夢のシネマパラダイス150番シアター:アメリ
出演:オドレイ・トトゥ、マチュー・カソヴィッツ、ドミニク・ピノン、イサベル・ナン
監督:ジャン・ピエール・ジュネ
(2001年・フランス・120分)2002/03/27・渋谷シネマライズ
評価★★★★/80点
内容:空想癖のある22歳のアメリは、いたずらをして他人に幸せをもたらすことに喜びを見出すようになる。ある日、アメリはニノという男性に恋するが、困ったことに自分の幸せはどうすればいいのか分からない。さてさてどうなることやら・・・。
“フランス版アリー・my・ラブ。そして印象的な赤と緑の旋律。”
アメリがあまりのショックでビシャッと水に変わっちゃうシーンを見て、アリー・my・ラブからパクッたな(笑)と思っただけの話。。
アリーとアメリの対照的な性格という違いはあれ、空想・妄想癖という点ではよく似てるし、2人ともけっこう計算高い演出家だし。出てくる登場人物も特異な面をもつ異常キャラだらけだし。
ただ、アリー・my・ラブのキャラたちは積極的に他者と関係を結ぼうとする、自分の殻なんてとうの昔に破り捨ててるヤツばかりだし、またそういう象徴として男女共同トイレというこれまた特異な設定がある。
一方アメリはというと全く逆で、他者と関係を結ぶことができないキャラがほとんどといってよい。それゆえみんな一様に孤独なんだよね。
空想の世界に逃避するアメリはまさにその典型キャラ。
アリー・my・ラブのアリーの場合の空想、妄想癖はまた違って、逃避というよりは、ゴキブリなみの生命力と激しい感情と情熱のやり場が足りなくて発散せざるを得ない1つの処理方法というかんじでしょ。ダンシングベイビーやユニコーンを見るという異常さは特にそうで、これはもう幻覚の域だろっていう。。
さて、その意味でいえば、アリーがこの映画に出てれば間違いなく終始赤い服を着てたのではないかなと思うわけで。
そう思ったのは、この映画で忘れてはならないのが、赤と緑の使い分けだと思ったから。
まぁ、「ロスト・チルドレン」でも際立った使い方をしていたように、この監督さんって赤と緑に心酔しきってるよね。
そしてこの映画ではそれが吉と出ている。
特に印象的なのがアメリの部屋。
TVの外縁が緑である以外はほとんど赤一色。フライパンまで赤だっけもんな・・・。
これはまさにアメリの内に秘めたる炎を表しているのだと思う。
外の世界に飛び出していきたい、自分の殻を打ち破っていきたいのだ、という強い意欲を表現したということなのだろう。
ただ、その意欲を外の世界では実際はうまく表わすことができずに、手紙の偽造とか写真、ビデオテープといった間接的なものに頼ってしまう。さらには住居不法侵入あるいはストーカーまがいのことまでしでかしてしまうわけだ。
そして決まってそういう時に着ているのが赤い服。
赤というのは、1番注意を引く色だから、赤い服というのはこの映画では、自分から目立ちたいあるいは自分から主体的に動いているというプラスの思考を端的に表わすものなのだと思う。
一方、この監督独特の世界観を示すのに他の作品でも使われてきた緑。
この映画でもTV、電車、お店など細かいところにいたるまで緑、緑、緑。
そして服の色でも緑が目立った。
アメリ自身も緑の服を着ている時があって、赤い服と使い分けてるんだよね。
では、どう使い分けているのか。
基本的に緑というのは安全の色で、ストレスや精神的不安を解消する色といわれているから、アメリは部屋の中では大体緑色の服を着ていたはず。
さらにこの映画では、自分の殻に閉じこもってしまう時、受け身になってマイナス思考に陥ってしまった時にも緑色の服。
例えば、病気女のジョルジェットが録音機男のジョゼフにがなり立てられてその場から立ち去る場面では、ジョルジェットは緑、ジョゼフは赤い服を着ている。
ジョルジェットはいつも緑色の服だったけど、ジョゼフがあの場面で赤い服を着ていたというところに意味があるのだと思う。
そして、ラスト近く、ニノがアメリの部屋にやってきたのに居留守を装ってしまう場面でもアメリは緑色の服。これは直前のシーンで、ニノとジーナがデキているとジョゼフから聞かされたことによるアメリ自身のマイナス思考を表わしているのだと思われ。
しかし、ニノが部屋にやって来たこの場面では、絵描き爺さんによって勇気をふりしぼったアメリがニノを連れ戻そうとダッシュしてドアを開ける、、、、とそこにはニノが。
正真正銘アメリは自分の殻を打ち破った!!
そういう場面なのだとオイラは思う。
ラスト、バイクに2人乗りして街を駆け抜けるシーンでは、アメリはまた赤い服を着ていた。
他人に言葉でうまく表現することができないというキャラ設定だからこそ、赤と緑という対照的な色を使い分けることによって、感情といったメンタル面をうまく表わして強調させていた、代弁させていたのではないかな。
もちろん、この監督独特の世界観を醸し出すのにも有効的に寄与していたのは言うまでもないけどね。
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