出演:役所広司、宮崎あおい、宮崎将、斉藤陽一郎、国生さゆり
監督:青山真治
(2000年・日本・217分)DVD
評価★★★★★/95点
内容:九州の田舎町で起こったバスジャック事件に遭遇し、生き残った運転手の沢井と中学生・直樹と小学生・梢の兄妹。彼ら3人の交流と旅を通して、彼らが負った深い傷が癒され再生していく様をゆったりとした時間の流れの中で見据えた作品。
“千と千尋を遙かに凌駕した物語が静かにこの地に降り立った。”
「千と千尋の神隠し」と時を経ずして観たせいか、どこか両作がリンクしているような感覚を抱いたことを覚えている。
千と千尋は、何事にも無気力でわがままな千尋が現実世界とは異なる世界で様々なこと、その主なものは仕事すなわち労働である、を経験し、生きる力を取り戻して現実世界に戻っていくというお話だ。
しかし、個人的には千と千尋はあまり好きな方ではない。
なぜならば千と千尋の物語は、異なる世界というファンタジー世界で描かなくてもよい話であり、本当は現実世界を舞台にして描かれるべき物語なのではないか、という思いが強かったからだ。
もちろん、宮崎駿はアニメ作家であるし、千と千尋も10歳の女の子向けに作ったと言っていることからも、千と千尋の物語の構築世界の全てを否定しようとしているのではない。
ただ、ファンタジー世界での仕事や労働を通しての成長というのはやはり妙な違和感を感じずにはいられなかった。つまるところ、ファンタジーに逃げんなよ、という思いである。
この思いがまだうっすらと残っている時点で本作を観てしまったのだから、その衝撃は計り知れないものがあった。
この映画は、異世界という単なる虚構ではなく、現実に根ざした物語と向き合い、現実に最も直面し直視し、それを受け止めることによって自分と現実世界のつながりを回復するという物語である。
これはひとつ描き方を踏み外すと映画自体が回復不能の崩壊状態に陥ってしまうという、まるで危ない橋を渡るようなものなのだが、この映画は奇跡的にそれを成し遂げることに成功している。
まさに崩壊と回復のはざ間の境界線に屹立している映画なのだ。
EUREKA/ユリイカのすごいところはこの一点につきる。
まず、物語の構築として見てみると、普通ならばバスジャック事件を物語の中心に据えそうなものを、この映画では単なる起点としか描いていない。
では、何が中心となるかといえば、そこで生き残った人たちの内面である。映画は彼らの内面へと迫っていくのだ。
しかもその迫り方が非常に際どい。越えることができないある一線を保ったままラストまで引っ張っていくのだ。
これは尋常ではない。そのピンと張り詰めた緊張感はそのまま観る側にとっての緊張感でもある。
そしてこの越えることができないある一線というのは、事件から生き残った彼らの心の傷であり、決して我々が入っていくことができない、語ることができない感情面、内面である。
簡単に言えば心の闇といったようなものであるが、その心の闇によって彼らは心を閉ざし、外の世界とのつながりを失ってしまう。
つまり、心の闇を伴った彼らの内面と彼らの外の世界との間には隔絶された一線が存在するわけだ。
それは失語や引きこもり、心の葛藤といった心理的なものの他に、彼らが暮らす屋敷や彼らが旅立つときに乗るバスといった空間的なものも当てはまるといえよう。
しかも彼らと外の世界との間にあるこの一線をほとんど持続したまま物語は進行していく。
彼らにのしかかって来る緊張感は重々しく、観る側にもそれは及んでくる。
このようにみてくると、この映画には、越えることができない一線が2つあることになる。
観る側と映画、事件で生き残った者、との間にある一線。そして彼らと彼らの外の世界との間にある一線である。
そして少なくとも後者の方の一線を彼らは越えることができるのか、ということがこの映画のポイントになる。
加えて連続婦女殺人事件や沢井の病などといった背景が加わり、異様な緊張感が画面を包む。それゆえ3時間37分という長さは微塵も感じさせないし、見せ方もうまいとしか言いようがない。
