夢のシネマパラダイス534番シアター:クラッシュ
出演:サンドラ・ブロック、ドン・チードル、マット・ディロン、ブレンダン・フレイザー、テレンス・ハワード、サンディ・ニュートン、ライアン・フィリップ、マイケル・ペーニャ
監督:ポール・ハギス
(2004年・アメリカ・112分)2006/02/14・盛岡フォーラム
評価★★★★☆/85点
内容:クリスマスを控えたロサンゼルス。黒人刑事グラハム(ドン・チードル)とその同僚でヒスパニック系の恋人リア(ジェニファー・エスポジート)。9.11テロの影響で不当な差別に憤慨し、銃で自衛するペルシャ人の雑貨店経営者ファハド(ショーン・トーブ)。白人に敵意を抱くチンピラ黒人強盗2人組に車を奪われる地方検事リック(B・フレイザー)とその妻ジーン(サンドラ・ブロック)。ヒスパニック系のため客に信用されないながらも、家族のために仕事をこなす錠前屋ダニエル(マイケル・ペーニャ)。差別主義者の白人警官ライアン(マット・ディロン)と同僚のハンセン(ライアン・フィリップ)に不快な取調べを受ける裕福な黒人夫婦キャメロン(テレンス・ハワード)とその妻クリスティン(サンディ・ニュートン)。。。ハイウェイで起きた1件の衝突事故から始まる、人種も階層も立場も違う人々が交錯していく群像劇。アカデミー賞作品・脚本・編集賞を受賞。
“痛いほどヒリヒリする内容とは裏腹に、この映画を観終わった第一印象は、美しい映画だったなぁというものだった。その美しさとは、純粋に人が人らしく生きていくための魂の灯火だったのかもしれない。”
雑貨店を営むファハドのお店が何者かに荒らされたときに娘のドリが、「私たちはペルシャ人なのに、、アラブ人と誤解されてるわ。」と言うが、この言葉を聞いたとき、この映画を観ていたオイラは少し混乱した。
ペルシャ人とアラブ人の違いって、、、何?同じちゃうの?と・・・。
後日2回目観たときに、ガンショップでイラク人と間違われて言い合いになりブチ切れるファハドを見てようやく、ああそっかイラン人だったんだと理解できたのだが、そこでようやくペルシャ人とアラブ人は別民族なんだと分かり、そして後で調べてみたら、イラクはアラブ人国家でイランはペルシャ人国家なのだということが分かり・・・。
こんな浅はかな知識しか持っていないオイラは、心のどこかで彼らを一緒くたにイスラム教徒というくくりで捉え→イスラム原理主義→非合理かつ狂信的なテロリストという流れとくくりで、非歴史的で皮相な中東イメージを思わず連想してしまっていた。
いや、過去形などではなく、少なからず現在進行形の今でもそういうイメージをしてしまっている・・・。
同様に、黒人と話すらしたことさえないオイラは、黒人の男は怖いというイメージを持ってしまっている。例えばオイラが住む街の大通りにヒップホップ系ファッションのセレクトショップがあるのだが、ズンチャカズンチャカリズム音を刻ませているその店の前にはいつもデカイ黒人がズンと立っていて、オイラは目合わせたらヤベェと思いながらそこを通り過ぎてしまう。店の中になんて入れるわけがない。。
ましてや本場アメリカのロスで、しかもタトゥーをバンバン彫っていようものなら、たぶん逃げ出したくなるだろう。
でも、セレクトショップの店員であるあの黒人といざ話してみたら流暢な関西弁なんかが飛び出してくる可能性だってなくはないのだ(笑)。
そんなオイラはおそらく人種のるつぼ渦巻くアメリカに行けばまず間違いなく無知な人間であることを思い知らされる典型的なタイプなのだと思う。日本にいるから普段は感じないだけで。。
そう、無知と無理解ほど恐ろしいものはない。人種差別などのあらゆる差別の根源はこの無知なのだと思う。
そして、無知の中で、一方的なイメージと先入観だけが地平の彼方へと突き進んでいく。しかも往々にして無知から生み出されるイメージには負の要素がつきまとう。そしてそれが非歴史的で薄っぺらな世界観をまとった負のイメージへと増幅、ちょっとした負の要素が加わるだけで一気にこの負のイメージは拡散していき、簡単には手の施しようがなくなってしまう。
負のイメージから不寛容と憎しみの連鎖は生まれるが、寛容と許しの連鎖は生まれようがない。
