夢のシネマパラダイス205番シアター:ユリシーズの瞳
出演:ハーヴェイ・カイテル、マヤ・モルゲンステルン、エルランド・ヨセフソン
監督・脚本:テオ・アンゲロプロス
(1995年・仏/伊/ギリシャ・177分)Video
評価★★/45点
内容:行方知れずのギリシャ最古の映画フィルムを探し求める映画監督の旅を描いた映像叙事詩。アメリカの映画監督Aは、故郷のギリシャで自作の回顧上映を行い、バルカン半島最初の映画作家マナキス兄弟を題材とした映画を撮るために、35年ぶりに帰国した。マナキス兄弟が残した幻のフィルムの存在を知ったAは、それを探す旅に出る。やがてAは列車の中で知り合った謎の女に心惹かれていく。。
“彼が旅した道のりの地図が頭の中にほとんど描けない時点で僕のまなざしは既に霧で覆われている・・・。”
さらに“最初のまなざし”“失われたまなざし”“失われた無垢”を追い求めることにそもそも一体何の意味や意義があるの?とバカな自分は疑問を感じてしまう。ま、土台からしてこの映画に共感しかねるというわけだけど。
それらを追い求めることによって私=Aの映画監督としてのまなざしの原点に立ち返ろうという、いわばルーツを求める(そもそもこの解釈でいいのだろうか・・・?)旅ということなのでしょうが、そげなこと僕には興味ないよはっきりいって。。
例えば自分の大好きなサッカーでいえば、“最初のまなざし”とか“失われた無垢”なんて今のサッカーにだってあるだろう。
純粋なボールの蹴り合い、フットボールゲーム。それが次第に地域社会や企業と結びついてクラブが誕生する。そしてクラブ同士の戦い、あるいは国同士、代表同士の戦いへと発展していく。
もちろん各クラブ、各国代表で表現されるサッカーは、その地域や国の国民性、風土、文化などのバックボーンをそのまま反映していく。そして時代を経るにしたがってサッカーの戦術もめまぐるしく変わっていく。
そればかりかクラブを取り巻く環境も激変する。フロントシステム、若手育成システムの確立、オーナーの台頭、代理人の暗躍、FIFAやUEFAの利益追求体制etc..いまやサッカー界は一大経済システムの中に完全に組み込まれてしまっている。
そんな中でたしかに原点に立ち返ることというのも大切なのかもしれない。しかし戦術を含めたサッカーそのもの、取り巻く周囲の環境は日々変わり、ましてやもう既にサッカー文化は全世界に根づいている。
だから個人的には原点に立ち返ることを提示するよりも、今から50年後100年後のサッカーについて提示することの方に大きな意義が見出せると思うのです。
その時に例えば100年前の原点に戻ろうぜと言うことは間違いではないと思うし。
なにか矛盾してるようだけど、要は、ただ単に原点を見つめ直すということのみの目的意識と、50年後100年後に向けて発信したいという目的意識とは全くの別物だということです。
後者の目的意識であれば始まりと終りの輪はちゃんと繋がる。しかし、前者だと繋がらないっしょ。
映画もまったく同じだと思う。
しかるに今回の映画の目的意識は間違いなく前者の所で停滞してしまっている。
正直この映画でやってることはもはや時代遅れというか、何をいまさらといったかんじがしますね。
まあちょうど映画生誕100年という意味合いもあったのでしょうが、だからなおさら100年前に戻るのではなく、100年後に向けて発信してもらいたかった。
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永遠と一日(1998年・ギリシャ・134分)NHK-BS
監督・脚本:テオ・アンゲロプロス
出演:ブルーノ・ガンツ、イザベル・ルノー、アキレアス・スケヴィス
内容:ギリシャの港町テサロニキ。詩人で作家のアレクサンドレは、不治の病により今日が自分の生命の最後の日だと自覚する。そして30年前の夏の一日に思いを馳せる彼は、アルバニア難民の少年と出会い、少年と行動を共にしながら過去への心の旅を始めていくのだった・・・。カンヌ国際映画祭で作品賞。
評価★/25点
心に残るはアンナの胸元、、、のみ。
そんなにアンナのもとに行きたいんならオイラが首絞めてやるよ、ホンマに(笑)。
アンタの感傷と妄想に付き合うほどまだ年くってないんでね。70歳くらいになってまだ生きてたらその時にまた観てやるよ、、ったく。
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