アンブレイカブル
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
出演:ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、ロビン・ライト・ペン、スペンサー・トリート・クラーク
(2000年・アメリカ・107分)2001/02/20・丸の内ルーブル
内容:131人もの死者を出した列車事故からただ一人奇跡的に生還したデヴィッド。病気や怪我とは無縁の自分に逆に不安を抱く彼の前に、イライジャという男が現れ、デヴィッドこそは不滅の肉体を持つ“アンブレイカブル”で、弱者を守るヒーローだと告げるのだが・・・。
評価★★★/60点
“アンブレイカブル→ヤンブレイカブレ→ヤブレカブレ”
→行き当たりばったり→つかみどころ無し→ものすごい長っげえプロローグ→本題入る前に終了→本題はヒーローvs悪玉ミスター・ガラス→ヒーローは不滅です→アンブレイカブル→→→結局何なのさ。。(笑)
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サイン(2002年・アメリカ・107分)2002/10/11・MOVIX仙台
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
出演:メル・ギブソン、ホアキン・フェニックス、ローリー・カルキン
内容:ペンシルベニアで妻子と弟と暮らすグラハムは、人々からの信頼も篤い牧師。ある日、彼の妻が不可解な言葉を残して事故死する。半年後、喪失感から信仰心を失ったグラハムの前に、巨大なミステリーサークルが出現。これはいったい何の兆候=サインなのか!?
評価★★☆/45点
“山田く~ん!シャマランさんの座布団全部持っていきなさい!”
この人の場合オチが何なのかってところが前提として始めからあるからなあ。観る方もそうやって身構えちゃうし。。
ま、映画に自ら出てくるくらいだから好きでやってるんだろうけど。
でもこのまま好きでやっててふと振り向いたら誰も付いてきてなかったってことにならないようにしないと、ね。
、、、というのはオイラの勝手な取り越し苦労でシャマランはそんなこと意にも介していないんだろうな。
映画宣伝会社をシャマラン教に完全に帰依させているかぎり、どんな超強力おバカ魔法を繰り出そうが何ら心配はいらないといったところか。
あるいは「シックス・センス」により確立してしまったアッと驚くオチネタ作家という称号を逆手にとり、映画ファンをふるいにかけてるようにも見えてしまう。
ある者は早々に振るい落とされ、ある者はフィラデルフィアを本拠とするシャマラン教への入信を表明する。
しかし振るい落とされても御心配なく。
世界各地に星の数ほどもあるシャマラン教の教会である劇場窓口で献金を捧げればシャマラン様の教えと奇蹟を再び目にすることができるのです。
えっ、ボクですか?
フフ、2度3度と献金しちゃいましてね・・・。まあまだ退会はしてませんが、、一応。
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ヴィレッジ
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
出演:ブライス・ダラス・ハワード、ホアキン・フェニックス、エイドリアン・ブロディ、ウィリアム・ハート、シガニー・ウィーバー
(2004年・アメリカ・108分)DVD
内容:19世紀のある閉ざされた村(ヴィレッジ)を舞台に繰り広げられるミステリー。その村は、周囲の森に入ってはいけないなど、3つの掟が厳重に守られていた。しかしある事件をきっかけに、青年ルシアスは掟を破って森を出ることを決意する・・・。
評価★★/40点
“このつまらなさはオチがどうこうという以前の問題だ。”
「アンブレイカブル」以来シャマランの仕掛けるオチには期待しないことにしてきた自分がシャマラン映画で最低限何を期待するかといえば、しっかりと構築された日常描写としっかりと築かれた人間関係という現実世界に、荒唐無稽な虚構世界が違和感なく交錯してしまうシャマラン独特の不思議な世界を疑似体験することだ。
この時まず第1に重要なのは、現実世界がしっかりと構築されているかどうかに尽きるわけで、幽霊だとか宇宙人だとかスーパーマンだとかいう非日常アイテムはシャマラン映画においては実は2次的なものにすぎないことが分かる。
シャマラン映画の骨格を成すのは、まぎれもなく確実な日常描写と、人と人との密接な関わり合いを確実に描写することであり、この骨格が映画の土台となっている。
そしてこの堅固な土台の上でシャマランお得意の見せ物が展開してこそシャマラン映画はその力を発揮するのだと思う。
その土台は確かなものでなければならず、土台が不確かであればシャマランのフェイクは活きない。
その点でみれば、やはり個人的には「シックス・センス」が1番評価が高くなるわけで。
さて、その観点からみると、本作「ヴィレッジ」は、青年ルシアスと盲目のアイヴィー、知的障害者のノアの3人を軸、土台として、森に住むという怪物をフィクションネタにして展開するわけだが、どうにもこの軸が不安定に見えて仕方なかった。
そもそもなぜわざわざ盲目にする必要があるのか、なぜわざわざ知的障害にする必要があるのかというある種の違和感とともに彼らの三角関係描写があまりにも表面的でずさんに見えてしまった。。
そうなるとシャマランの繰り出す虚構世界がどうこういう以前の問題になってしまう。。
村の日常も何かキナ臭いし・・・。
と思っていたらラストのオチで、ウワーーッ、そう来たかぁとまんまとダマされたのもまた事実で、変な違和感がすっきり解消されたのもまたたしかなのだった。。
ヴィレッジとは、盲目であることや、知的障害であるといった差別化や生い立ちなど全く関係のない、愛に包まれた安全な社会、共同体ということだろうか。
シャマランの繰り出してきた今回の虚構世界は、実はあまりにも広大かつ壮大であり、おバカなオイラの頭では全く処理できなくて、その一面的、表面的なものしかなぞれなかったということなのか・・・。
村の人間関係もまた事の真実が明らかになれば納得のいく描写である・・・。
これはまた再び観るべきか、どうするか、、、と10秒迷ってやめた。オチが分かった上で観てもやはりツマラナイと思ったから(笑)。
なんだろう、、「カッコーの巣の上で」にもなり得た題材でしょこれって。それを超えうる傑作になっててもおかしくないんだけど。。
シャマランはフツーに映画映画しちゃいたいのだろうなぁ。。
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レディ・イン・ザ・ウォーター(2006年・アメリカ・110分)WOWOW
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
出演:ポール・ジアマッティ、ブライス・ダラス・ハワード、フレディ・ロドリゲス、ジェフリー・ライト、M・ナイト・シャマラン
内容:フィラデルフィアのとあるアパート。ある晩、管理人をしているクリーブランドは、中庭のプールでストーリーと名乗る謎めいた女性に出会う。彼女は、水の精で、“青い世界”からある目的のために人間界にやって来たのだという。アパートの住人から、東洋のおとぎ話にまつわるものがあると聞かされたクリーブランドは、それをヒントに謎を紐解いていくが・・・。
評価★★/40点
クソ面白くもない現実世界で、クソ真面目におとぎ話を語ってしまおうというシャマランの意図するところは、オープニングの古典的な絵画を使った導入部分などを見ても作劇としてはよく分かるつくりになってはいる。
、、、のだが、これをおとぎ話ととるか、ただのホラ話ととるかはかなりビミョーなところで、オイラはグエムルみたいな怪物が出てきた時点でダメですた・・・。
あとは、裏で糸を引いているシャマランの顔が、今回はメインキャストという形で出てきてしまうので、どうしても胡散臭さがぬぐえず・・。
2回目見たいとはどうしても思えなかった。。
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