ込んで、宗教的療法を受けさせるために病院から連れ出していることで、それで死亡したことではたして刑事責任が問えるのかということなのだが、検察は死亡が十分予見できるにもかかわらず病院から連れ出したのは社会通念上犯罪に当たるとしている。
世間一般から見ればこれは明らかにカルト教団によるマインドコントロールそのものとしか言いようがないと思うのだが、過去にはオウム事件という戦慄も記憶に新しいわけだし。。
さて、前置きが長々となってしまったが、どうもこの映画で描かれたエミリー・ローズの悪魔憑き事件と「ライフスペース」事件が似通っている気がして、例えばエミリー・ローズ事件が日本で起こっていたらどうなっていただろうかとか、これって邦画で描けるのか!?なんて考えちゃったけど。
まぁせいぜい横溝正史の金田一耕助シリーズのおどろおどろしい事件にはなり得るかもしれないけど、医学的治療を断って宗教的治療を行うなんて良心的な宗教団体のすることじゃないし、どう見たってカルト教団のアブナイ活動やん。
ところがこれが西欧社会の根底を支えるキリスト教、そして各地域のコミュニティに必ず1つはあり社会に根を張っている教会が関係してくるとなると話は違ってくる、、、らしい(笑)。。
そこらへんのところはよく分からないけど、でもキリスト教を信じ込んで戦争おっ始めるどこぞやの超大国もあるくらいだからなぁ、、、そっちの方がよっぽど恐ろしいと思うが。。
それはともかく、悪魔に取り憑かれた(!?)少女と、彼女に悪魔祓いを施す神父という構図は、リンダ・ブレアが首を1回転させる「エクソシスト」(1973)とほぼ同じなのだが、今回はそこから一歩進んで過失致死罪で神父が裁判にかけられてしまうという、ホラーが法廷劇に憑依され完全に乗り移られてしまうという前代未聞の作品に仕上がっている。
悪魔憑き、悪魔祓いというカルトホラー的で非論理かつ非現実的な説明のつかない現象と、説明のつくリアルな論理的事実の積み重ねで法の名の下に真相を明らかにしていく法廷とをクソ真面目に結びつけてしまおうということ自体、すでに非現実かつ非常識の世界だ。しかし、一歩間違うとエセ・まがい物・作り物・ヤラセ映画のそしりを免れない中で、非論理と論理のバランスを信仰的アプローチと科学的アプローチという形で絶妙よくブレンドさせた力はホンモノで、結果的にはまっとうな法廷劇としてまとめられている。
ある意味まがい物しか期待していなかったオイラにとっては正直驚く出来栄えだった。
なにより、ジェニファー・カーペンターのリンダ・ブレアを超えた!?悲愴感漂う迫真の演技に、一気に映画の中に引きずり込まれてしまったかんじで、特にあの泣き叫び方は尋常じゃなかった(笑)。「スクリーム」「ラストサマー」のようなアイドル絶叫系とは一線を画してたわな。
考古学やってるオイラとしては、神も悪魔も人間が作り出すものだと思っていて、まぁ実在するかどうかははっきりいって興味がないというか、実在うんぬんよりも信仰や宗教がその人間の行動にどういう影響を与えたり、どのような行動をするに至ったのかという歴史学の方に興味があるかな。
でもそれはあくまでオイラにとっての思考であり、真実であって、神や悪魔が実在すると信じている多くの人々にとってはそれが彼らにとっての真実なんだろうと思う。ましてやそれを科学で証明できるかどうかなんて意味のないバカバカしいことだと思う。信仰は科学が干渉できない領域だと思うし。
だから例えば平安時代なんかは怨霊とかタタリってそこら辺にざらに存在していたと思うのね。なぜなら当時の人々は貴族から農民にいたるまでその存在を100%信じていたのだから。これを例えば現代科学で実在するかどうか調べるなんてはっきりいって全く意味がないわけで、人々が“いる”と信じればそれは“いる”んだわさ。その中で当時の社会や政治は動いていたといっても過言ではないし。
それは科学の発達した現代も同じであって、逆に“いない”と信じていたらそれは“いない”ってだけのこと。そんなもんじゃない(笑)?
だから、信仰や信心それ自体を公の場で白か黒かと裁くというのはあってはならないというか、そもそものところで成り立たないと思うのだけど、信仰により引き起こされた行動、またその行動によりもたらされた結果が現代法治国家の中で裁かれるというのは当然有りなのは言うまでもない。
結局、この映画の中で神父を弁護する女弁護士エリンは、神父とエミリー・ローズの信心の結びつきの強さを立証することで無罪を主張するわけだけど、これは明らかに人々が裁けない、裁きが成り立たない領域に逃げ込んでおり、正直論理が破綻しているのは否めない。
陪審員の下した有罪という判決は至極まっとうなものだろう。というか有罪以外考えられない。
でも、そういう映画として最初から無理がある成り立たない論法をそれらしく見せているのがこの映画の強みなんだよね。
全部が全部true storyとは到底思えないけど、なんか科学と信仰のあり方だとかそういう難しいところまで考えさせられちゃったこのエセ映画、、、いやいやもとい、このまっとうな映画はやっぱり凄い、、かも!?
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(おまけ)
フューリー(1978年・アメリカ・119分)NHK-BS
監督:ブライアン・デ・パルマ
出演:カーク・ダグラス、アンドリュー・スティーブンス、エイミー・アーヴィング
内容:元諜報員ピーターの息子で超能力者のロビンが誘拐された。その仕掛人はピーターのかつての同僚のチルドレスで、スパイ組織の絡んだ事件であるらしいことが分かる。一方、シカゴのハイスクールに通う少女ギリアンの身辺にテレキネシス現象が現れ、彼女が超能力を持っていることが明らかになる。一見、無関係なこの2つの事件が、やがて一本の糸で結ばれていく・・・。
評価★★★/65点
“最凶スローモーション”
なんとも後味の悪い映画だったけど、息子が連れ去られてしまったサスペンスと、超能力女子高生の血のりオカルトショーという、まるでなんの脈絡もない2本分の映画をツギハギしただけのような締まりの悪さの中で、しかしまだ洗練されていない初期デパルマ節が炸裂しまくっていて、引きずり込まれるように見入ってしまった。
ただ、締まりの悪さはどうしても気になるところで、例えば息子ロビンを誘拐した政府の研究機関の目的が何だったのかが全く描かれず、その中でロビンが庭で棒高跳びしてるところをただ映されても、なんやねんこれは、、という。。
しかし、兎にも角にもラストは最凶だね(笑)。。
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