夢のシネマパラダイス93番シアター:評決のとき
出演:マシュー・マコノヒー、サンドラ・ブロック、サミュエル・L・ジャクソン
監督:ジョエル・シュマッチャー
(1996年・アメリカ・150分)初見1996/12/27・ピカデリー
評価★★★★/78点
内容:娘をレイプした二人の白人を殺した黒人男性カール・リー。その弁護を引き受けた新米弁護士ジェイクの苦悩を描き上げた作品。
“この映画に対する評決!有耶無耶罪!
この映画は頭の中でどうこう処理するより、心で感じるしかない映画だ。”
どう考慮しても法の下では有罪な事件を無罪にしようってんだから、そもそも合理的に無理があるお話しなわけだ。
しかも主な論点が心神喪失しかなく、結局は最終弁論いかんによるという脆弱さ。
それゆえ、この脆さを補強するためにKKKと黒人自由連合の対立、北部と南部の地域差はたまた死刑論まで出動させてしまう。
しかしその描き方は表面をなぞったような浅さで描かれており、一歩踏み込んで描こうとはしていない。
それゆえ、さらなる上塗りが成される。
KKKの暴走である。
放火から始まり襲撃、狙撃、拉致とどんどんエスカレートさせていく始末。
それでこの映画の骨太感を出そうとしたのかは分からないが、非常に安易なやり方である。
このようにこの映画自体の論点があっち行ったりこっち行ったりといううやむやなままラストの最終弁論であっさり陪審員が無罪評決を出してしまうため、法廷ものとして見た場合、個人的には非常に消化不良であったと言わざるをえない。
普通ならば陪審員にもっと焦点を当てるはずだし、この映画でほんのちょっとしか登場していないレイプ犯の親にももっと焦点を当てるのが普通であり、常識というものだ。
しかし、それを描く枠を与えないほどに大きすぎる人種問題という枠。
明らかにこの映画の主眼は人種問題にあるといえるが、悲しいことにこの主眼が法廷ものとしてのこの映画のネックになってしまっているといえよう。
逆にいえば、そのことを鑑みるに、人種問題の根深さを浮き彫りにすることに成功しているばかりか、この問題を合理的に解決することはもはや不可能であるとさえこの映画から読み取ってしまうのは行き過ぎだろうか。。
個人的にはその点を含めて★4つにしたのですが。
いずれにしても、この映画を合理的にみることは到底不可能であると言わざるをえないわけで、消化不良の後のサミュエル・L・ジャクソンといたいけな娘の抱擁シーンにグッとこみ上げてくるものがあったように、心で感じて見るしかない映画だといえよう。
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