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2007年9月 2日 (日)

夢のシネマパラダイス317番シアター:風の谷のナウシカ

Drwhhymo 声の出演:島本須美、永井一郎、辻村真人、八奈見乗児、納谷悟朗、松田洋治

監督・原作・脚本:宮崎駿

(1984年・東映・116分)

評価★★★★/83点

内容:産業文明が崩壊して約1000年後、地表には有毒菌類がはびこり巨大な蟲たちが棲息する“腐海”が刻々と広がっていた。ある日、小国である風の谷に、世界征服を企むトルメキア軍が到来し、巨大生物兵器・巨神兵を発掘して生育する。これに対し敵国ペジテは、王蟲の群れを暴走させて風の谷もろともトルメキア陣営壊滅をもくろむ。風の谷の族長ジルを亡くした娘ナウシカは、風の谷の人々を守るために王蟲の暴走を止めようとする・・・。

“宮崎駿のあまりにも壮大な棄て戦。”

少なくともこの映画を見たことだけで宮崎駿を分かったような気になるのはいささか本末転倒だし、おそらく宮崎駿自身も本意ではないだろうと思う。

そう言い切れるほどこの映画はあまりにも上っ面であり、あまりにも未熟だ。

しかしながら一方で、この映画はあまりにも壮大であるとともに、そこに孕むテーマはあまりにも深遠だ。

そこいらの映画など足下にも及ばない。

それゆえ★4っつとしたが、以下はこの作品に対する批判に徹することにする。

ではなぜこの映画はあまりにも上っ面であまりにも未熟であるといえるのか。

個人的な感覚かもしれないということを断っておくが、映画ナウシカを劇場で初めて観た小学1年の時から約20年後の今日に至るまで、この映画に対する感覚、感想が、「なんか凄っげぇ感動した」という毎度同じ一言で片付けられてしまうという、何ら自分の中でこの映画が深化していかないという(あくまで個人的な)問題があった。

作品のテーマ、世界観が深く大きいがゆえになおさらこれは問題である。

しかし、その感覚は映画を観る自分に問題があるというよりは、むしろ映画の方にこそ問題があるのではないか、という考えに今では至っている。

その最も大きい理由は、映画「風の谷のナウシカ」の原作である宮崎駿自身の手による作品、マンガ版「風の谷のナウシカ」の存在である。

映画ナウシカと原作ナウシカは、ストーリーも設定も異なっていることは周知の事実だが、ストーリーも設定も変えなければ約2時間という映画に収めることができなかったというのが実際のところだろう。

なにせ映画公開は1984年、一方原作は全7巻で1982年から1994年まで連載(中断が何回かあった)。

なんと完結まで12,3年かかっているのだ・・・。

巻数でいえば原作の2巻くらいまでを映画が描いているといったかんじだ。

しかし連載途中でアニメ映画化するという例は数多くあるが、ナウシカという作品は少年ジャンプや少年サンデーを映画化するのとはわけが違うのは自明の理だろう。

なぜならテーマや世界観はもちろんとして1番の問題は、人間宮崎駿自身にあるからだ。

ナウシカのテーマ(ひと括りにできるものではないほど複雑多岐に渡るが、最も主要かつ端的な)である人間と自然との関わりについて考え答えを出していくにあたって、宮崎駿自身がぶち当たっていくあまりにも大きすぎる壁。

それは彼の思想的な考えや世界観・理念といったものと、人間の歴史がもっている業、そして人間の文明が生み出してきた様々な力との間における葛藤と行き詰まりに他ならない。しかもそれはどうあっても避けられるものではない。

