夢のシネマパラダイス414番シアター:妻夫木×安藤突っ走る!
69 sixty nine
出演:妻夫木聡、安藤政信、金井勇太、太田莉菜、柴田恭兵、井川遥
監督:李相日
脚本:クドカン
(2004年・東映・113分)DVD
評価★★★/65点
内容:1969年、長崎県佐世保の高校に通う高3のケンは仲間のアダマらと、学校の屋上で映画や芝居やロックを融合したフェスティバルを開催することを思いつく。彼は、上映するための映画に高校一の美女であるレディ・ジェーンをヒロインに抜擢し、彼女と急接近を図ろうという下心を抱いていた。さっそくカメラの調達のために全共闘のアジトに出向くケンだったが、なぜかひょんな成り行きで「よっしゃ!バリ封すっぞ!」と学校の屋上をバリケード封鎖するハメになり、マスコミや警察を巻き込んだ大騒動へと発展してしまう・・・。村上龍の自伝的小説を宮藤官九郎がバカバカしくもパワフルに描き出したハートフルコメディ。
“クドカンクドイ”
映画としてどこに向かおうとしているのか、何を目指して突っ走ろうとしているのかがイマイチよくつかめなかった。
だからこの映画で象徴的なシーンであるケンとアダマの全力疾走もイマイチ乗れなかった、というか意味を見出せなかったというのが正直なところ。
その原因としては、1969年という時代の空気があまり伝わってこなかったことがやはり大きい。
木更津キャッツアイと同じ空気を感じてしまったのははっきりいってイタイよ。
クドカンのクドさがこの映画では裏目に出てしまった気がしてならないな。観終わって残ったものが、オー・チンチンと校長室での惨劇というのはいかがなもんだろ・・・。
ラストのウソかホントかは分からないケンの後日談で、アダマが学生運動に直に没頭していったとあるけども、学生運動に身を焦がすアダマのような大学生を主人公としていれば、時代の空気はもっと簡単に伝わっていたんだろうけど。
しかし、忘れてはならないのは、この映画は高校生のお話なのだ。男にとって高2の夏が勝負だぜ!とほざいているような。
世間、社会と自分との間にある微妙だけど確実にある距離感。
自分の街から米軍がベトナムへ戦争しに飛び立っていくという現実もケンにとってはレディ・ジェーンの気を引くための道具にしかすぎない。レディ・ジェーンにそのことの本音を聞かれても「嫌でも見えちゃうからちょっとは考える」くらいの問題にすぎないのだ。
学生運動の闘士になっているであろう数年後のアダマとは相当な距離感があるはずだろう。
その点でいえば、フツーにお気楽に楽しめる作品であることは疑う余地がないのだけど、何かが物足りないのも確かなのだった。
ついでに、飯食いながら観るのは絶対にやめた方がいいということも確かなのだった・・・。
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サトラレ
出演:安藤政信、鈴木京香、内山理名、松重豊、小野武彦、寺尾聰、八千草薫
監督:本広克行
(2000年・東宝・129分)2001/03/27・ニュー東宝シネマ
評価★★★/65点
内容:サトラレ-それは思ったことを口に出さなくても周囲に悟られてしまうという1千万人に1人の確率で存在する人々のことで、彼らは例外なくIQ180以上の天才である。そこで政府は彼らの能力を社会に活かすために彼らがサトラレを自覚することのないよう徹底的に保護していた。なぜなら、彼らが自覚してしまうと精神的に耐えられなくなり、自殺を考える可能性があるからだ。そんな中、症例7号である新米外科医の里見健一のところに、自衛隊医官で精神科医の小松が派遣されることになる・・・。
“勝手な想像だけど、本広克行という人、相当にイイ人なんじゃなかろうか・・・。”
まさか出演者をはじめとするスタッフにお茶配りとかしてないだろうな(笑)。
でもこの映画観るとそんな気にもさせられるよ。
まず、結論から言うと、この映画はまぁいい映画なんだけど、大事なところがはぐらかされてて、自分の波長と終始微妙にズレたまま終わってしまったかんじ。ちょっとストレス溜まっちゃったな。
ちょっとねぇ、、、サトラレであるということに関係なく実はこの映画、里見を描いているようにみせかけといて全然描けてないんだよね。
というのも、とにかく脇に至るまで徹底して気配りしないとダメなんだねこの監督。
それは決して悪いことじゃないんだけど、時々クドく見えることもあるわけで。
例えば、里見のバアちゃんの手術中から手術後にかけての周りの人たちの祈るような表情をこまめに挿入するというのは演出的にはちょっと引いてしまった。はっきりいってクドい。病院の待合室から受付からナース室からSPからオペ室の繰り返し。しかも3,4週よ。。普通はオペ室以外はバッサリだろ。
ここのシーンはバアちゃんに語りかける里見1本に絞って迫っていってほしかった。後のシーンでさりげなく周りの反応を描けばいいわけだし。
ところがそうはならないのがこの映画であり、本広克行という監督のさがなのではなかろうか。
それはつまり、人間は元来みんな良(善)い人なのだという、この監督の信条みたいなものの表れなのだと思う。
銃を使わないというコンセプトのもとから生まれた踊る大捜査線をはじめとする他の作品を観ても感じるのだけど、この映画におけるサトラレのことを思って周りの人たちが全員聞こえない“ふり”をするという行為は、この監督のモットーが行き着く究極のところなのではなかろうか、と思ったわけで。
要はこの映画を観たかぎり、この映画が描いて見せたいのは里見その人ではなく、彼の周りの人々の人の良さの方なのではなかろうかと、そう錯覚してしまうくらい、この監督のさじ加減はかなりズレている。
それが観る方としては違和感となってずっと消えることがなかったんだよな。特に祭りのシーンなんかは残酷にしか見えなくてストレス溜まる一方。
どうみたってこの映画の中で試されているのは里見ではなく、鈴木京香をはじめとする周りの人々になっちゃってるもん。んでみんな八千草薫を目指せ!と(笑)。
こうなると里見は周囲を引き立てる単なる道具立てにしかならなくなってしまうわけで。はっきりいってサトラレである必要というか、意味がないんだよね。
それを証明するかのように、サトラレの本質・・・ドス黒いメデューサ・・・の奥底に潜む圧倒的な孤独を無人島で暮らすサトラレ1号に全部なすり付けてそれでこの問題はお開きということで、、、、となっちゃってるからねぇ。
あとは人口3万人全員八千草薫化計画のプロパガンダになっちゃって・・・。
それでいてラストの方の小松(鈴木京香)のモノローグで、「メデューサの話にはつづきがあって、討ち取られたメデューサの血から天馬ペガサスが生まれたの」とぬかす始末。
メデューサの血を描くことをしない映画が堂々とこういう文言をつけちゃうというのは本末転倒だろう。
この監督にとって、天馬ペガサスとは里見でもなければサトラレ第1号でもない。
八千草薫だぁっ!!ってことなのか、、、ラストを見たかぎり。
ま、純粋な良い人なんでしょうこの監督さん。ただ、純粋も度が過ぎると時々押し付けがましいだけにしか映らない時があるのでご注意を。
あと、ついでに。この映画から聞こえてきた「鈴木京香!」「あなたで遊びたい!」「制服」「着せ替え」「京香さん!」「撮る!水着ぃぃ」、、、、本広さん、確かにあなたの声でしたよ。。。
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