例えば、沢井たち3人が自転車で屋敷に戻るカットを見ても、わざわざ長回しで3人を追っていく手法をとっているが、これはまさに彼らと外の世界との間にある一線あるいは境界線に彼らはいるわけであり、このカットだけでも緊張感は持続しているわけだ。
彼らが乗る自転車や車、バスなど妙に長回しが多いのも全て計算されつくした上でのものと言えるのではないだろうか。
そして、このような隔絶された隙間のあるこの映画で重要な役割を果たすのが秋彦であろう。
秋彦の役割はこの映画の中で1番大きいといっても過言ではない。2つある一線の架け橋的存在として大変重要な役割を担っているわけで、彼がいなければこの映画は間違いなく崩壊していただろう。
また、仕事、動作といったものもこの映画で重要な役割を果たしていると思う。
直樹と梢が言葉を失ってしまっていることからも、この映画では仕事や動作の方が先にきているし、またそのことが彼らと外の世界との間にある一線を少しずつ埋めていく要因にもなっていると思う。
沢井が仕事で作業しているシーンや、直樹が初めてバスを運転するシーンなどはその典型であろう。
このように今まで考えてくると訂正しなければならないことがある。
先ほど、この映画の成功は奇跡的だと書いたが、それは誤りであった。
この映画は全てにおいて計算されつくされた3時間37分の強固な構築世界の上に立つ物語だったのだ。
そしてそこで描かれるのは、現実の困難から逃げ出す姿などではなく、むしろ逆に現実に最も直面し、直視し、現実と孤独に闘う姿である。
彼らはバスに乗って逃げたのではない。
彼らの住む世界より純粋な世界を求めて旅立ったのだ。彼らの純粋さがゆえにいわば混濁した彼らの世界に住むことができなくなったのだ。
では純粋な世界とは何なのかといえば、思いつくかぎり普通ならばそれは死後の世界であろう。
それゆえ、直樹のとった行動や、沢井の病というのは非常に示唆深いといえるし、そこに宗教的な要素を見出すこともできる。
カンヌでエキュメニック賞(全キリスト教会賞)を受賞したのも一理ある。
しかし、どちらにせよこの映画は、人間として生き続けていくための原点に立ち返らせ、静かに働きかけてくる、心の琴線に触れる傑作である。
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Helpless(1996年・日本・80分)NHK-BS
監督・脚本:青山真治
出演:浅野忠信、光石研、辻香緒里、斉藤陽一郎、伊佐山ひろ子、永澤俊矢
内容:昭和天皇が崩御した1989年。仮出所したヤクザの安男は、組の仲間から組長の死を知らされるが、安男はそれを信じずにその仲間を殺してしまう。そして組長を捜しに行くため妹のユリを親友の健次に預ける。一方、健次もまた父親を自殺で亡くした影響で暴力行為を繰り返し、行く先々でトラブルを引き起こしていく・・・。青山真治監督の劇場映画デビュー作。
評価★★★/60点
日常の中に殺人という非日常が入り込んできたとしても、殺す側にとってはただの日常でしかないという乾いた視点はかなり戦慄を覚えるつくりで、およそ監督デビュー作とは思えないインパクトを放っている。
しかもそこに浅野忠信が恐ろしいほどハマっていて、これまた映画初主演作とは思えないインパクト。青山真治の監督デビュー作としてよりも浅野忠信とフライパン(笑)として記憶される映画といった方がいいだろう。
とはいえ、感情移入を許さないまさにHelplessな物語性の排除と突発的な暴力性には、どこまでも突き放されたような居心地の悪さがあり、好きか嫌いかでいえば、嫌いww
影響としては北野武が真っ先に想起されるけど、より荒涼とした感覚で空虚感がハンパない。
やっぱり好きとはいえない。そんな映画でありました。
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