その場合、人は、無知と見かけだけの判断から一方的に生み出された負のイメージを纏った得体の知れない存在・対象に対して上から見下ろして罵倒するか、あるいは心に(時には自らの手に)武器や防具を身につけて闘う。同じ地平に立ったところから言葉を放つことができない。
そして、差別と衝突は生まれる・・・。
さきほど日本にいるからあまりそういうことを感じないと言ったけど、実は日本にだって同じ人種でありながらそういう差別はあった。
いわゆる被差別部落に代表されるケガレ思想というものだが、結局あれだって牛馬の解体処理を行ったり、罪人などの死体処理をしたりといった、いわゆる死穢に触れることが多い(エタ=穢多)=汚い仕事という日本人特有のケガレ意識という観念・イメージから生まれたものだ。
もちろん統治上、政策上の産物ともいえるかもしれないが、根底にあるのはやはり無知から一方的に生み出された負のイメージなんだと思う。
さて、肝心の映画についてだけど、今回の作品「クラッシュ」は、とにかく真っ直ぐな目線でヒスパニック系、アフリカ系、アジア系、黒人、白人、中国人、ペルシャ人、タイ人など様々な人種が入り混じる現実を見据えるところからスタートしているように思える。
この映画に出てくる登場人物はほとんどみんな非歴史的で薄っぺらな世界観という負のイメージを抱え込み、心に重たい鎧を付けしっかりと鍵をかけている。
しかも彼らは必ずしも無知だけから負のイメージを抱いているのではないところが、アメリカ社会における人種差別の根深さを物語っているように思う。
社会的環境、歴史、自らの経験・・・。
例えば、白人警官で生っ粋の人種差別主義者であるライアン巡査は、しかし、過去に彼の父親が黒人を雇って会社を経営していたにもかかわらず、政府のマイノリティ優遇政策により会社が倒産してしまい、その父親は病気になってしまう。そのことに対する怨念が黒人差別を一気に助長させたことは想像にかたくない。
また、差別される側にとっても、9.11同時多発テロ以降、容姿が似ていたり見分けがつかないけどアラブ人っぽいというだけで白い目で見られ差別されてしまうペルシャ人のファハドのような移民たちは、いわばことあるごとに自分のルーツ、アイデンティティといったものを不当に傷つけられているわけで、憎しみを抱かないようにと説得することの方が難しいだろう。
はては、アメリカ建国以来差別されつづけてきた黒人の憎悪は、時に暴力と犯罪へと走らせる。そしてその憎悪にさらされた白人は、黒人の凶悪犯罪率は白人のそれより何倍も高いということでさらなる一方的な偏見のイメージをふくらませる。
まさに負の連鎖が連綿として繰り返されていく。
この映画はその残酷な現実を決して情緒的にならずに、まっすぐな目線で見据え、そこにある本質を照らし出していく。
しかも人種差別を嫌悪していた若手刑事トミーが誤解から黒人青年を撃ち殺してしまうという、どこまでも残酷な一面をもさらけ出していく。
それどころではない。有色人種同士のいがみ合いや、人種差別とは関係のない同じ家族までもが分かり合えないという悲しみまでをも射抜き通す、、、母、兄、弟はついに最後まで交わることはなかった。。
それなのに、映画としての結論もこの映画なりの正論をもこの作品は提供してくれない。ただそこにある本質と真実を淡々と見据えるだけなのだ。
その中で、映画的な美しさとささやかな奇蹟と小さな偶然と少しの理解を散りばめることによって、残酷で悲しい決して美しいとはいえないこの世の中を、人が人らしく生きていくための希望の力と灯火を照らし出してくれたのがせめてもの救いか。
ロスに降る儚い雪のようにすぐに消えてなくなってしまうかもしれないその灯火は、しかしネオンと街の灯が点滅しつづける美しい星空のようなロスの街のように、くすぶることなく今もどこかしこで光り輝いているのかもしれない。
美しい映画だったなぁという、この映画を観終わった自分の第一印象は間違っているのかもしれない。
しかし確実に自分の心にも希望の灯火はともったのだ。
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