夢のシネマパラダイス471番シアター:珈琲時光
監督・脚本:ホウ・シャオシェン
(2003年・松竹・108分)2004/11/22・仙台フォーラム
評価★★★☆/70点
内容:2003年、東京。取材先の台湾から帰国してきたフリーライターの陽子は、その足で神保町の古書店の2代目主人・肇とその親友の誠治のもとを訪れる。彼らはしばしば喫茶店で珈琲を飲みながら穏やかな時間を共有する仲だった。やがて、お盆で高崎の実家に帰省した陽子は、両親に自分が妊娠していることとシングルマザーになるつもりであることを告げるのだった・・・。小津安二郎の生誕100周年を記念して、小津を敬愛してやまないホウ・シャオシェンがオマージュを捧げて作った作品。
“美味しいとは言えないが不思議な味がする、とは言える。そして何かひとつ隠し味が足りない、とも言える。要するに非常に惜しいのです。。”
「ロスト・イン・トランスレーション」がいわゆる“外人”から見た異文化トーキョーを切り取った(いや、それしか切り取ることができなかった)のに対し、こちらは小津安二郎へのオマージュと銘打っている名に恥じず、微かなノスタルジックの匂い漂う東京の横顔を切り取ってくれた。
「機動警察パトレイバー劇場版」での衝撃的ともいえる昔ながらの下町描写、その喪失していく東京の痛みをえぐり出した押井守も凄いが、本作のホウ・シャオシェンも十分印象的だ。ここしかないというポイントと角度で東京の風景を切り取ってくれた。
しかもこの映画、匂い袋をどこかしこに忍ばせているのか、時おり台湾かと錯覚してしまうほどの強烈な香りを高ぶらせてくる。ここは台湾なのか、それとも平成の現在に残っている昭和の東京なのか。。
そして、そのことと関連して特筆すべきがなんといっても一青窈である。
小林稔侍のエセ笠智衆には思わず失笑してしまったが、小津安二郎へのオマージュという点において最も逸脱していると思われる一青窈というキャスティングが最も効力を発揮するとは・・。
おそらくこの映画でしか存立しえない独特な存在感ではあるのだけども、それにしたって彼女の存在感は凄かった。
台湾映画「藍色夏恋」の17歳の女のコ、グイ・ルンメイを成長させたようなかんじといえばいいだろうか。一青窈自身の出自にもよるのかもしれないが、ホウ・シャオシェンの描きたい世界観と見事にマッチングしてしまった。
「もののけ姫」に出てくるシシ神、このシシ神が歩いた跡には草木がさらさらと成長してはすぐに枯れていくのだが、本作においては一青窈の歩いた跡に時代と国境を越えた小津の情念、その不思議な世界がやわらかく芽吹きをあげる。
撮影手法もだいぶ小津とホウ・シャオシェンでは違いが見られる中で、彼女の果たした役割は思った以上に大きい。
しかし、だ。
その芽吹きは一向に成長しない。枯れはしないが、か弱くどこか表面的なのだ。
しかもホウ・シャオシェンはそれを高々しく育てようとはしない。ただ見つめるだけなのだ。
それがある面では個人的評価を下げた理由でもあるのだが。。
例えば、小津映画で描かれる東京というと、昭和の風景というのは当然のこととして、その作品で描かれる家族の悲喜劇、悲哀やわびしさや孤独といったものの心象風景として東京の風景が描き出されていて、静かな表情の中にも必ずそこに意味があった。
それに比べると、本作はやや表面的で柔な描写に終始しているとも感じてしまう。しかも物語がそれ以上に表面的で柔なため、相対的にみてもまるで一青窈のPVでも見てるようなそんな気分にもなってしまいかねない。
ホウ・シャオシェンの見つめる目はあまりにも優しすぎる。まぁそれはそれでいいのかもしれないが、小津映画の中で時おり垣間見せる残酷で鋭利な視線をこの映画でも見せてもらいたかったといったら酷だろうか。
いや、だからこそ小林稔侍のエセ笠智衆には嫌悪感を覚えてしまうのだ。あまりにも表面的すぎて。無口なのは浅野忠信扮する古書店の主人だけで十分。
「東京暮色」の妊娠した娘・有馬稲子がラストで事故死してしまうといった衝撃をこの映画に求めるものではないが、なにかもっと心を揺動させるような情感の高まりがほしかった。
惜しい作品ともいえるし、なにか実に不思議な作品にめぐり合ってしまった、、そんな気もする映画体験だった。
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