夢のシネマパラダイス112番シアター:もののけ姫
声の出演:松田洋治、石田ゆり子、田中裕子、小林薫、西村雅彦、美輪明宏、森光子、森繁久彌
監督・脚本:宮崎駿
(1997年・東宝・135分)初見1997/08/12・盛岡ピカデリー
評価★★★☆/70点
内容:王家の血を引く青年アシタカは、北の果てにあるエミシ一族の隠れ里を襲ったタタリ神を倒したせいで、右腕に死の呪いをかけられてしまう。村の老巫女から、西へ行けば呪いを断つ方法が見つかるかもしれないとのお告げを受けたアシタカは、西へ向けて旅立つ・・・。森を侵す人間たちと荒ぶる神々との闘いを壮大なスケールで描いた長編アニメ。
“7回まで完璧なピッチングを披露していた宮崎駿が、8回逆転満塁ホームランを喫して急遽降板。しかし、あまりの強風に試合続行不能で9回を待たず8回コールドゲームで試合終了・・・観客は消化不良のまま返金すら許されず帰路につくのだった。。”
9回までだったら許すよ。いや、9回逆転サヨナラ満塁ホームラン喫するのならば逆に褒めてやるよ。大ドンデン返しなんだから。
でもこれはちゃうねん。試合途中打ち切りなんだよ。しかも8回まで引っ張っといてオチが花咲かじいさんだもんよ。。
そりゃ怒るで。
ていうか問いつめたいね。このラストに心から納得いくのかどうか小一時間問いつめたいねホンマに。
正直に言ってもらいたいわな、封切りに間に合いそうにないor2時間ちょいに収まりきらないからデイダラボッチ版花咲かじいさんにしたんだと正直に言ってもらいたいわ。
ていうかあんだけ憎しみと破壊、殺戮を描いておいて一瞬にして森が再生しちゃうというのはどうしても自分の良心が許さない。身体が受け付けない。
足かけ12年かけて完結したコミック版風の谷のナウシカを読んでた自分としてはなおさら受けつけられるはずがない。
映画版ナウシカでクシャナが腐海を巨神兵で焼き払ってしまえば国土は回復すると考えていることをそのままやっちまってるんだよ。もう信じられないねホント。ラストの取ってつけたようなサン、アシタカ、エボシのセリフも含めて信じられん。
なにが「風の谷のナウシカから13年!」だよ。やってることは逆行してるじゃんかよ。
そもそも自然と人間というテーマはコミック版ナウシカでケリをつけたんじゃないんかい。
たった2時間ちょいの分量に収めるのはムリなことくらい、あれだけ苦労したナウシカで宮崎駿自身分かってたはずだろうに。
どうせなら興収なんか切り捨てて4時間くらいの作ったらよかったんちゃうか?
8回で終わらせずにさ、延長18回までやったらよかったんじゃないの。嬉々として付き合ってやるよオイラは。それくらい宮崎アニメは好きなんだからさ。
まったく、、こんなアホな終わり方されたんじゃ立ち見だったオイラは開いた口が塞がらなかったわホンマに。
と思ったらラストのラストでジコ坊が的を射たこと言ってんじゃん。
「いやあ参った参った。馬鹿には勝てん。」
、、っておい、宮崎さん狙ってたのか・・・!?
でもこれだけホザいておいて★3つも付けてるオイラって一体・・w
*<歴史好き一言コラム>
考古学をやってる歴史好きの本分ゆえ、あくまでファンタジーなのだがいつの時代の話なのだろうかと考えてしまった。
まず、エボシが「明の石火矢は使い勝手が悪い。」と言っていることから中国は明の時代、つまり1368~1644年の間ということになる。
次にアシタカが村を出ることを決めた席上で爺さまが「大和に敗れて500年余云々・・・今では将軍どもの牙も折れたと聞く。」と言っていることから、室町幕府失墜のもととなった応仁の乱以降、足利義昭追放までの1480年頃~1580年頃に絞られる。この500年前には有名な前九年、後三年の役で蝦夷が敗れている。
ここからさらに狭めることができるのかというと、気になったのが石火矢の存在。
石火矢の伝来も鉄砲伝来と同じ頃とされてるが、この映画にはなぜか石火矢しか出てこない。
これはどういうことかと考えると導き出される答えはただ1つ。
鉄砲伝来以前に石火矢は明あたりから伝来していたと宮崎駿は考えたのではないかな、と。あくまで個人的推測だけども。となると1480年頃~1540年頃に狭めることができる。
あさの公方については、エボシだったかジコ坊だったかが「あれは大侍だ。」と言っていることから実在の浅野氏をモデルにしているのかもしれないが、想像の域を出ない。
これ以上狭めるのはちょっと無理っぽいのだけど、大体1480~1540年頃と考えていいのではないかと思う。
« 新車購入交渉第2回選択希望会議 | トップページ | 夢のシネマパラダイス113番シアター:羊たちの沈黙 »
コメント