そして付け加えておくならば、その葛藤と行き詰まりはそっくりそのまま観る側の我々自身にも迫ってくるものなのだ。

一体全体答えは出せるのか、解決できるのか。

はたしてその過程で立ちはだかる葛藤と行き詰まりの行き着く先には、未完という絶望的観測が待ち受けている。

だがしかし、その葛藤と行き詰まりの中での絶望的ともいえる宮崎駿の原作における闘いには凄まじいものがあった。

これは原作マンガを読めば分かるだろうが、本当に凄まじい。

特に終盤からラストに至る6,7巻は筆舌に尽くしがたい。ほとんど絶句状態といってもよかった。それくらいスゴイ。

まさに“絶望”、いや“希望”に満ちた“絶望”へとたどり着いたとでもいおうか。

そして原作におけるそんな凄まじい闘いを見せつけられるにつけ、映画の強引さと安易さ、稚拙さが逆に際立って見えてしまうのだ。

映画化に際しての弊害は予想以上に大きかったというべきだろう。

強引さとはつまり映画の落としどころ、結末への持っていき方であり、安易さ稚拙さとは、その結末から見えてくるあからさまなご都合主義と救世主像である。

結末への持っていき方でいうならば、この映画は決して避けては通れない大きな壁を強引に回避してラストへと進んでいく。作り手宮崎駿は映画ナウシカにおいては闘いを完全に捨てているといっても過言ではない。

もとから闘いを捨てている棄て戦なのだ。

葛藤と行き詰まりとの闘いをはなっからする気がないのだから、その行き着く先にある未完という絶望的観測もそこにはない。自分の手心をちょっと付け加えるだけで簡単に結末を作り出すことができるのである。

そのようにしてできたのが、映画ナウシカであるといえる。

また、例えばCinemaScapeなどの映画掲示板でよく見受けられるナウシカに対する萌え的な見方も自分は好きではないが、はっきりいって大アリである。ぶっちゃけ正統な見方だ。

なぜならばキャラ的にいってもこの映画は救世主ナウシカだけにスポットライトを照射し、その対となるはずの人間クシャナは完全にポイ捨てしているからだ。ナウシカのキャラが一人歩きするのも自明の理である。

また、トルメキア最精鋭部隊であるクシャナの第3軍団が風の谷のジジババたちに手こずってしまうくだりなどはまだ笑えるが、なんといってもラスト。

腐海は結局人間が汚した大地を浄化して再びきれいな大地、人間がマスクをせずとも生きていける大地へと再生してくれるより良い自然だったのだ!しかも救世主青き衣の者、その名はナウシカが大地に降臨した!青き衣の者には腐海の王である王蟲でさえもひれ伏す!クシャナもこれに懲りて撤退!平和バンザイ!風の谷もこれで一生安泰!ハッピーエンド!??????ホントに?そうなの?

、、、そう、問題は何も解決されていないじゃありませんか。

結局腐海とはどうやって付き合って生きていくの?現状維持?まず焼き払うことはあきらめたとはいえ、そして救世主が現れたとはいえそんなのお構いなしに腐海は次々に都市や国家を飲み込んで広がっていくんですよ。

風の谷さえよければそれでいい?ペジテは?トルメキアは?平和は一時的なものでは?人間の歴史が抱える業ってそんなに簡単に単純に断ち切れるものなの?克服できるものなの?

映画ナウシカにそれらに対する答えは、、、、無い。

だからこの映画ナウシカは、あまりにも上っ面であまりにも未熟なのだ。

が、それだからこそまた原作マンガのもの凄さも際立つ。

宮崎駿は12,3年という時間をかけ(ていうか2時間じゃムリ!)真っ向から闘いを挑み、そしてなんと、、勝った。勝っちまった。奇跡。すごい。

それしか言葉が浮かばない。

読んでいない人は一度ご覧遊ばせ。

ちなみに映画ナウシカに対する批判と同じような理由で「もののけ姫」は不支持です。2回目は許されませんで2回目は。

2時間じゃムリムリ!

これが言いたかったんだぁっ。ハァ~~ァ。

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コメント

はじめまして!
映画「ナウシカ」の分析、すごいですね。
思わず引き込まれて読みました。
私は原作漫画を読んでいないので、よく分からないですが、映画の方はラストは不完全感とあっけなさが残ったのは確かです。
結局、問題は「もののけ姫」に引き継がれたわけですが、私は「もののけ姫」は結構好きです。
私のブログでも映画レビューしてますので、ぜひ遊びに来てください(^o^)/

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